goo blog サービス終了のお知らせ 

おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

越智近見1

2021年06月01日 23時21分25秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年11月20日)
 しまなみ海道「来島海峡SA」から見た来島海峡大橋です。供用開始されたのが平成11年(1999)年です。この日が初めてのしまなみ海道だったと思います。瀬戸内海にに3本架けられた橋のうち、一番最後がしまなみ海道だったと思います。当時は橋梁部分が先行して供用開始されてたので、島嶼部分は一般道だったと思います。来島海峡SAから、来島海峡大橋と、対岸の大島をおさめた写真です。


来島海峡大橋[来島海峡SAより]|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)


大島[来島海峡SAより]|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)

▶来島海峡SA
住所:愛媛県今治市大浜町3丁目9-68

▶越智郡近見村(おちぐんちかみむら)の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|越智郡近見村|おちぐんちかみむら
▷越智郡石井・大新田・大浜
②編入合併|1933年|昭和9年2月11日|今治市|いまばりし|第一次
③新設合併|2005年|平成17年1月6日|今治市|いまばりし|第二次
▷今治市・越智郡朝倉村・玉川町・波方町・大西町・菊間町・吉海町・宮窪町・伯方町・上浦町・大三島町・関前村

東牟婁本宮1

2021年05月21日 23時51分37秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年10月24日)
 パワースポットとして有名な和歌山県田辺市本宮町の「大斎原(おおゆのはら)」は、熊野川・音無川・岩田川の合流点にあります。もともとは熊野本宮大社があった場所になります。明治22年(1889)8月に大水害が発生し、社殿の多くが流出し、水害を免れた4社が現在の熊野本宮大社に遷座しました。現在は流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。


大斎原|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)


大斎原|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)


大斎原|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)


大斎原|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)

▶大斎原
住所:和歌山県田辺市本宮町本宮1

▶東牟婁郡本宮村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|東牟婁郡本宮村(ひがしむろぐんほんぐうむら)
▷東牟婁郡本宮村
②新設合併|1956年|昭和31年9月30日|東牟婁郡本宮町(ひがしむろぐんほんぐうちょう)
▷東牟婁郡三里村・本宮村・四村・請川村・敷屋村の一部<小津荷・高山>
③新設合併|2005年|平成17年5月1日|田辺市|たなべし|第二次
▷田辺市・日高郡龍神村・西牟婁郡中辺路町・大塔村・東牟婁郡本宮町

名草黒江1

2021年05月17日 22時32分26秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年10月22日)
 和歌山県海南市黒江は、漆器四大産地のひとつとして400年以上の歴史がある街です。連子格子の町屋が、通りに面して「のこぎりの歯」のように並ぶ特徴のある街の風景を形成しています。なぜ、このような町並みなのかは諸説あるようですが、地形説が一番有力なようです。当日は、じっくりと街歩きできなかったですが、何枚か撮影した写真を掲載します。


海南市黒江の町並み|2004年10月22日おさかな撮影(Canon IXY DIGITAL L)


海南市黒江の町並み|2004年10月22日おさかな撮影(NIKON E5000)


海南市黒江の町並み|2004年10月22日おさかな撮影(NIKON E5000)

▶黒江の町
住所:和歌山県海南市黒江

▶名草郡黒江村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|名草郡黒江村(なぐさぐんくろえ-)
▷名草郡黒江村・船尾浦
②郡制施行|1896年|明治29年4月1日|海草郡黒江村(かいそうぐんくろえ-)
③町制施行|1896年|明治29年7月7日|海草郡黒江町(かいそうぐんくろえちょう)
④新設合併|1934年|昭和9年5月1日|海南市|かいなんし|第一次
▷海草郡黒江町・内海町・日方町・大野村
⑤新設合併|2005年|平成17年4月1日|海南市|かいなんし|第二次
▷海南市・海草郡下津町

与謝伊根1

2021年05月14日 23時06分33秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年10月8日)
 この日が伊根町の街の風景を自分の目で見た最初の日です。とは言っても、時間の関係で「道の駅舟屋の里伊根」からの俯瞰だけだったのですが、感動したの思い出しました。


