暇と退屈の倫理学(國分功一郎 新潮文庫)
ラッセルは、20世紀初頭、すでに安定した国家体制となっていた欧州の若者は不幸で、これから革命を迎えようとしていたロシアやアジアの若者は幸福だとした。
自由と豊かさを求めてほぼそれを手中にした途端に、自由と豊かさをどのように享受してよいかがわからず、退屈が人々苛む。現代においても豊かな社会にあって、カルト宗教や過激思想に取り込まれる人が絶えない。
「大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされる人間だということである。食べることに必死の人間は、大義に身を捧げる人間に憧れはしない」(P35)
結局、人というのは、自分が今ある境涯には決して満足できない、ということなのだろう。
本題とはあまり関係ないのだが、ユクスキュルの環世界論と時間概念(時間とは瞬間(1/18秒)の連なりである)が面白かった。
そもそも人はなぜ退屈するのか?なぜ退屈は苦痛なのか?という、ある意味タイトルから想像される最も重要なテーマは末尾の補論で論じられているのだが、難しい内容だった。
ラッセルは、20世紀初頭、すでに安定した国家体制となっていた欧州の若者は不幸で、これから革命を迎えようとしていたロシアやアジアの若者は幸福だとした。
自由と豊かさを求めてほぼそれを手中にした途端に、自由と豊かさをどのように享受してよいかがわからず、退屈が人々苛む。現代においても豊かな社会にあって、カルト宗教や過激思想に取り込まれる人が絶えない。
「大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされる人間だということである。食べることに必死の人間は、大義に身を捧げる人間に憧れはしない」(P35)
結局、人というのは、自分が今ある境涯には決して満足できない、ということなのだろう。
本題とはあまり関係ないのだが、ユクスキュルの環世界論と時間概念(時間とは瞬間(1/18秒)の連なりである)が面白かった。
そもそも人はなぜ退屈するのか?なぜ退屈は苦痛なのか?という、ある意味タイトルから想像される最も重要なテーマは末尾の補論で論じられているのだが、難しい内容だった。