蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

想像ラジオ

2013年08月18日 | 本の感想
想像ラジオ(いとうせいこう 河出書房新社)

東日本大震災の記憶というと、一番最初に思いつくのが、計画停電の夜だ。まだ寒い日で小さなカンテラの周りに家族が集まって手持無沙汰で、ふと家(17階)の窓から見ると、計画停電している地区だけが、ほぼ二等辺三角形の形の闇でその周りには灯りが見えるという、恐らく今後見ることができないような不思議な体験をした。

これが一番の思い出というのだから、私が住んでいる辺りでは被害はほとんどなかったし、親戚や知人でも被害にあった人はいなかったので、被害のすさまじさを実感することは難しい。しかし、2万人近い人が短期間に死亡するというのは、現代の先進国においては戦争以外には考え難い事態で、その割には、私のようにこの天災から遠いところにいた者には、すでに記憶があいまいになってきているというのは、薄情というのか、無神経というのか。

そういうのは、違うでしょ、というのが本書のテーマ。

想像ラジオとは、死者が放送?するもの。普通は生きている者には聞こえないが、時と場合によっては、死者のメッセージが届くこともある。
主人公?のDJアーク(地震後津波で死んだ)の放送は、奥さんと子供には届いていないようで、それは、多分、奥さんと子供は生きている、という意味でもあるのだけれど、DJアークは残念でなかなかあの世に旅立てないでいる。
***
「彼らが僕のことをどんな風に悲しんでいるか。今となっては知っても仕方ないけど、僕にして欲しかったことはなんなのか。それを僕はやっぱり知りたい。知って悔しい思いを一緒にしたい。歯がみしたい。僕の思い出を話すとき、奥さんは息子に何を話すか、息子は奥さんに何を言うか。もしもこうなってしまった僕を憎んでいるのなら、その憎悪の言葉を激しい炎を受けるようにして聴きたい。まだ混乱したままなら、どうか二人の心が風のない日の湖面みたいに落ち着きますようにと、僕はここから祈りたい。彼らが近くにいてほしいと思えば僕はいつだって近くにいたいし、浄土へ送りたいと思えば遠くへ旅立ちたい。すべては美里と草助の言葉次第なんです。
心残りはそれ。それだけ。
だけど、僕には聴こえない。
悲しみが足りないのか、想像不足なのか。(P179-180)」
***

このようなテーマだと、説教くさく、押しつけがましくなりがちなんだけど、そういう感じはなくて、読後感は悪くなかった。
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