伊根の俯瞰風景[道の駅 舟屋の里伊根より]|2004年10月8日おさかな撮影(Canon IXY DIGITAL L)


伊根の俯瞰風景[道の駅 舟屋の里伊根より]|2004年10月8日おさかな撮影(Canon IXY DIGITAL L)

▶道の駅 舟屋の里伊根
住所:京都府与謝郡伊根町亀島459

▶与謝郡伊根村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|与謝郡伊根村(よさぐんいねむら)
▷与謝郡亀島村・平田村・日出村
②新設合併|1954年|昭和29年11月3日|与謝郡伊根町(よさぐんいねちょう)
▷与謝郡伊根村・朝妻村・本庄村・筒川村

加佐西大浦

2021年05月10日 23時15分04秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年10月7日)
 舞鶴市の引揚記念公園からの風景です。1枚目が「舞鶴クレインブリッジ」です。平成11年(1999)開通の斜張橋です。2羽の鶴をイメージしたデザインで、鶴の橋を英語読みしたクレインブリッジと名付けられています。2枚目の写真は、平工業団地です。進出企業は、日本板硝子舞鶴事業所(硝子)・林ベニア産業舞鶴工場(木材加工)・丸玉産業舞鶴工場(木材加工)・エナミ精機舞鶴工場(精密機器製造)・カンネツ舞鶴工場(冷却機器製造)となっています。3枚目の写真は、湾を挟んだ対岸の集落です。


引揚記念公園から舞鶴クレインブリッジ|2004年10月7日おさかな撮影(Canon IXY DIGITAL L)


引揚記念公園から平工業団地|2004年10月7日おさかな撮影(Canon IXY DIGITAL L)


引揚記念公園対岸の風景|2004年10月7日おさかな撮影(Canon IXY DIGITAL L)

▶引揚記念公園
住所:京都府舞鶴市字平地内

▶加佐郡西大浦村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|加佐郡西大浦村(かさぐんにしおおうらむら)
▷加佐郡中田村・平村・赤野村・多祢寺村・佐波賀村・千歳村・大丹生村・瀬崎村・三浜村・小橋村
②編入合併|1942年|昭和17年8月1日|東舞鶴氏(ひがしまいづるし)
③新設合併|1943年|昭和18年5月27日|舞鶴市(まいづるし)第二次
▷舞鶴市・東舞鶴市

香美大楠植1

2021年04月30日 22時50分01秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年6月13日)
 旧大楠植村部分の街の風景です。旧街道沿いの風景ですが、山田町との境目部分だったと思います。壁の水切り瓦が高知らしい雰囲気を出しています。


香美市土佐山田町百石町の風景|2004年6月13日おさかな撮影(NIKON E5)


香美市土佐山田町百石町の風景|2004年6月13日おさかな撮影(NIKON E5)

▶撮影場所
住所:高知県香美市土佐山田町百石町1丁目

▶高知市の変遷
① 市制施行|1889年|明治22年4月1日|香美郡大楠植村(かみぐんおおくすうえむら)
(対象)香美郡楠目村・植村・大法寺村
②新設合併|1954年|昭和29年9月1日|香美郡土佐山田町(かみぐんとさやまだちょう)
(対象)香美郡山田町・佐岡村・片地村・大楠植村・明治村・長岡郡新改村
③新設合併|2006年|平成18年3月1日|香美市(かみし)
(対象)香美郡土佐山田町・香北町・物部村

綾歌坂出1

2021年04月27日 23時33分12秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年4月24日)
 香川県坂出市の香風園(こうふうえん)です。坂出市出身の実業家鎌田勝太郎が明治41年(1908)から3年の月日をかけて、別邸に作庭された飯野山・笠山・角山等を借景とした池泉回遊式日本庭園です。写真に写っている建物は「翠松閣・時雨亭」となります。芝生広場を中心とした西洋式庭園も併設されています。池泉回遊式庭園は明治中期から後期にかけて、日本各地に築庭されたのですが、ほぼ原形を維持していることが評価され、坂出市指定名勝となっています。


