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life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「居心地の悪い部屋」(編訳:岸本 佐知子)

2021-04-09 22:17:12 | 【書物】1点集中型
 エッセイをどこかで勧められて、でも翻訳者さんだと知って先にそっちを読んでみようかなと。短編集だし、読んだことない作家がほとんどだったし、タイトルがよかったし(表題作があるわけではなく、あくまで全体の雰囲気を示すタイトルだけど)。

 巻頭作「ヘベはジャリを殺す」というタイトルもいきなりならば、まぶたを縫い合わせるという行為もまたいきなりである。それだけであっというまに何かがずれた世界に放り込まれる。タイトルで「殺す」と言っておきながら、2人の間の空気は何かのんびりしてすら感じられる。何かがなされようとしているのだけはわかるけど、どこにたどり着こうとしているのかはわからず、具体的な進展はない。
 少しホラーのような雰囲気もある「あざ」「父、まばたきもせず」「ささやき」あたりは、それを知ってしまうと自分もふと後ろを振り返らずにいられなくなる。もしかしたらある話なのかも、と、ないと思いつつも頭の片隅で考えてしまう。言ってみれば「世にも奇妙な物語」のもっと底知れぬものといったところだろうか。それに近いところで「オリエンテーション」の世界も面白い。どこにでもありそうな新入社員へのオリエンテーションのようなのに、そこで示される働く人々の像を聞いていると、少しずつ感覚がずれていく。「潜水夫」「やあ! やってるかい!」は、人の心の密かな暗部と、誰しもが何かのきっかけで弾け出させてしまうかもしれない衝動をさらけ出すように見える。

 明確なオチやタネ明かしを求めてはいけない。現実と幻想あるいは妄想の間の亜空間。実際には入り込めないけれど一歩間違うとそこに落ち込んでしまうのではないか、と思わされるそれぞれの世界。一言で言えば「シュール」が近いのかなと思うけど、この「居心地の悪さ」はそんな一言で言い表しきれないな、とも思う。

「クォンタム・ファミリーズ」(著:東 浩紀)

2021-03-28 16:58:38 | 【書物】1点集中型
 「シャッフル航法」の巻末の解説目録(に載ってたNOVAシリーズに未だに手を出せていないんだけど)を見て。量子論はやっぱり気になるし、三島由紀夫賞というのもあって読んでみた。

 テロ容疑者として逮捕された「父」に、実在しないはずの未来の「娘」からメールが届く。端からタイムトラベルかパラレルワールド(って言い方は時代遅れか)か、ってタイトルそのまんまの話である。……なんだけれども、難解である。絡み合う世界が多いのである。単に並行する世界だけでなく時間軸の違う世界も絡む。マルチバースと捉えるとそりゃ当たり前の話なんだけども、うわあどれがどれやらわからん、と思いながらわからないまま読み進めたのであった。解説筒井康隆氏はグラフを作ったそうだが、それをやらないと正確に理解はできないだろうなぁ。
 正直、1回読んだだけでは理解できたとは全然思えない。ただ、「検索性同一性障害」なる精神疾患が出てくると、この世界の必然性を少しだけわからせてもらえる気がする。自分が行った行動と行うかもしれなかった行動、記憶の中の現実とifの区別も、さらにその記憶に連なるすべての人間関係の中の現実とifの区別もつかなくなるということを想像してみると、確かに脳の処理能力がパンクしてしまいそうな気がしてくる。
 けれどその中で、選べたかもしれない自分の人生を今なら掬い取ることができるかもしれないという誘惑にかられたとき、人は何を望むだろう。

 最終的には、理想の家族を追い求めた女と男の物語ということになるのかもしれない。しかしそれをこれほどに入り組んだ世界で描き切るのは単純にすごい。倒錯している性がキーになっていたり、全体的にはどちらかといえば陰にこもった感じなんだけれども、世界観はぐいぐい迫ってくるように感じる。倒錯してる分余計にそうなのかもしれないけど。

 ちなみに、要所で引き合いに出された「世界の終わりとハード・ボイルドワンダーランド」をはじめ村上春樹作品はほとんど読んでない。読まなきゃわからないような話になってないんだけど、リテラシーとして読んでおくべきかなーと思わされた次第である。ディックもよりによってまだ読めてない作品の話出てきちゃったからな……(笑)

「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」(著:東畑 開人)

