蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

神を哲学した中世

2016年02月06日 | 本の感想
神を哲学した中世(八木雄二 新潮選書)

キリスト教哲学・神学というと、無駄な学問の典型(失礼)のようなイメージがあります。実りのない議論を俗に「神学論争」などと言うように、世間的にもそう思っている人が多いかと思われますが、聞くところ(池田信夫さんのサイト)によると(以下引用)、
「すべての物体が落ちる速度が厳密に同じであることがわかれば、神の普遍性が証明去れる―――このように考えて実験したオクスフォード大学のスコトゥスの弟子は、遅くとも1335年には重力の加速度を発見した。ガリレオより300年近く早い」
だそうで、考えてみれば何千年も前のギリシャで人々がいろいろと考えていたこと(哲学)が現代にも伝わって尊重されているわけだから、人類の脳みそが考え付くことは、どれだけ時間が経過してもあまり変わらないのかもしれません。

本書の目次を眺めて、私としては、トマス、スコトゥス、オッカムといった(私でも名前だけは知っているような)有名哲学者の列伝みたいな内容を期待したのですが、実際には哲学そのものの解説が大半で、えー、はっきり言うと(私にとっては)面白くないというか、わけがわからんというか、そんな内容でした。

万能で慈悲深い神がいてこの世は神が計画した通りに創られ運営されている、というキリスト教進行のコアの思想?に対して、「じゃあ、なんで私は不幸なままで、悪人や堕落した聖職者とかがいたりするのか」という疑問は誰しもが抱くわけで、キリスト教哲学はこうした素朴な疑問に応えるための理屈をいろいろと編み出しているのだけど、理屈が強引すぎるわなあ・・・という印象でした。(信者の方が読んでいたらすみません。特にキリスト教に悪意があるわけではありません。無学者のたわごとです)
コメント
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