香風園|2004年4月24日おさかな撮影(NIKON E5)

▶香風園
住所:香川県坂出市本町1丁目3489番地2

▶綾歌郡坂出町の変遷
① 町制施行|1890年|明治23年2月15日|阿野郡坂出町(あやぐんさかいでちょう)
(対象)阿野郡坂出村
② 郡制施行|1899年|明治32年4月1日|綾歌郡坂出町(あやうたぐんさかいでちょう)
③ 市制施行|1942年|昭和17年7月1日|坂出市(さかいでし)

明石垂水2

2021年04月18日 21時02分34秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年1月18日)
 明石海峡大橋は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ、明石海峡の上に架けられた世界最長の吊橋です。全長は3911m、中央支間1991mの規模です。供用開始が平成10年(1998)4月5日となります。下の写真は2004年撮影なので、供用開始から6年ほど経過した時点になります。神戸側には橋桁内に舞子海上プロムナードという遊歩道・展望台が設けられています。この日はそのプロムナードにも行ってたようです。


明石海峡大橋|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)


明石海峡大橋|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)


明石海峡大橋|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)

▶明石海峡大橋
撮影地:兵庫県神戸市垂水区東舞子町

▶明石郡垂水町の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|明石郡垂水村(あかしぐんたるみむら
(対象)明石郡東垂水村・山田村・西垂水村・多聞村・塩屋村・下畑村・名谷村
②町制施行|1928年|昭和3年11月1日|明石郡垂水町(あかしぐんたるみちょう)
③編入合併|1941年|昭和16年7月11日|神戸市須磨区(こうべしすまく)
④分  区|1946年|昭和21年11月1日|神戸市垂水区(こうべしたるみく)

明石明石2

2021年04月15日 23時52分34秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年1月18日)
 JR朝霧駅から明石市役所附近にかけて広がっている大蔵海岸は、古来から白砂青松の海岸として風光明媚な景観で親しまれていました。海岸線に沿って国道28号が整備された際に、護岸が堤防と消波ブロックで固められ、釣り客が集う海岸となっていました。ところが「明石海峡大橋」が架けられたことにより、橋を一望できるスポットとして「海浜公園」として再生されることになり、平成5年(1993)から整備が始まり、平成10年(1998)から供用が開始されました。この日は多分、2回目か3回目の散策だったと思います。ふなまちで玉子焼を食べた後の訪問でした。


大蔵海岸公園 磯浜と明石海峡大橋|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)


大蔵海岸公園 磯浜|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)


大蔵海岸公園 磯浜と明石海峡大橋|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)


大蔵海岸公園 中央休憩所|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)


大蔵海岸公園 中央休憩所|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)


大蔵海岸公園 磯浜と淡路島|2004年1月18日おさかな撮影(NIKON E5)

▶大蔵海岸公園
住所:兵庫県明石市大蔵海岸通

▶明石郡明石町の変遷
①町制施行|1889年|明治22年4月1日|明石郡明石町(あかしぐんあかし-)
(対象)明石郡明石城下・当津村・王子村・大明石村・大蔵谷村
②市制施行|1919年|大正8年11月1日|明石市(あかしし)

温泉道後湯之町1

2021年04月01日 23時25分02秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年11月23・24日)
 道後温泉本館です。2003年に訪問した際の写真です。現在大規模改修を行っているので、どの様な変化があるのか楽しみではあります。道後温泉本館は、平成6年(1994)に重要文化財に指定されています。重要文化財に指定されているのは4棟で、神の湯本館棟は明治27年(1894)、又新殿・霊の湯棟は明治32年(1899)、玄関棟と南棟は大正13年(1924)の建築です。


道後温泉本館|2003年11月23日おさかな撮影(NIKON E5)


道後温泉本館|2003年11月23日おさかな撮影(NIKON E5)


道後温泉本館|2003年11月24日おさかな撮影(NIKON E5)

