デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ラファエロ工房「オスティアの戦闘」(ヴァティカーノ宮火災の間、1514-15)

この絵が塩野七生著『ローマ亡き後の地中海世界』(新潮社)の中で、オスティアの海戦に関する記述の中に図版でもちいられていた。本を読みながら、あぁこの絵は見たことがある、それも実物を見る前に作品について調べていったものだったことを思い出し、過去の旅行写真を引っ張り出してくる作業に没頭した。
絵は、今のイタリア半島や地中海で海賊行為をはたらいていた「サラセン人(北アフリカを制圧したイスラム教徒のアラブ人)」勢力と、ローマ教皇レオ4世がイタリア各地に呼びかけたことで結集した防衛軍とが戦った「オスティアの戦闘」を描いたものだ。画面の奥の方では戦闘が続き、教皇の足元にサラセン人の捕虜たちが跪いている。
世界史をやってない私は、『ローマ亡き後の地中海世界』で初めて800年のシャルル・マーニュ戴冠式から、849年のオスティアの海戦の流れを知ったのだが、少なくとも神聖ローマ帝国としてはサラセン人勢力と戦い初めて勝利したことを絵に描いてでも残しておきたい出来事だったことを、この絵が物語っていることは分かる。ちなみに、ラファエロ自身が描いたのは教皇レオ4世とその背後に立つ二人の枢機卿らしいのだが、レオ4世は画家の同時代人レオ10世の顔になっており、背後に立つ二人の枢機卿はベルナルド・ドヴィーツィ・ダ・ピッピエーナとジュリオ・デ・メディチ(のちのクレメンス7世)だという。
現地にいた頃、この作品についての思い入れは、そこまで強かったわけじゃない。予習して得た知識が人工的な音や記号の域を出ないままで作品を目にしたのは相変わらずであったが、見ておいたものが後々に新たな印象とともに甦える体験も決して悪くないものである。

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