音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD■

2009-05-10 11:17:39 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD ■
                  09.5.10 中村洋子


★チャイコフスキー作曲「四季」は、ロシアのピアニスト、

ウラジーミル・トロップが、録音したCD

(DEON COCO‐80118)を、愛聴しています。

この演奏は、一音ずつの音の、和声的意味と、

モティーフの構成のなかでの、その音の果たしている役割とが、

鮮明に、美しく表現されていると同時に、

ロシアの四季、風土を、心から愛していることが、

しみじみと、伝わってくる名演です。


★かなり、昔のことになりますが、

トロップ教授(グネーシン音楽アカデミー)の、

公開講座が、東京で開かれました。

私も、それに参加いたしました。

以下は、トロップ教授から聴いたお話です。

(通訳を介したお話ですので、正確ではないかもしれません)


★チャイコフスキーの「四季」は、ロシアの音楽家にとって、

とても重要な曲で、(公開講座があった当時)、

チャイコフスキー・コンクールで、必ず、この「四季」から、

2曲を、演奏することになっていたそうです。


★各曲の、冒頭に記されている、

詩(エピグラフ)は、チャイコフスキーが作曲した後に、

出版社の提案で、付けられたようだ。

“チャイコフスキーは、「四季」の12曲を、

毎月1曲ずつ書いて、出版社に渡した”、

という話は、伝説であり、自分はそうでない、と思う。

毎月、プツンプツンと作曲していたのであったら、

全12曲が、これほど、有機的には結び付いていないはず。

出版(1876年)の前年11月、あるいは12月ごろ、

「1月~炉辺で」が、作曲されたが、

「5月~白夜から」から、「12月~クリスマス」までは、

その後、おそらく一気に、書かれたであろう。


★トロップ教授は、「四季」の初演者を、

タネーエフ Taneyev ではなく、

イグームノフ というピアニストではなかったか、

と、推測していました。

イグームノフは、チャイコフスキーの死後、

彼が遺したピアノ作品を、次々と初演した人物です。

イグームノフが残した「四季」に関する、

貴重な言葉を、トロップ教授は、たくさん紹介されました。

曲のイメージが、よくつかめます。

以下はその言葉です。


★「1月~炉辺で」について、

“ ロシアの冬は、早く日が沈み、夜がとてもとても長い。

家の中で、ずっと過ごす。

長い長い物語を、語り合うように弾く曲 ”

“暖炉の前の絨毯に、寝そべって遊んでいた

子ども時代を、思い出す ”

“ すべてが、薄暗い部屋の中で出来事 ”

“ 最後の100小節目、3回奏される4分音符の音は、

暖炉の燃え尽きそうな薪が、パチパチと音を立て、

最後に一瞬輝き、そして、炎が消える情景 ”


★「2月~冬送りの祭(マースレニッツァ)」

“ まだ外は、冷たく寒い風が吹いているが、

市場は、復活祭を前に、賑わっている ”

“ 85小節目の L'istesso tempo の部分は、

昔、定期市で見た変わった情景。

なんと、クマさんを、連れて歩いていた男がいた、

それを、思い出す ”

“ 最後の3小節は、市場から、人々が去ってしまい、

復活祭のお祝いが、終わりました ”。


★(きょうは、ここまでです。写真は、紫蘭)


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