2021-03-12 20:06:32 | 【書物】1点集中型
 臨床心理士によって語られる沖縄のとあるデイケアの日常。そもそも精神科のデイケアってどういう場所なんだかそういえばまったく知らない。というか、精神疾患のケアってどんなことなのか、というのもまったくわからない。そんなこともあって読んでみた本である。

 人は、自分が今いる場所に「いる」ことを多分当たり前だと思っている。しかし著者がデイケアで最初に躓いたのは「ただ座っている」ことの難しさだった。確かに、人は何か役割を、あるいは立ち位置――「居場所」を確保した状態でこそ無意識に「ただ、いる」ことができる。知らない土地で、あるいは見知らぬ人たちの中にひとり放り込まれたときの居心地の悪さは、つまり「居場所」がまだ定まっていないからだ。なるほどね。やっぱり、「いてもいい場所」がないと、人は何も考えずに自分のままでいることができなくなってしまうのだ。

 それにしても、先輩職員たちは次々に退職していった。デイケアで働く人たちが肉体的にも精神的にも大変さを抱えていることにはなんとなくのイメージ(だけ)を持っていたのだが、やっぱりそうなんだな、という印象。しかし辞めるにあたって、デイケアに通ってくる人々(メンバーさん)に、自分がいなくなることをどう受け入れてもらうのかを辞める人それぞれが考えているのが興味深かった。心のケアを必要としている人たちをケアするのが役目なのだから当たり前のことなのかもしれないが、一般企業にいて辞め方を考えるのとはやっぱり違うんだなあと。

 ……と、臨床心理士と患者さんたちのコミュニケーションの話だけかと思いきや、最後には社会におけるデイケアという施設のあり方とその課題に言及がある。それはいわゆる介護・福祉の世界が抱える課題そのものである。「『いる』が経済的収支の観点から管理されている」デイケア。その場を維持していくために、現実として収支をマイナスにするわけにはいかないのは当たり前のことなのだが、利益追求が第一になってしまうと本来の目的から道が逸れてしまうことがある。
 本当は、誰もデイケアを必要としないようになれば、それに越したことはない。ないけれども、それはありえない。生産性(あまり好きな言葉じゃないんだけど)を上げるのは確かに、労働者人口が少なくなっていく中で避けて通ることのできない命題ではあるが、それだけを求めてはいけないはずなのだ。デイケアだけじゃなく、社会全体において。だってそういう社会に生きてきた結果、デイケアに通うことになった人たちがたくさんいるのだ。そして、自分だって、自分の身近にいる人たちだって、いつ何をきっかけに同じ立場になるかもわからないのだから。

「富豪刑事」(著:筒井 康隆)

2021-03-10 01:32:58 | 【書物】1点集中型
 筒井作品はSF系が好きでそっち方面はいくつか読んでいるものの、ドラマになったりアニメになったりしているこちらは長いこと未着手だった。で、そのBULを観る機会があって、じゃあやっぱり読んでおくかと手を出した次第。当然、全然話は違っているわけだけども。そもそも原作に加藤春自体いないし。大助のキャラの空気感も全然違うし。まあBULはBULで先入観がなかったので(ドラマは観てなかったから)面白く観たし、シャーロック・ホームズ原典と「エレメンタリー」ほどの違いはなかったので、全然問題なかったんですけども。

 それはそうとこの「富豪刑事」原典であるが、ちょっとおどおどしてる感のある大助が微笑ましかったのである。あー、そういう理由で富豪刑事なんだねーというおおもとの父親のキャラクターがバカでまたいい。そもそもこんな捜査方法は現実的にはあり得ないだろうから、その発想の飛躍も筒井作品だなあと。いかにも「らしい」ドタバタ満載のエンタメなのでそういうところのリアリティは必要ない、とそんな感じで割り切ってしまえる感じ。登場人物が突然読者に語りかけたりするあれなんかも、本来だったら小説でそれやるか、と思っちゃうのだが筒井作品のこのノリにかかるともはやどうでもよくなる(笑)。というか、それが問題なくなる雰囲気の作品なわけだ。同じ筒井作品であってもたとえば「旅のラゴス」でこれやったら絶対にマッチしないんだし。
 その意味では、漫画的なこの世界観も、こういうのもいいよねなんせ筒井ワールドだし、と思える範囲に収まる絶妙のバランスなんだろうなあと。多分に実験的要素が見られるようなつくりも含めて。まあ、自分自身がナンセンス系のやつ(筒井作品もそうだけど、バカSFとかも)が好きだからというのも多分にあると思われるが。

