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おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

仲多度広島1

2021年03月19日 23時06分40秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年8月20日)
 2003年に近代建築調査で丸亀市の離島広島に上陸した際に撮影した一枚です。フェリーから降りると最初に目にする、ウエルカムゲートです。本島には時々(といっても2~3年に一回)訪問しますが、広島には滅多に行く機会がないのが実情です。
 広島は、塩飽諸島の島では最大の面積を持ちます。人口は450人程です。島は花崗岩で形成されていて、江戸時代から明治維新までは、人名(にんみょう)という自治制度が敷かれていました。特産品である青木石の採石を行う石材業が主要産業であったが、現在はかなり規模が縮小されているのが現状です。ちなみに豊臣秀吉が大阪城を築城した際にも、青木石も使用されているそうです。


香川県丸亀市広島町江の浦|2003年8月20日おさかな撮影(NIKON E5)

▶仲多度郡広島村の変遷
①村制施行|1890年|明治23年2月15日|那珂郡広島村(なかぐんひろしまむら)
(対象)那珂郡広島・手島
②郡制施行|1889年|明治32年4月1日|仲多度郡広島村(なかたどぐんひろしまむら)
③編入合併|1958年|昭和33年5月1日|丸亀市(まるがめし)第一次
④新設合併|2005年|平成17年3月22日|丸亀市(まるがめし)第二次
(対象)丸亀市・綾歌郡綾歌町・飯山町

幡多後川1

2021年03月14日 21時36分01秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月30日)
 佐田の沈下橋(正式名:今成橋)は、四万十川に架かる沈下橋のうち、最下流に位置し、長さ約291mで最長の橋になります。生田斗真さんや桐谷健太さんらが出演した平成24年(2012)のドラマ「遅咲きのヒマワリ」でも登場したことから、観光シーズンには賑わっているようです。また、平成21年(2009)には、四万十川流域の景観が国の『重要文化的景観』に選定されています。訪問したのは2003年だったので、川で泳いでる人はいましたが、のどかな風景を独占できて、とても心地よかったのを思い出しました。


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十川(佐田の沈下橋から)|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)

▶佐田の沈下橋
住所:高知県四万十市佐田

▶幡多郡後川村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|幡多郡後川村(はたぐんうしろがわむら)
(対象)幡多郡利岡村・若藤村・板ノ川村・鴨川村・敷地村・佐田村・岩田村・田野川村
②新設合併|1954年|昭和29年3月31日|中村市(なかむらし)
(対象)幡多郡中村町・下田町・東山村・蕨岡村・後川村・八束村・具同村・東中筋村・富山村・大川筋村・中筋村
③新設合併|2005年|平成17年4月10日|四万十市(しまんとし)
(対象)中村市・幡多郡西土佐村

高岡佐川1

2021年03月10日 23時24分47秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月29日)
 藩政時代の風情が今も残る高知県高岡郡佐川町の街歩きです。佐川町の中心部である上町地区は、城下町として栄え、商家を中心とした街でした。司牡丹酒造の酒蔵が建ち並ぶ風情のある町並みを楽しむことが出来ます。他にも酒造り商家の一つであった浜口家の屋敷も残っています。当日、写真を撮ってないですが、重要文化財の竹村家住宅・佐川文庫庫舎・名教館・牧野富太郎ふるさと館・青山文庫など見どころが沢山あります。山側の方へ歩いていくと臨済宗妙心寺派の寺院・青源寺があります。見学はしてませんが、土佐三大名園の一つにあげられる庭園があるそうです。


旧浜口家住宅|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


旧浜口家住宅と司牡丹酒造酒蔵|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


酒蔵の町並み|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造 酒ギャラリーほてい|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


青源寺|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


青源寺|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)

▶上町周辺
住所:高知県高岡郡佐川町甲

▶高岡郡佐川村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|高岡郡佐川村(たかおかぐんさかわ-)
②町制施行|1900年|明治33年1月10日|高岡郡佐川町(たかおかぐんさかわちょう)第一次
③新設合併|1954年|昭和29年3月20日|高岡郡佐川町(たかおかぐんさかわちょう)第二次
(対象)高岡郡佐川町・斗賀野村・尾川村・黒岩村

