老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

スーちゃん、逝く

2011-04-26 20:36:46 | 暮らし
キャンディーズのスーチャンが逝った。まだ50半ば。若すぎる死である。彼女たちのデビューは1973年。怒れる若者たちの学園紛争もほぼ終息。若者たちのエネルギーの方向性が見えなくなっていた。一種の退嬰的空気に包まれていた若者たちの心をつかんだのがキャンディーズだった。

彼女たちの歌声は、本当に可愛かった。歌声もそうだが、何より彼女たちのかもし出す空気が凄かった。女学生のような清らかさ。若い女の子らしい清楚な色気。何より身体中から発散する溌剌とした若さ。全国の多くの若者たちが熱狂したのも頷ける。今では普通になったようだが、キャンディーズは男の子の追っかけのはしりになった。

さらに人気絶頂の時、「普通の女の子になりたい」という名台詞を残して、彼女たちは突然引退した。これが、キャンディーズを伝説にした。後に山口百恵などもキャンディーズの引退劇をなぞった。

子供を亡くした親にとって、その子は永遠に子供のまま。時が止まる。永遠にその子の「可愛らしさ」のみが記憶に残る。これは辛い。特に、母親にとって辛い。小林秀雄が、「歴史とは子供を亡くした母親の嘆き」だと喝破していたが、一人一人の人間にとっての歴史とは、そういうものだろうと思う。

キャンディーズの追っかけだったファンにとっての「ラン・スー・ミキ」の存在とはそういうものだったに違いない。告別式に40代、50代の壮年の男性が多かったのは、彼らにとってキャンディーズは引退の時で止まっていたのだろう。大の大人が、人目もはばからず涙を流し、スーちゃんと叫び、青のテープを投げていた。

今日の告別式。スーちゃんは、また伝説を残した。亡くなる20日ほど前にファンやお世話になった人々への感謝の言葉を肉声の「テープ」に残していたのである。その中で「東日本大震災」の被害者の人々へ、天国からでも支援したいと語り、ファンやランちゃん、ミキちゃんありがとうと語りかけていた。

これはなかなかできない。日に日に進行する病の苦しさと戦い、そう遠くない自らの死を予感しながら、東北地方の被害者の人々への想いを語る。これだけの強靭な精神力はなかなか持てない。彼女は、ライフワークとして多くのボラティア活動をしていたそうだが、上から目線の活動ではなく、自らの生き方そのものを賭けた本物の活動だった、という証左だろう。

わたしは、スーちゃんの遺言ともいえるテープの声を聞きながら、これこそ「自分によし、人によし、社会によし」よいう近江商人の精神そのままの人生を送った人だと思えて不覚にも涙があふれてきた。 

スーちゃんの告別式を見ながら、小林旭の「惚れた女が死んだ夜は」の最後の歌詞を思い出した。

・・いいやつばかりが先に逝く
  どうでもいいのが残される
  惚れた女が死んだ夜は
  涙流れるままでいい
 酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ
 酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ・・・

           合掌

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
流水

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