■ チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD ■
09.5.10 中村洋子
★チャイコフスキー作曲「四季」は、ロシアのピアニスト、
ウラジーミル・トロップが、録音したCD
(DEON COCO‐80118)を、愛聴しています。
この演奏は、一音ずつの音の、和声的意味と、
モティーフの構成のなかでの、その音の果たしている役割とが、
鮮明に、美しく表現されていると同時に、
ロシアの四季、風土を、心から愛していることが、
しみじみと、伝わってくる名演です。
★かなり、昔のことになりますが、
トロップ教授(グネーシン音楽アカデミー)の、
公開講座が、東京で開かれました。
私も、それに参加いたしました。
以下は、トロップ教授から聴いたお話です。
(通訳を介したお話ですので、正確ではないかもしれません)
★チャイコフスキーの「四季」は、ロシアの音楽家にとって、
とても重要な曲で、(公開講座があった当時)、
チャイコフスキー・コンクールで、必ず、この「四季」から、
2曲を、演奏することになっていたそうです。
★各曲の、冒頭に記されている、
詩(エピグラフ)は、チャイコフスキーが作曲した後に、
出版社の提案で、付けられたようだ。
“チャイコフスキーは、「四季」の12曲を、
毎月1曲ずつ書いて、出版社に渡した”、
という話は、伝説であり、自分はそうでない、と思う。
毎月、プツンプツンと作曲していたのであったら、
全12曲が、これほど、有機的には結び付いていないはず。
出版(1876年)の前年11月、あるいは12月ごろ、
「1月~炉辺で」が、作曲されたが、
「5月~白夜から」から、「12月~クリスマス」までは、
その後、おそらく一気に、書かれたであろう。
★トロップ教授は、「四季」の初演者を、
タネーエフ Taneyev ではなく、
イグームノフ というピアニストではなかったか、
と、推測していました。
イグームノフは、チャイコフスキーの死後、
彼が遺したピアノ作品を、次々と初演した人物です。
イグームノフが残した「四季」に関する、
貴重な言葉を、トロップ教授は、たくさん紹介されました。
曲のイメージが、よくつかめます。
以下はその言葉です。
★「1月~炉辺で」について、
“ ロシアの冬は、早く日が沈み、夜がとてもとても長い。
家の中で、ずっと過ごす。
長い長い物語を、語り合うように弾く曲 ”
“暖炉の前の絨毯に、寝そべって遊んでいた
子ども時代を、思い出す ”
“ すべてが、薄暗い部屋の中で出来事 ”
“ 最後の100小節目、3回奏される4分音符の音は、
暖炉の燃え尽きそうな薪が、パチパチと音を立て、
最後に一瞬輝き、そして、炎が消える情景 ”
★「2月~冬送りの祭(マースレニッツァ)」
“ まだ外は、冷たく寒い風が吹いているが、
市場は、復活祭を前に、賑わっている ”
“ 85小節目の L'istesso tempo の部分は、
昔、定期市で見た変わった情景。
なんと、クマさんを、連れて歩いていた男がいた、
それを、思い出す ”
“ 最後の3小節は、市場から、人々が去ってしまい、
復活祭のお祝いが、終わりました ”。
★(きょうは、ここまでです。写真は、紫蘭)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.5.10 中村洋子
★チャイコフスキー作曲「四季」は、ロシアのピアニスト、
ウラジーミル・トロップが、録音したCD
(DEON COCO‐80118)を、愛聴しています。
この演奏は、一音ずつの音の、和声的意味と、
モティーフの構成のなかでの、その音の果たしている役割とが、
鮮明に、美しく表現されていると同時に、
ロシアの四季、風土を、心から愛していることが、
しみじみと、伝わってくる名演です。
★かなり、昔のことになりますが、
トロップ教授(グネーシン音楽アカデミー)の、
公開講座が、東京で開かれました。
私も、それに参加いたしました。
以下は、トロップ教授から聴いたお話です。
(通訳を介したお話ですので、正確ではないかもしれません)
★チャイコフスキーの「四季」は、ロシアの音楽家にとって、
とても重要な曲で、(公開講座があった当時)、
チャイコフスキー・コンクールで、必ず、この「四季」から、
2曲を、演奏することになっていたそうです。
★各曲の、冒頭に記されている、
詩(エピグラフ)は、チャイコフスキーが作曲した後に、
出版社の提案で、付けられたようだ。
“チャイコフスキーは、「四季」の12曲を、
毎月1曲ずつ書いて、出版社に渡した”、
という話は、伝説であり、自分はそうでない、と思う。
毎月、プツンプツンと作曲していたのであったら、
全12曲が、これほど、有機的には結び付いていないはず。
出版(1876年)の前年11月、あるいは12月ごろ、
「1月~炉辺で」が、作曲されたが、
「5月~白夜から」から、「12月~クリスマス」までは、
その後、おそらく一気に、書かれたであろう。
★トロップ教授は、「四季」の初演者を、
タネーエフ Taneyev ではなく、
イグームノフ というピアニストではなかったか、
と、推測していました。
イグームノフは、チャイコフスキーの死後、
彼が遺したピアノ作品を、次々と初演した人物です。
イグームノフが残した「四季」に関する、
貴重な言葉を、トロップ教授は、たくさん紹介されました。
曲のイメージが、よくつかめます。
以下はその言葉です。
★「1月~炉辺で」について、
“ ロシアの冬は、早く日が沈み、夜がとてもとても長い。
家の中で、ずっと過ごす。
長い長い物語を、語り合うように弾く曲 ”
“暖炉の前の絨毯に、寝そべって遊んでいた
子ども時代を、思い出す ”
“ すべてが、薄暗い部屋の中で出来事 ”
“ 最後の100小節目、3回奏される4分音符の音は、
暖炉の燃え尽きそうな薪が、パチパチと音を立て、
最後に一瞬輝き、そして、炎が消える情景 ”
★「2月~冬送りの祭(マースレニッツァ)」
“ まだ外は、冷たく寒い風が吹いているが、
市場は、復活祭を前に、賑わっている ”
“ 85小節目の L'istesso tempo の部分は、
昔、定期市で見た変わった情景。
なんと、クマさんを、連れて歩いていた男がいた、
それを、思い出す ”
“ 最後の3小節は、市場から、人々が去ってしまい、
復活祭のお祝いが、終わりました ”。
★(きょうは、ここまでです。写真は、紫蘭)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