東京麻布2

2021年03月09日 23時02分34秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月25日)
 六本木ヒルズを見学した後、元麻布を散策してみました。東京の中心部に近い場所ではあるものの、大使館や公館があったりする、どことなく静かな町でした。比較的新しい家も外壁が板張りのものがあったりと、東京を感じさせない一面も垣間見ることができました。とはいっても、元麻布ヒルズ フォレストタワーなど現代的なタワーマンションも経ってたりします。西町インターナショナルスクール本部館は、明治期の政治家である松方正義の六男・松方正熊の邸宅で、ヴォーリズの設計による建物です。一般公開はされてないので、見学は外観だけになります。


西町インターナショナルスクール(旧松方正熊邸)|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


元麻布ヒルズフォレストテラスウエスト|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


元麻布ヒルズ フォレストタワー|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


元麻布2丁目附近の風景(狸坂)|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)

▶街歩き場所
住所:東京都港区元麻布

▶麻布区の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月2日|東京府麻布区(とうきょうふあざぶく)
①市制施行|1889年|明治22年5月1日|東京府東京市麻布区(とうきょうふとうきょうしあざぶく)
②都制施行|1943年|昭和18年7月1日|東京都麻布区(とうきょうとあざぶく)
③区設置 |1947年|昭和22年3月15日|東京都港区(とうきょうとみなとく)
(対象)東京都芝区・麻布区・赤坂区

古市・金屋白壁の町並み(柳井市)と岩国・錦帯橋【2003年】

2021年03月03日 23時41分55秒 | 街の風景
※おさかなの旅アーカイブ(2003年6月15日)です。
 下関市からの帰り、柳井市の古市・金屋伝統的建造物群保存地区と岩国市の錦帯橋に立ち寄りました。両地ともこの日が初の訪問でした。
 古市・金屋伝統的建造物群保存地区は、江戸期の商家の町並みが残っていて、白壁の蔵造りの建物が200mに渡って建ち並び、金魚の形をした提灯がぶら下がる独特な雰囲気を醸し出していました。


古市・金屋白壁の町並み 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


古市・金屋白壁の町並み 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


古市・金屋白壁の町並み 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


商家博物館むろやの園 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


佐川醤油店 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


 柳井市の古市・金屋白壁の町並み散策後、岩国市に移動し錦帯橋に立ち寄りました。この日までは写真でしか見てなかったのですが、初めて目にしたとき、凄い迫力にびっくりしたものでした。現在の木造橋は、昭和28年(1953)に再建されたものになります。


錦帯橋 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5

下関市笹山町・豊前田町の風景【2003年】

2021年03月02日 23時56分21秒 | 街の風景
 2003年に下関市で会議があり、休憩時間に30分ほど街歩きした際に撮影したものです。歩いたのは、笹山町と豊前田町あたりです。



下関市豊前田町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000

 銭湯の煙突がいい感じの風景だったのですが、googlemapのストリートビューで確認してみたら、今は駐車場になってました。

下の写真は、笹山町・豊前田町の風景です。こちらは今も残ってるようです。


下関市笹山町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000


下関市笹山町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000


下関市豊前田町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000


下関市笹山町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000

東京都台東区駒形からの風景【2015年】

2021年03月01日 23時55分06秒 | 街の風景
 2015年に東京都台東区の駒形から浅草附近を街歩きした際に撮影した一枚です。隅田川に架かる厩橋のたもとに位置する「うまや渡し跡」付近からスカイツリー方向を見た絵です。


東京都台東区駒形からの風景 2015年2月6日撮影 カメラ:Lumix DMC-GX1

 昔ながらの風情を醸し出してる屋形船に、現代的なスカイツリーのシルエットがいい感じです

白馬乗鞍温泉スキー場【2005年】

2021年02月28日 23時53分50秒 | 街の風景
 もう随分とスキー場に行ってないです。多分2005年に行った『白馬乗鞍温泉スキー場』が今のところ最後のスキー場だと思います。長野県北安曇郡小谷村にあるスキー場ですが、3年ほど連続で訪問しました。最長約2.5km、最大斜度36度で全16コースのかなり大きなスキー場でした(スキー経験はあまりないのであくまで個人的見解です)。もう15年もスキー場に行ってないから、滑れないのだろうけど(もともと上手くはなかったのでよけいにね)。写真整理してたら、下の写真が出てきました。なんか白黒みたい、いや白黒なのかな?