 筒井作品の刑事ものというかミステリというか、この手のジャンルは初めてだったんだけれども、結果的には筒井康隆以外の何ものでもなかった。筒井康隆といえばついついSFとかブラックな短編とかのほうに手を出してしまうのだけど、やっぱり「ロートレック荘事件」も読まないと。

「地下鉄道」(著:コルソン・ホワイトヘッド/訳:谷崎 由依)

2021-02-28 09:58:15 | 【書物】1点集中型
 久々に眺めた本屋の棚で目にした本。19世紀前半、アメリカ奴隷制時代の物語である。当時実際にあった、奴隷の逃亡を助ける「地下鉄道」と呼ばれる秘密組織がキーになっていて、それが物語の中では当時にはなかった「地下を走る鉄道」として描かれている。軸になるのは母が逃亡奴隷である持つ少女コーラ。彼女自身と彼女の近くの奴隷たち、主人や奴隷狩り人、あるいは奴隷たちの逃亡を手助けする地下鉄道の人々など、登場人物は実に数多いし、コーラの道のりも遠い。まさにアメリカという国全体の物語である。

 仮に本当に対象が人間ではなく動物だったとして、人間はこれほどの残虐を働けるものなのか。奴隷とされていた人々、またその人々を助けようとした人々に降りかかる残虐は、過酷という一語だけではとても片づくものではない。一方で、主人に逆らうことなくひっそりとしかし平穏に暮らす奴隷もいる。身分は奴隷でも、主人の意向によって自由黒人に近い扱いを受けている奴隷もいる。だがそうした暮らしが終生続くものかどうかは別のことだ。彼らが「所有物」である以上、主人の気まぐれや相続者の意思によって運命がどう流転するかは全くわからないのだ。それがいかに不条理なことなのか。
 コーラは、自分を助けてくれた人々に悲惨な結末が訪れたことも知っている。その痛みを抱えて逃げ続け、しかしその痛みで自らを滅ぼすことはしなかった。人の優しさに触れる一方で、手ひどく裏切られることもある。悲劇は何度でも襲い来る。それでも諦めずに脱出に挑み続ける。
 彼女が本当の自由を得られたかどうかはわからない。ただ、潰えたかに見えた希望の光が、地下鉄道を這い出たコーラにわずかにであっても確実に射している。筆舌に尽くしがたい苦難の中でも意志を持ち続けることの尊さがそこにはある。言葉にするとたやすいことだが、それがどれだけ困難なことであるかは、コーラのみならず物語の中の人々を見ていればよくわかる。

 奴隷制度こそなくなったものの、人種差別は根深い。またアメリカだけの問題でも、黒人と白人だけの問題でもない。生まれによって一生の身分が規定されてしまうことはどの国にもどの時代にもあったこと、また今もどこかに残るものでもある。生まれによって他の人々と自分たちを差別し、相手を排除しようとする動きも世界中にあふれている。
 悪法もまた法ではあるが、それはただ絶対的な正しさを示すものではない。だから人はいつでも自らに問わねばならない。自分以外の誰かを尊重するとはどういうことなのか、自らの尊厳を守るということはどういうことなのか。奴隷制度という一つの史実を通じて、人間社会の普遍的な課題を考えさせてくれる物語でもある。

「わかりやすさの罪」(著:武田 砂鉄)

2021-02-21 15:16:00 | 【書物】1点集中型
 仕事をしているとアウトプットとしてわかりやすく伝えることを常に要求される。理由がない「なんかわかんないけどなんかいい」では成立しない。でもその理由を言葉にできなくて悶々とし、言葉を探し、なけなしの言葉をひねり出しては捨てていく。打ち合わせをすればその場で即、意見や見解を求められる。しかしその場では咀嚼しきれず、あとになってから「こう言えばよかった」「こういうことだったんじゃないか」と思ってみるものの時すでに遅し。そんなことばっかりである。
 いつでも二者択一で話がすむのならこんな簡単なことはない。何かを選び取るためにはそのプロセスがあるわけで、そしてそのプロセスに迷いつつも選ばねばならないという機会は誰にでもある。ものすごくざっくり言ってしまうとそういうことなんだろうと思うが、著者はそんなふうに要約されることを求めている本ではないはずである。そういう本だと思っている。

