蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

シークレット・レース

2014年01月09日 | 本の感想
シークレット・レース(タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル  小学館文庫)

かつてランス・アームストングと同じチームで活躍し、袂を分かってからもツールドフランスやオリンピックで活躍したタイラー・ハミルトンの自叙伝をダニエル・コイルが文章化したもの。
本書によると、ロードレースの上位クラスの選手は、ほぼ例外なくドーピングをしており、EPOという血液が酸素を運ぶ働きを活性化させる薬や、自分の血液を採取しておいて後から輸血する方法などを行わないと互角の勝負は(特に長い日程のレースでは)望めなかったという。
翻訳がいいせいもあるのか、プロロードレース界の内幕ものとしても、タイラーの青春記としてとても興味深く、また楽しく読める内容であった。本書を買ったのは、本の雑誌社の文庫本のランキング誌で2013年のナンバー1だったからだが、確かにそれに値する面白さであった。

5年くらい前に「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」(ランスの自叙伝)を読んだ時は、ランスはとてつもないガッツを持ったナイスガイに思えたが、著者にいわせると自己中心的で強引な性格で周囲の人間を圧迫するような言動をするという。
ランスは自分の勝利のためには、ドーピングを含めてどのような手段を取ることもためらわず、チームのメンバーにもランスを勝たせることに全力をあげるように要求し、チームメイトが自分より良い成績を取ったりすれば不機嫌になったという。

本書によれば、タイラー自身も薬物を使うことやそれを隠ぺいすることに非常に積極的だし、ランスと対立しチームをはなれたタイラーは、他の有力チームに行ってやはり自分だけをエースとして勝たせるような作戦を監督に要求している。
つまり、客観的な行動としてはランスとあまり変わらないのである。人は誰しも自分がかわいいし、同じような行動をしていても他人のそれは鼻につくものなのだろう。

タイラーは、ドーピング検査にひっかかった後こそ殊勝に罪状を自白し、深い反省をしたようなのだが、検査で陽性が検出されるまでは自分からドーピングを止めようとか、真実を訴えようとした気配は薄い(というか前述のように薬物使用に非常に前向き?だったようだ)。
それでも捜査官や家族、さらには有名なテレビのインタビュー番組で告白をした後は、罪悪感から解放されてとても晴れやかな気分になれたという。
このあたりも人間心理の複雑かつ不可解なところで、有体に言ってしまうと「悪いことをした自分」という認識を否定するために、「皆同じことしてたんだぜ」とか「でも少なくともオレは反省してるぜ」という自己弁護に必死にならざるをえないのだろう、誰しもが。

タイラーやランスに限らず、アメリカ人って失敗を恐れないというか、何度失敗しても割合に短時間で立ち直ってくるし、社会もそういう仕組みになっていることが強く感じられた。だから(ランスやタイラーのように)栄華を極めた世界からもあっさり転身を決めたり離婚したり再婚したりするのだろう。

余談だが、タイラーの愛犬の名前が面白かった。最初の犬は「タグボート」で、「タグボート」が亡くなった後に飼った犬は「タンカー」だったという。
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