シュレディンガーの哲学する猫(竹内薫 竹内さなみ 中公文庫)
人語を解し、時々人間に化ける「シュレ猫」との別荘地での生活を描いた小説部分と、ウィトゲンシュタインやハイデガーの哲学のはしりを著書の引用を交えて紹介した部分から構成された哲学の入門の入門の一歩手前くらいの本。
正直いって、小説部分は余分。哲学の解説部分との関連性もあまり強くは感じられない。
サルトルを紹介した章で、次のような部分がおもしろかった。
人生の岐路に立って相談に来た学生にサルトル(なぜか、作中で何人かの哲学者だけファーストネームで呼ばれている。サルトルの場合は、ジャン・ポール。うーん、なんかトイレの洗剤みたいだ)は、「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ」という。
「これは、一見、冷たく相手を突き放しているようだが、まさに実存主義の核心に迫る態度である。なぜか?
もしたとえばあなたが司祭のところへ助言を求めに行くとすれば、あなたはその司祭を選んだのであり、司祭がどんな助言をしようとするかを、多少ともすでに心では知っていたのである。いいかえれば、助言者を選ぶということはやはり自分自身をアンガジェすることである」
人語を解し、時々人間に化ける「シュレ猫」との別荘地での生活を描いた小説部分と、ウィトゲンシュタインやハイデガーの哲学のはしりを著書の引用を交えて紹介した部分から構成された哲学の入門の入門の一歩手前くらいの本。
正直いって、小説部分は余分。哲学の解説部分との関連性もあまり強くは感じられない。
サルトルを紹介した章で、次のような部分がおもしろかった。
人生の岐路に立って相談に来た学生にサルトル(なぜか、作中で何人かの哲学者だけファーストネームで呼ばれている。サルトルの場合は、ジャン・ポール。うーん、なんかトイレの洗剤みたいだ)は、「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ」という。
「これは、一見、冷たく相手を突き放しているようだが、まさに実存主義の核心に迫る態度である。なぜか?
もしたとえばあなたが司祭のところへ助言を求めに行くとすれば、あなたはその司祭を選んだのであり、司祭がどんな助言をしようとするかを、多少ともすでに心では知っていたのである。いいかえれば、助言者を選ぶということはやはり自分自身をアンガジェすることである」