 理解するなという話ではない。ただ、単純明快に理解できることがすべて正しいということではない。言葉は広がったものを狭めることもあれば、限りなく広がってとっ散らかっていくものでもある。とっ散らかることから生まれるのが人の考えだったり創作だったりするはずなのである。
 そこにある事実を受け入れるという意味での知識なら「理解する」でもいい。いや、それは実は理解ではなくて、言ってみれば「食べる」ことに似ているのかもしれない。口に入れたものを咀嚼し、消化して自分の栄養にするものとそうでないものを分けることこそ、「理解する」ということになるはずなのだ。そしてその手前で「消化不良」を起こすことすら本来、厭うべきではない。リアル書店に行くと買う本をただの1冊を選ぶこともできずに長居する羽目になってしまうのは、知らない言葉に、わからない言葉に囲まれ、時に知りたい欲をかき立てられるからだ。自分の興味・経験に基づくリコメンドから得るものも確かにあり、それを自分が利用していることも知っている。しかし、知らないことや興味のないことを検索することはできない。リアル書店(あるいはもっと広く、街の中でもいい)を歩き回ってしまうのは、それらに出会う偶然にあふれているからである。

 結論を出すことは時に気持ちのいいものだし、時に必要なことだ。しかし、そこにたどり着くことだけを急ぐ必要はないと思っていいということなのかな、と思う。わかりやすいものを求めるのではなくて、わかりにくいものを自分なりに解釈してみる意欲を持ち続けることのほうが大事だ。結論は選んでもいいし、選ばなくてもいい。選んだ結論があるのなら、選んだ理由を自分のものにすればいい。思えば、「よくわからないけどもう1回読みたい」と思う小説って、結局そのわかりやすくないところを自分が求めているからなんだろう。人間の思考とはいつでもシュレーディンガーの猫状態なのだ。

「山月記・李陵」(著:中島 敦)

2021-01-30 12:32:41 | 【書物】1点集中型
 「自生の夢」で「文字禍」の話題が出てきて、次に読むリストにのトップに「文字渦」が控えているので、やっぱ読まないわけにはいかないだろうと思って初めて手を出した中島敦作品である。脚注と解説で80ページを超える多さなので、ぶっちゃけ網羅しきれていないのだ が、話の筋はわかるのでとりあえずさらっと読んでみた形にはなった。そういえば「山月記」すらまともに読んでいなかったんだな……
 その「山月記」は、なんといってもこの短さでこの強烈な存在感。人ならぬものに化してから、人間の業が見える。失くさなければその意味に気づけない、誰もがどこかに持っている愚かしさ。でもたぶん人はそれを否定し切り捨てることもできないのだ。
 「李陵」と「弟子」は、忠なるからこその悲劇と言おうか。信念は自身にとっては自分を納得させるものかもしれないけど、客観視できる立場の人間から見ると虚しさを感じさせるものでもある。でも、それが自身の唯一拠って立つところである人もいる。それを理解しているからこその孔子の嘆きだったのだろうかと思う。

 「悟浄」2作は、特に「嘆異」で見せる悟空への感情になるほどと思わされる。端的に言えば経験のない知識の虚しさというか……知識に意味がないということではないけれど、活用できない知識なら持っていても意味がないのは事実だ。教養と知識の違いとでも言うべきことかもしれない。悟浄の見た悟空のそれは決して知識からくる教養ではないが、教養は知識だけからくるものでもないという話でもあるのだろう。天性の感覚でそれを体現しているように見える悟空が羨ましく、思わず悟浄に自らを重ねる。
 「牛人」はホラーな感じ。「世にも奇妙な物語」的な、あるいは完全犯罪もの的な。舞台装置は別だとしても本当にあってもおかしくない話で、思わず意味もなく後ろを振り返りたくなる。
 パラオの占領のことはほとんど知らなかったのだが、「環礁」はかの地の素朴な姿が見えて興味深かった。異邦人として見たその土地という意味では「輝ける闇」を思い出す。ナポレオン少年は本当は何を求めていたのだろうと思ったりもするが、実際にはナポレオン自身にもどうでもよかったのかもしれない。マリヤンは、戻ってこないであろうと思っていた日本人がやっぱり戻ってこないことに対して、諦めていたのか、それでもやっぱり嘆いたのか、それとも怒ったのか。穏やかに、しかし鮮やかに描かれた人の姿に触れると、その胸の内を思わずにいられなくなるものだ。

