デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ「山上の十字架(テッチェン祭壇画)」1808年

ドレスデンのアルベルティーヌムの一階は彫刻が展示されていたと記憶している。
二階にはノイエマイスターがあって、ガイドブックなどではそこは国立近代絵画館という表示になっている。ドイツロマン派以降のすばらしい作品が展示されているのだ。
ナポレオンのドイツ支配からの解放戦争の時代(ゲーテなども活躍)に生きたドイツロマン派の画家C.D.フリードリヒの作品については、以前こちらでも書いたことがある。写真を撮っているときには、フリードリヒの絵のような風景や空を撮れればいいなぁと思うくらい、今でもフリードリヒの作品は好きである。
芸術のおもしろい要素の一つに、後世に多大な影響を及ぼすような作品が発表されたての頃は、世の物議をかもしたり、もっと卑俗な言い方をすればスキャンダル(醜聞)となって叩かれまくるという"洗礼"を、作者や作品が受けることが多い、といういわば「お約束」がある。
物議は、革新に真っ向から反対する論客がいないと成り立たないわけだが、その真っ向から反対する論客の気持ちが熱ければ熱いほど、叩かれまくる作品のすごさが際立つのは、今も昔も変わらない。
以前紹介したドラクロワもその典型だったが、国は異なるとはいえドラクロワに先んじるフリードリヒのこの絵も、そういった運命をたどった。
この風景画はある貴族のための祭壇画として制作されたが、公開されるやこの絵について議論が起こった。問題を提起したのは古典主義アカデミスムの立場に立つ宮中顧問官ラムドア男爵だった。彼はこの絵が従来の風景画の構築原理に従わず、奥行きや空気遠近もなく、偏平で細部だけ細かく、宗教がより低いジャンルとみなされる風景画が祭壇画に成り上がるのは不遜だとか、その他もろもろ、彼なりの主張を展開した。
もちろん、フリードリヒを擁護する論客もいたので、議論は3ヶ月間も続いた。古典主義に対する新しい芸術の誕生を彩る事件だったわけだが、端折って書けばフリードリヒの「山上の十字架」は、古典主義でおなじみの風景画の美を剥ぎ取って、風景画自体を”象徴”に、つまりは人間の主観性を持ち込んだということになる。その背景には、人間と自然とは根源でつながっていて、また魂はさまざまな段階を経て自己形成していき、最終的には地上を越えたものを目指すというロマン主義らしい考え方がある。
この絵をノイエマイスターで見たときは、事前に読んだフリードリヒ自身による解説が紹介された美術書やガイドブックの助けもあって、それなりに感動した。しかし、熱意はあったものの、何か肝心なことが分かってなかったような気がする。
私なんかに偉そうなことは言えないが、いわゆる風景画と人間の主観性とのつながりをカンバスに表現するとなると、「山上の十字架」のような作品が現れてもおかしくないと、これを書いている今なら思う。ある風景(光景)が自分にとって神秘的なものに思えて、それが自分の内面で持ち続けている美の感覚や自然と一体になりたいという憧れや魂の謎の答えっぽいものに感じられるのは、ときに自己満足と揶揄されようとも幸せなことではと、思うのだ。タルコフスキー映画やプルーストの影響を受けた頃から、フリードリヒの作品について書いている今に至るまで、たぶん私の中で、その考えは変わっていない。しかし作品を見たときには、そのあたりのことを深く享受できてなかったのかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )