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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

シュレディンガーの哲学する猫

2009年03月17日 | 本の感想
シュレディンガーの哲学する猫(竹内薫 竹内さなみ 中公文庫)

人語を解し、時々人間に化ける「シュレ猫」との別荘地での生活を描いた小説部分と、ウィトゲンシュタインやハイデガーの哲学のはしりを著書の引用を交えて紹介した部分から構成された哲学の入門の入門の一歩手前くらいの本。

正直いって、小説部分は余分。哲学の解説部分との関連性もあまり強くは感じられない。

サルトルを紹介した章で、次のような部分がおもしろかった。

人生の岐路に立って相談に来た学生にサルトル(なぜか、作中で何人かの哲学者だけファーストネームで呼ばれている。サルトルの場合は、ジャン・ポール。うーん、なんかトイレの洗剤みたいだ)は、「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ」という。

「これは、一見、冷たく相手を突き放しているようだが、まさに実存主義の核心に迫る態度である。なぜか?
もしたとえばあなたが司祭のところへ助言を求めに行くとすれば、あなたはその司祭を選んだのであり、司祭がどんな助言をしようとするかを、多少ともすでに心では知っていたのである。いいかえれば、助言者を選ぶということはやはり自分自身をアンガジェすることである」

はて、面妖

2009年03月17日 | 本の感想

はて、面妖(岩井 三四二 光文社)

「難儀でござる」「たいがいにせい」に続く時代短編集の第3弾。

いちおうシリーズということになっているが、この3つの本に何らかのつながりがあるわけではないし、それぞれの本の中の短編同士に関連性があるわけでもない(「難儀でござる」は武田家しばりだったような気もするが)。
けれど、どれもけっこう売れているようで、私が著者を知ったのもこのシリーズからだ。

どの本も、収録されている短編の多くが、なんとなく短編集のタイトルと符号するような感じで、うまい命名だなあ、と思わせる。表紙の装画はすべて同じイラストレーターのものだが、シンプルでちょっとユーモラスな印象に残るものになっている。
短編集のタイトルをつけたり、表紙のデザインを決めているのが作家なのか編集者なのかはよくわからないが、このシリーズは、タイトルと表紙の装画によってかなりトクをしているような気がする。

歴史上有名な人物が登場することもあるが、多くはあまり名を知られていない人物を主人公として、歴史物語のかっこよさを追求するのではなくて、戦乱の世にあってなんとか生き延びようと工夫を重ねる姿を描いていることが多い。
そうしたいわゆる小市民的なストーリーが現代サラリーマンの哀愁を連想させて人気があるのではなかろうか。

本書では、伊予の小領主に仕える半農の武士が領内に定期的に乱入してくる隣国の勢力と小競り合いを繰り広げる「地いくさの星」、信長に献上する絵の選択に迷う高名の絵師を描いた「花洛尽をあの人に」が特によかった。しかし、読み終えてあらためて各短編のタイトルを見ると、イマイチって感じがする。短編集のタイトルの命名はやっぱ編集者のアイディアに依るところが大きいのだろうか。