 で、「文字禍」だが、「書かれなかった事は、無かった事」。これだなと思った。文字があるからこそ、文字(=記録)がすべてだと思ってしまう。そして「文字の精」が――文字そのものが主体となって残したものが歴史となり、「不滅の生命を得る」。しかし文字が見向きもしなかった事柄はその存在を失うことになる。SFみたいな話のようで、実は現実社会でもその通りの話なのだ。そう思うと納得しつつもその現実がどこか薄ら寒い。それにしても、これは中島敦にしろ飛浩隆にしろ円城塔にしろ、文字というものに対しての作家の捉え方が実に面白いと思う。

「わが母なるロージー」(著:ピエール・ルメートル/訳:橘 明美)

2021-01-22 00:38:49 | 【書物】1点集中型
 「悲しみのイレーヌ」に始まり、「その女アレックス」と続き「傷だらけのカミーユ」で完結してしまったカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズのボーナスステージ(だと思ってる)。時系列的には「アレックス」と「カミーユ」の間。といっても個人的には3部作を読んだのが相当前なので、あんまりその辺はピンと来てないんだけど。まあ、わからなくても読むのには問題はない。

 今回は中編ということと、3部作のきつい事件の場面で慣れていたので、ある意味安心して読める。とはいえやっぱりインパクトのある事件から始まるわけだけれども。
 7つの爆弾が1日1つずつどこかで爆発する。自ら名乗り出てきた犯人ジョン(自称ジャン)は供述の相手にカミーユを指定して、そんなとんでもない告白をしてきた。爆弾について教える代わりの要求は今こうしている自分と、殺人容疑で拘留中の母親ロージーの釈放と、オーストラリアでの新しい生活。警察としてはもちろんそんな取引ができるわけはないので、カミーユはなんとか情報を引き出そうとするものの、ジャンは暖簾に腕押し。しかもその母親といえば、ジャン自身の恋人を殺害している。

 俯瞰すると、今でいう「毒親」と息子の話ということになるだろうか。このシリーズではカミーユと母親の関係も折に触れて描かれてきて、それはもちろんジャンとロージーとの関係とは違うんだけれども、カミーユ自身の中にある母親への思いがジャンとロージーへの接し方にも影響を及ぼしているようにも見えなくはない。
 でも、ジャンとロージーの親子関係が、少なくともジャンの側からは決して良いだけではないものだったのは、母親との対面で見せた緊張感からも窺い知れる。ジャンは母の犯した罪が自分に起因するものだと当然理解していたに違いない。それでも母親から離れようとしなかったその心の中は、本当はいかなるものだったのだろうか。あまりにも呆気ない結末は、その可能性が充分に見えていたものではあったが、ジャンにはそれしか残されていなかったということなのだろうか。自らをジョンではなくジャンと称したのは、やはり母の軛から抜け出したい思いがあったからなのだろうか。突然断ち切られた物語に、思わされることは多い。

「自生の夢」(著:飛 浩隆)

2021-01-11 09:59:17 | 【書物】1点集中型
 ずっと読もう読もうと思って手がついていなかったのを、円城塔「文字渦」が文庫になると知ったタイミングで読むことになったので、「言葉による殺人」という要素は個人的にタイムリーさがあった。

 で、いざ読み始めると巻頭の「海の指」はホラーっぽい雰囲気。SFらしいSFを想像していたらちょっと肩透かしを食らう。「音」がキーになるのがわかってきて、音=振動ということで、ああSFっぽくなってきたと思う感じ。その音の奔流が物語として描き出されると、見える映像の鮮やかさで「屍者の帝国」のオルガンのシーンを連想しちゃったりもして。そこに男女の隠微な官能と感情が加わって、五感で味わう世界がさらに広がっていく。この1冊の幕開けとしてはむしろこの異色さこそがぴったりかもしれない。
 「#銀の匙」以降の「自生の夢」連作は強烈な世界観に圧倒される。人の生を記録する言葉と語彙が人を書き出し、世界を構築する。そしてひとたびその世界が崩れたとき、人はどうなるのか。また、「死んだ言葉を継ぎ接ぎして」何かを書き出すことは可能なのか。そんな「ARの次」の世界を描きながら、それでいて現代の情報社会の陥穽、つまり欲しい(と思われる)情報しか取りにいかないことの欠点をも何気なく突いてくるのも面白い。
 「はるかな響き」はもうまんま「2001年宇宙の旅」へのオマージュで(笑)、今度はまた「音楽」、そしてオーバーロード……とまでは言っていないけど。〈響き〉とはもちろん音列であり、それは歌と言葉である。この本に収められた物語を包括するようなラストシーンは、まさにこの1冊の掉尾を飾るにふさわしい。相変わらずの、独創的というありきたりの言葉だけでは表現しきれない物語世界を充分に堪能できる。

