デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




アルテ・ナショナルガレリー

やっとアルテ・ナショナルガレリーまでやって来た。博物館島はよく整備されていて、目にする建物も芝生も石畳も人を楽しましてくれるものだったし、またスペースが豊かにとられていて、ゆっくりするのにいい空間だった。



「アルテ」の外観は旅行ガイドブックなどに載っているので、知ってこそいたが、実際にその前に立つと、柱の太さや彫像の荘厳さなどに圧倒された。


それでも0.5ユーロ置いてきた…

「アルテ」の周囲にはストリートミュージシャンが現れるようだった。入館しようと入口に向かっているとき、ピアノの音が聞こえてきたので少し立ち止まった。でも結局、どっかから湧いてくる写真を撮りたいという気持ちだけが先行してしまい、曲は何が弾かれているのかよく分からないままだった。

この旅の主な目的については触れていなかったが、旅のキーワードは三つ「タルコフスキー(映画『ノスタルジア』など)」「ドストエフスキー」「プルースト」だ。
А.タルコフスキーは映像詩と呼ばれるジャンルの映画監督、Ф.ドストエフスキーは19世紀ロシアの文豪、M.プルースト(フランス)は20世紀を代表する2大作家の一人。
「アルテ」にはタルコフスキーの映画を髣髴とさせる絵がある。C.D.フリードリヒ作『エルデナ修道院跡』(1825)である。私は情念に突き動かされると、たった一枚の絵のためにそこまで足を運ぶ性質(たち)なのだ。


C.D.フリードリヒ作『エルデナ修道院跡』(1825)

ドイツロマン派のこの絵について知ったのはいつ頃だったろうか。映画『ノスタルジア』(1983)になぜかひどく感動した時期だった。あの映画の美的センスにくらくらきて、そして郷愁というものがいかに強いものか、ひたすら共感した。ただただ、映画のラストとの関係が論じられることがある『エルデナ修道院跡』を見に行きたかった。
私は実際に絵の前に佇み、なんども館内をめぐってはこの絵の前に立った。
タルコフスキーは『ノスタルジア』をつくる前に、どういう思いでこの絵を見たのか、それにタルコフスキーは本当にこの絵を見たのか、私には分からないが、ただ絵からは、久しぶりに帰省したとき家の周囲が荒れ果てた状態になっているさまを目にしたときに感じるものが、あるのかもしれない。
絵の中の人は顔に皺が刻まれた昔からの住人か、それとも留守にしていた間に移り住んできた人か、とにかく昔のリアルな面影を見出そうとすれば自分で回想するしかない。そこはかつて最良の記憶も最悪の記憶も混在した、生き生きとした時間が存在していた。たしかに存在したのだ…。いかなる人もその場面に立っている当人の見出しているものを共有できはしない、だからこそ貴重なものなのだ…。
館内には他にもたくさんすばらしい作品があった。だが一番印象に残ったのは、やはり『エルデナ修道院跡』だった。

(ベルリンにある主な絵画については、コリン・アイスラー著『ベルリン美術館の絵画』(中央公論社)に載っています)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
素敵な建物ですね (ぱすてる)
2005-10-31 15:50:18
一枚の絵の為だけに・・・

というのが凄く良いですね。

「ベルリン美術館」の作品ってあまり見たことなかったので今度図書館で見てみますね。
 
 
 
図版 (オペラ座の灰燼)
2005-11-03 09:27:39
日本でも世界でも美術館や博物館の建物は

古いけどとても素敵ですよね。

『ベルリン美術館の絵画』は分厚い画集で

とても重たいですが、中央図書館や府立図書館に

あります。

でも、ここで紹介した「エルデナ修道院跡」は

載ってないんです・・・
 
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