 伊予鉄道後温泉駅近くには、坊っちゃんカラクリ時計があります。商店街アーケードに「カフェ・ド・なも」ってカフェがあったのですが、閉店してしまってるようです。


坊っちゃんカラクリ時計|2003年11月23日おさかな撮影(NIKON E5)


カフェ・ド・なも|2003年11月23日おさかな撮影(NIKON E5)

▶道後温泉本館
住所:愛媛県松山市道後湯之町5-6

▶温泉郡道後湯之町の変遷
①町制施行|1889年|明治22年12月15日|温泉郡道後湯之町(おんせんぐんどうごゆのまち)
(対象)温泉郡道後村[町分]
②編入合併|1944年|昭和19年4月1日|松山市(まつやまし)

仲多度丸亀2

2021年03月31日 22時57分35秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年10月29日)
 丸亀は丸亀城の城下町として機能していた町です。城主は京極家で、万治元年(1658)から明治維新まで在封していました。江戸後期頃からは、金毘羅参詣の隆盛により繁栄していました。丸亀港に着いた参詣客は丸亀城下の西寄りの道を通り、城下の出口で、番所が置かれた中府口に着き、金毘羅に向うのが一般的なコースだったようです。中府町の金毘羅街道沿いには、歴史的建造物がわずかですが今も残っています。


丸亀市中府町の町並み|2003年10月29日おさかな撮影(NIKON E5)


丸亀市中府町の町並み|2003年10月29日おさかな撮影(NIKON E5)

▶写真撮影場所
住所:香川県丸亀市中府町

▶丸亀市の変遷
①町制施行|1890年|明治23年2月15日|那珂郡丸亀町(なかぐんまるがめ-)
(対象)那珂郡丸亀・中府村・地方村・津森村の一部・鵜足郡土居村
②市制施行|1899年|明治32年4月1日|丸亀市(まるがめし)第一次
③新設合併|2005年|平成17年3月22日|丸亀市(まるがめし)第二次
(対象)丸亀市・綾歌郡綾歌町・飯山町

鹿児島吉野1

2021年03月30日 23時15分52秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年10月26日)
 仙巌園だけではありましたが、この日が初めての鹿児島県でした。桜島を一望できる風景に圧倒されたのを思い出しました。桜島は、その名の通り元々は島だったのですが、大正3年(1914)の噴火で、鹿児島市の対岸となる大隅半島と陸続きになっています。仙巌園(せんがんえん)は、薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園となります。万治元年(1658)に第19代当主であった、島津光久によって造園され、歴代当主による改築が重ねられています。桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴ではありますが、この日は庭と桜島の一緒に納めた写真は撮ってなかったようです。


桜島(仙巌園)より|2003年10月26日おさかな撮影(NIKON E5)


桜島(仙巌園)より|2003年10月26日おさかな撮影(NIKON E5)


鶴嶺神社|2003年10月26日おさかな撮影(NIKON E5)


磯御殿|2003年10月26日おさかな撮影(NIKON E5)


桜島(仙巌園)より|2003年10月26日おさかな撮影(NIKON E5)

▶仙巌園
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町9700−1

▶鹿児島郡吉野村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|鹿児島郡吉野村(かごしまぐんよしのむら)
(対象)鹿児島郡吉野村・坂元村・下田村・川上村・岡之原村
②編入合併|1934年|昭和9年8月1日|鹿児島市(かごしまし)

佐用平福1

2021年03月27日 23時55分19秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年10月19日)
 因幡街道最大の宿場町として栄えた宿場町である平福は兵庫県佐用郡佐用町に位置します。格子や蔵造りの家並み、佐用川の川面に映る土蔵が、とても印象的な街です。また、期間は30年と短かったですが、城下町であった時代もありあす。平福の町から利神山頂に築かれていた利神城跡を見ることができます。城主は池田輝政の甥・池田出羽守由之です。町はずれには江戸時代の刑場跡と伝えられる場所に六地蔵が建てられています


佐用川沿いの風景|2003年10月19日おさかな撮影(NIKON E5)