 さらに、解説が相当な勢いでネタばらし(いい意味での)してくれるので、思わぬ発見もあって楽しかった。「知をそなえた不滅の言葉と臓器」という一節がなお感慨深い、飛浩隆と伊藤計劃と円城塔のトライアングル。間宮潤堂を「読みたかった」〈忌字禍〉とは、物語の読み手たる我々自身だったということなのだ。そしてもしかするとアリスが潤堂に向けた言葉は、飛氏自身の言葉でもあるのかもしれない。
 ここにこんな貴重なつながりがあったとは知らなかったし、知ることができてよかった。というわけで、「虐殺器官」ももう一度読み直さねばである。ちゃんと見抜けるかどうかは怪しいけれども(笑)。近々文庫になる「文字渦」ばかり気にしていたけども、こうなったら早いとこ「文字禍」も読まねば。

「ゴースト・スナイパー(上)(下)」(著:ジェフリー・ディーヴァー/訳:池田 真紀子)

2020-12-27 19:19:22 | 【書物】1点集中型
 久々のリンカーン・ライムシリーズである。まずもってライムがNYを出ることがあるなんて想像してなかったぞ。
 国家機関で暗躍する敵を追いかけるという展開はこれまでの事件とまた一味違っていて、どうやって犯人たちに迫っていくのか、どう驚かされるのか期待しつつ読み進めた。それにしても、神業の域の狙撃テクニックといい、「旬」ナイフによる拷問といい、毎度毎度、暴力の手口はまさに身の毛もよだつほどである。だからこそそんなことができる犯人ってどんな人物なのかと、怖いもの見たさのようにこの物語世界に惹きつけられてしまう。

 リンカーンがバハマで出会ったポワティエ巡査部長もかなりいい味出している。最初は思うような協力が得られずにいたものの、実際には志を同じくする心強い仲間になった。リンカーンが彼を見る目にはプラスキーに対するそれと同じような雰囲気を感じもして、それが微笑ましいような気にもなったりして。
 そんなポワティエと対極にあると言えるのが、サックスとあまりに反りが合わないローレル地方検事補だろう。人を人とも思わない、自分の仕事を自分の思い描くシナリオ通りに決着させることしか考えていない。でももしかしてその裏には彼女をそうさせる何かがあるんじゃないの? と、犯人たちの人物像に対して思うのとある意味近い感覚で、想像を巡らせたくもなるのである。ローレルに関しては実際にやっぱり背景があって、最終的にはサックスとも理解しあえてよかった。ライムにとっても、また今後の捜査活動に活きる人脈がひとつできたってことにもなるかもしれない。
 しかし、スワンのレシピはいちいち食べたくなるが、まあ素人には作れなさそうだよね、とも思ったり(笑)。そして今回もお約束の、一度は解決したかに見せて、いやまだだいぶページ数が残っている、ほらやっぱり。と思わせてさらに、あれ? でもまだ残ってるぞ、もう1回どんでん返しあるの? ……で、1周回って元通りって、今度はそう来たか。って感じでしたね。

 それにしても今回、ライム(とトム)は文字通り生命の危機から紙一重で脱したわけだけども。最後のライムの決断は……らしいといえばとてもライムらしい。サックスにも後顧(しばらくの)の憂いがなくなり、一緒に捜査を続けられるということがライムにとってはいちばんなんだろう。そして今の自分の身体の状況を、この身体だからこそ今の自分が肯定的に受け止めている。踏ん切りがついていよいよ心身ともに万全になった2人が、今後ますます推理を冴えわたらせるのを楽しみにしたい。