デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




12月の頭のことだが、久しぶりに会った友人と魅惑の清朝陶磁展に行ってきた。
家から待ち合わせの駅に向かうまでに、駅伝が行われるところに遭遇し、待ち合わせの時間までに駅に着くか心配になったが、なんとか間に合った。



数ヶ月ぶりに外で食べるラーメン。美味く感じた。


魅惑の清朝陶磁展は京都国立博物館であった。いかんせん陶磁器についてはまったくといっていいほど知らないままの鑑賞だったので、足早に回る結果となったが、江戸時代における清朝の陶磁器は食器として使用されるというより、自分のステータスを示すような観賞用として飾ること目的で持たれることが多かったという説明が印象に残った。
また、展示品の最後の方には、日本の陶磁器の影響が色濃く見られる清の職人によって作られた作品もあり、18世紀には日本の陶磁器が「輸出されていた」ことが窺い知れ、興味深かった。


 



来館した日には二胡とピアノによるコンサートも催されていた。「シルクロードのテーマ」「蘇州夜曲」「川の流れのように」の三曲を聴いたが、最初の二曲でジーンときてしまい目頭が熱くなった。ただ、二曲目の最後の方で、演奏のホールだけはフラッシュ無し撮影は可だったにも拘わらず、そのことを知らないどこかのおばさんが「撮影禁止よ!」と友人を叱り付けていた。直後にそのおばさんが誤解だったことを認めて謝ってくれたが、友人とともに不愉快な気分になってしまった。なにせ曲の途中だったから。

博物館を出たあとは、南禅寺へ紅葉を見に行った。しかし、博物館を出る直前に館の休憩所でカメラを置き忘れるというドジを踏んだまま南禅寺に来てしまった。寺で気づいてから博物館に電話し、置き忘れた可能性の高い場所を伝えると、しばらくして見つかったと電話が入った。黒のカメラケースを置いた場所が黒色のシートだったことが忘れた原因だった。ちょっとしたところには必ずと言っていいほど持ち歩くカメラがないと心もとないものだが、それよりも友人に気をもましたことが自分にとって残念でならなかったのが正直なところだった。
南禅寺の後、大河ドラマの主人公のお墓に詣でた。



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