デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



『ローマ人の物語』、ハードカバーでいえば1・2・3巻を読み終えた。
私にしてはペースが速い。(しかし理解が追いついているか自信はない)
第三巻の「勝者の混迷」まで読んでの第一印象は、とにかくおもしろい本で、この「物語」が近年の作家や歴史家に大きな影響を与えているのが分かる、といったことである。
さて、これからはあのユリウス・カエサルが中心になる巻に移るわけだが、とりあえず1・2・3巻を通して感じたことを書きたい。
近代の啓蒙思想の影響を多大に受けている西洋の古代ローマ研究者たちの既存の研究成果に囚われることなく、とにかく古代の歴史家が残した記録でもって、長きに渡ったローマ人の所業に肉薄する姿勢は、孤高で力強い。
それ故?かこの人の魅力的な文章の端々に見られる、既存の歴史観に対するチクリとした当てこすりは、博覧強記な孤高さゆえにちょっと辛らつでもある。そこが私にとって、どうも合わない点でもあるが、さすがに第3巻まで読むと、それすら笑いとともに読めてしまうから面白い。
ただ、もしこの「物語」を世間に出る前に読んでたら、それこそすべてを分かった気になって、「物語」に書かれている言葉のコピーに自ら進んで(要するに心酔者に)なっていただろう(笑)。たぶん、これから「物語」の影響が自分の知らんところで出てくるだろうなぁ。

私は塩野氏がその壮大な『ローマ人の物語』の中で、世界中の読者に対し伝えたいことは、1・2・3巻で80%以上語られている気がする。「物語」で述べられているローマの政治システムは現代の政治システムとは異なることが少なくないものの、政治家同士の対立や市民への政策、同盟都市との外交や戦争後の後始末(敗者への政策)、内乱の起こり方、有能な政治家像、その他、学ばされる点は数多い。現代では当然とされている「民主主義」「主権在民」の政治制度の"穴"や実態についても考えさせられた。私が特に目を引いたのは、人間世界というのは理(ことわり)を理解する人が常にマイノリティであること、一日の計(政策)を百年続けさせるような政治家こそ偉大な政治家であること、市民に即歓迎された政策が後々にはやっかいなものになることが意外と多いこと、政策が施行された直後には政府側もしくは市民側にとって評判が悪くとも、それが良策として理解されるまでには多くの年月が必要であることなどだ。
それにしても、人間は大昔も今も同じことを繰り返してるんだなぁ、という思いを「物語」から得た人は、私だけではないのではなかろうか。

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