少し時間が空きましたが、山形旅行記の続きです。
『鶴岡公園』は、酒井家が庄内藩主として約250年来居城とした「鶴ヶ岡城」の跡地を利用した公園です。酒井家は、山形県の大半を領有していた最上家が江戸初期の元和8(1622)年に改易となり、庄内地方13万8千石の領主として移封してきたそうです。酒井氏は、戦国時代の徳川四天王の一人である酒井忠次の嫡流で、譜代の中でも名門の家柄でもあります。

江戸時代の面影は、内堀と石垣くらいしか残っていないのですが、樹齢が100年を超える老杉があったりして当時の名残を感じることができます。酒井家は、庄内藩に移ってきてからは、転封がなく、藩主・家臣・領民の結束が固い藩風を持っていたようです。
また、藤沢周平文学においては「海坂藩」として登場してくる場所でもあります。

公園内には「藤沢周平記念館」が建設されててて、建物的にはほぼ完成しているようだったのですが、館内環境の最終調整を行っているようでした。平成22年春開館だそうです。モダンですっきりとした建物だとは思うのですが、個人的には藤沢文学にはリンクしてないように感じたのですが。。。

「大寶館」です。大正天皇の即位を記念して大正4(1915)年に建てられたもので、物産陳列場・図書館・会議室等に利用されていたそうです。現在は郷土人物資料館として公開されてる、赤い屋根がとても印象的な建物です。

「荘内神社」です。庄内藩主の居城であった鶴ケ岡城の本丸址に建てられています。祭神は荘内藩主である酒井家の、酒井家の初代:酒井忠次、二代:酒井家次、三代:酒井忠勝、九代:酒井忠徳が祀られています。
公園内は、ゆったりとした時間が流れてるとてもいい空気感を持っていました。
いま、藤沢周平の「蝉しぐれ」を読み返しております。藤沢文学は、随分昔(学生の頃)に呼んだのですが、あれから数十年も年を重ねてきたこともあって、随分感じ方が変わってきてます。新しい発見です(^^)v
実際に鶴岡の街を歩いたのも大きいのでしょうね~。
『鶴岡公園』は、酒井家が庄内藩主として約250年来居城とした「鶴ヶ岡城」の跡地を利用した公園です。酒井家は、山形県の大半を領有していた最上家が江戸初期の元和8(1622)年に改易となり、庄内地方13万8千石の領主として移封してきたそうです。酒井氏は、戦国時代の徳川四天王の一人である酒井忠次の嫡流で、譜代の中でも名門の家柄でもあります。

江戸時代の面影は、内堀と石垣くらいしか残っていないのですが、樹齢が100年を超える老杉があったりして当時の名残を感じることができます。酒井家は、庄内藩に移ってきてからは、転封がなく、藩主・家臣・領民の結束が固い藩風を持っていたようです。
また、藤沢周平文学においては「海坂藩」として登場してくる場所でもあります。

公園内には「藤沢周平記念館」が建設されててて、建物的にはほぼ完成しているようだったのですが、館内環境の最終調整を行っているようでした。平成22年春開館だそうです。モダンですっきりとした建物だとは思うのですが、個人的には藤沢文学にはリンクしてないように感じたのですが。。。

「大寶館」です。大正天皇の即位を記念して大正4(1915)年に建てられたもので、物産陳列場・図書館・会議室等に利用されていたそうです。現在は郷土人物資料館として公開されてる、赤い屋根がとても印象的な建物です。

「荘内神社」です。庄内藩主の居城であった鶴ケ岡城の本丸址に建てられています。祭神は荘内藩主である酒井家の、酒井家の初代:酒井忠次、二代:酒井家次、三代:酒井忠勝、九代:酒井忠徳が祀られています。
公園内は、ゆったりとした時間が流れてるとてもいい空気感を持っていました。
いま、藤沢周平の「蝉しぐれ」を読み返しております。藤沢文学は、随分昔(学生の頃)に呼んだのですが、あれから数十年も年を重ねてきたこともあって、随分感じ方が変わってきてます。新しい発見です(^^)v
実際に鶴岡の街を歩いたのも大きいのでしょうね~。