白馬乗鞍温泉スキー場 2005年3月13日撮影 カメラ:Canon IXY DIGITAL L

高松港玉藻防波堤灯台

2021年02月19日 22時36分38秒 | 街の風景
 「赤灯台」とか「せとしるべ」とかの愛称の方がよく知られている『高松港玉藻防波堤灯台』は、高松港の西防波堤の先端に建つ灯台です。世界初の総ガラス張りの灯台で、夜間は灯台全体が赤く発行します。


 もともとの灯台は、昭和39年(1964)に高松港西防波堤灯台として陸岸近くの防波堤に設置され、12月28日に初点灯されました。全体が朱色であったっことから「赤灯台」として親しまれていました。その後サンポート地区が港湾事業で開発されたことにより、北側へ防波堤が伸び、現在の場所に改築移設されました。現在の灯台の初点灯は、平成10年(1998)11月1日になります。高松港玉藻地区のランドマークのひとつとして親しまれています。設計は日本航路標識協会。第6回空間デザインコンペティション銅賞を受賞しています。



開陽丸記念館

2021年02月18日 23時35分55秒 | 街の風景
 開陽丸は、幕末期に幕府海軍に所属していたオランダ製軍艦です。江戸幕府大老井伊直弼の意思を継いだ老中安藤信正によってオランダより導入されました。徳川軍艦としての運用は、1年数ヶ月と短い期間でした。最後は明治元年(1868)、江差沖で座礁し沈没しました。
 昭和50年(1975)、江差町教育委員会によって世界初となる水中・産業考古学の対象として発掘・調査プロジェクトが発足し、大砲やシャフト等の遺構から古文書まで3万点以上の遺留品の引揚げが行われました。その後、平成2年(1990)4月、資料館として開陽丸を原寸大で復元し、開陽丸記念館として開館しています。


虹を見た

2021年02月16日 23時04分34秒 | 街の風景
 池田港で船を待ってた時、虹が現れました。空に架かるって感じではなかったですが、山に登っていく橋みたいで、それはそれでいい感じ。ほんの一瞬の虹だったようで、同行してたメンバーに伝えに行ってたら消えちゃいました(^^;;


 久しぶりに見た虹だったので嬉しかったです(^^)

香色山

2021年02月13日 22時51分33秒 | 街の風景
 善通寺の裏側にある『香色山』です。香川県では多い形状のお椀を伏せたような形の標高153mの山です。山頂には、経塚群があるようです。経塚とは、平安時代から鎌倉時代にかけて仏教が衰退した時期に、経典が滅亡してしまうのを恐れた当時の人々がお経を納めた塚のことで、発見されたときには、全国初ということで話題になっていたそうです。現在は埋め戻されていますが、出土位置がわかるような表示や説明板が取り付けられています。機会があれば行ってみたいと思ってます。


渡月橋【京都市右京区】

2021年02月02日 23時29分01秒 | 街の風景
 嵐山のシンボルとなってる『渡月橋』です。桂川に架かる長さ155mの木製橋です。名前の由来は、平安時代初期に亀山上皇が、月が橋を渡るように移動していく様を見て「まなき月の渡るに似る」と述べたからだそうです。下の写真は2015年6月に撮影したものです。


渡月橋(京都市右京区) 2016年6月5日撮影 カメラ:Canon EOS 50D 撮影:おさかな

瀬戸大橋【飯野山より】

2021年01月24日 22時50分09秒 | 街の風景
 飯野山から見た瀬戸大橋です。飯野山からだと側面じゃなく、正面に近い位置から望むことが出来ます。ちなみに飯野山は標高422mです。小一時間ほどで登れるので、未踏の方は是非登頂してみてください。



大阪市北区菅原町の風景

2021年01月16日 22時09分11秒 | 街の風景
 江戸時代初期の承応2年(1653)に天満青物市場が設立されました。当初、乾物品は青物商の店先に青物と一緒に並べられていましたが、次第に独立した乾物専業の店が出来てきたと考えられています。菅原町にも、乾物問屋街の一角があり、いまも往時の風景を感じることが出来ます。下の写真の、手前の蔵が和田萬の倉庫で、奥の蔵がバーで活用されているVAGRANTです。


 菅原町は、大阪天満宮の祭神菅原道真にちなんだ町名だと考えられています。江戸期には大坂三郷天満組に属していました。場所は、堂島川に架かる難波橋から少し東に歩いたところになります。