佐用川沿いの風景|2003年10月19日おさかな撮影(NIKON E5)


平福本陣跡|2003年10月19日おさかな撮影(NIKON E5)


稲葉街道沿いの風景|2003年10月19日おさかな撮影(NIKON E5)


たつ乃屋本店|2003年10月19日おさかな撮影(NIKON E5)


利神城跡|2003年10月19日おさかな撮影(NIKON E5)


六地蔵・刑場跡|2003年10月19日おさかな撮影(NIKON E5)

▶宿場町平福
住所:兵庫県佐用郡佐用町平福

▶佐用郡平福村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|佐用郡平福村(さようぐんひらふくむら)
(対象)佐用郡平福村・庵村・延吉村
②町制施行|1928年|昭和3年10月1日|佐用郡平福町(さようぐんひらふくちょう)
③新設合併|1955年|昭和30年3月1日|佐用郡佐用町(さようぐんさようちょう)第一次
(対象)佐用郡佐用町・長谷村・平福町・石井村・江川村
④新設合併|2005年|平成17年10月1日|佐用郡佐用町(さようぐんさようちょう)第二次
(対象)佐用郡佐用町・上月町・南光町・三日月町

仲多度丸亀1

2021年03月26日 23時26分46秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年9月17日)
 2003年9月に近代遺産調査で街歩きした際に撮影した丸亀市福島町の風景です。福島町は、JR丸亀駅の北側に位置します。この時には、歴史的建造物もたくさん残っていて、趣のある街の風景だったのですが、現在、写真に写ってる建物の大部分は現存していません。寂しい限りです。


津坂洋服店(現存せず)|2003年9月17日おさかな撮影(NIKON E5)


金毘羅街道沿いにあった建物(現存せず)|2003年9月17日おさかな撮影(NIKON E5)


JR丸亀駅北口附近の建物(右半分は現存せず)|2003年9月17日おさかな撮影(NIKON E5)

▶写真撮影場所
住所:香川県丸亀市福島町

▶丸亀市の変遷
①町制施行|1890年|明治23年2月15日|那珂郡丸亀町(なかぐんまるがめ-)
(対象)那珂郡丸亀・中府村・地方村・津森村の一部・鵜足郡土居村
②市制施行|1899年|明治32年4月1日|丸亀市(まるがめし)第一次
③新設合併|2005年|平成17年3月22日|丸亀市(まるがめし)第二次
(対象)丸亀市・綾歌郡綾歌町・飯山町

仲多度本島1

2021年03月23日 22時58分21秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年8月20日)
 丸亀市・広島散策の後、本島の「笠島まち並保存地区」に移動しました。ここは昭和60年(1985)、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。笠島地区は塩飽水軍の根拠地として機能していた笠島城の城下町にあたります。中世から塩飽の政治・経済の中⼼地で、港から⼊ってくる敵からの襲撃に対応できるよう、⾒通しがきかないように曲げられた道やT字路が⾒られるのは、城下町ならではの町割りです。ちなみに、笠島城は天霧城(現・善通寺市)の城主であった香川氏の一族である福田又次郎でしたが、長曽我部元親の侵攻により落城しています。 


笠島まち並保存地区|2003年8月20日おさかな撮影(NIKON E5)


笠島まち並保存地区|2003年8月20日おさかな撮影(NIKON E5)


笠島まち並保存地区|2003年8月20日おさかな撮影(NIKON E5)

▶笠島まち並保存地区
住所:香川県丸亀市本島町笠島

▶仲多度郡本島村の変遷
①村制施行|1890年|明治23年2月15日|那珂郡本島村(なかぐんほんじまそん)
(対象)那珂郡本島・牛島
②郡制施行|1889年|明治32年4月1日|仲多度郡本島村(なかたどぐんほんじまそん)
③編入合併|1954年|昭和29年3月31日|丸亀市(まるがめし)第一次
④新設合併|2005年|平成17年3月22日|丸亀市(まるがめし)第二次
(対象)丸亀市・綾歌郡綾歌町・飯山町