■チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD(続)■
09.5.11 中村洋子
★5月21日の「第10回 バッハ・インヴェンション講座 」では、
バッハの「フランス組曲」と「インヴェンション」との
関係についても、お話したいと思っています。
両曲は、大変、密接な関係にあり、
「舞曲」という表題が、ついていなくても、
ヨーロッパの、クラシック音楽は、
舞曲的要素が、含まれているかどうか、
注意深く分析して、演奏に生かすべきだと思います。
★チャイコフスキー「四季」も、「12月」は
「 Tempo di Valse 」 (ワルツのテンポ)と、
記載されていますが、残りの月も、
舞曲あるいは、彼のバレー音楽との類似を、
見て取ることが、できます。
★トロップ教授の、チャイコフスキー「四季」についての、
解説の、続きです。
★「3月~雲雀の歌」 冬が終わり、あらゆる生き物が息づき始める。
荒々しさではなく、柔らかく、繊細で、優雅な曲。
13小節目の、2拍目メロディーは、雲雀の鳴き声を模している。
★「4月~松雪草」 気温が上がり、大地が緩み、雪が溶け、
天気も、変わりやすくなる。
はかなくも、もろい喜びと、悲しみの混ざり合っているような曲。
★「5月~白夜」 この曲は、
エピグラフ「なんと、すべてが心地よい夜だろう。
この北の故国に感謝する。氷と雪の王国から、
この新鮮で、清々しい5月が、やってきた」 と、
密接に、かかわり合っている。
全曲に、優しさと平穏さが満ちている。
★「6月~舟歌」 夏の気配が、にじみ出ている。
夜の音楽。
32小節目は、川面に寄せる、波の動きを模しています。
★「7月~草刈人の歌」 合唱曲的な要素が入っており、
畑で働く農民が、歌っている。
最後の2小節は、刈り取りを終えた畑、
何も残っていないが、熱い空気だけが、残る。
そんな雰囲気が、漂っている。
★「8月~刈り入れ」 夏の最後。
人々は、ずっしりと実ったライ麦を、
根元から、手際よく、刈り取っていく。
★「9月~狩」 ライ麦の収穫が終わると、
さあ、狩のシーズンだ。
“ いまだ、いまだ、さあ行くぞ ” と、角笛が鳴り響く。
★「10月~秋の歌」 ロシアの10月は、長く厳しい真冬を前に、
先が見えないような “ 悲劇的な ” 月である。
喪失。
チャイコフスキー自身も、10月に亡くなった。
これは、ニ短調で作曲されているが、
ニ短調という調は、悲しみを増幅させる。
ベートーヴェンのソナタも、同様である。
★「11月~トロイカ」 トロイカは、
かつての、ロシアの3頭立て馬車のこと。
喪失の悲しみは、次第に元気を回復していく。
(以下は私の推測です)
大変な、お母さんっ子だったチャイコフスキーは、
子供時代、全寮制の寄宿舎で、
生活していたことが、ありました。
お母さんが、寄宿舎を訪問後、
トロイカに乗って、また帰っていきます。
寂しさから、そのトロイカの後を、涙ぐみながら、
走って、追いかけたのかもしれません。
★「12月~クリスマス」
(トロップ教授のお話は、年の初めのほうに力が入り、
後半は短いコメントのみで、12月はありませんでした)
エピグラム「クリスマスの夕べに、娘たちは、占いをした。
脱いだスリッパを、門の向こうに放り投げた」
(ジューコスフキーの詩)
以下は、私の分析です。
日本でも、雨占いで、下駄を空に向けて、放り投げましたが、
娘たちがスリッパに託したのは、自分の恋占いでしょうか。
この曲は、ワルツの形式です。
母に早死にされたチャイコフスキーが、
母存命中の味わった、それはそれは暖かい、
家庭的なクリスマスに、思いを馳せ、
偲んでいるようです。
(写真は、ムラサキカタバミの花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.5.11 中村洋子
★5月21日の「第10回 バッハ・インヴェンション講座 」では、
バッハの「フランス組曲」と「インヴェンション」との
関係についても、お話したいと思っています。
両曲は、大変、密接な関係にあり、
「舞曲」という表題が、ついていなくても、
ヨーロッパの、クラシック音楽は、
舞曲的要素が、含まれているかどうか、
注意深く分析して、演奏に生かすべきだと思います。
★チャイコフスキー「四季」も、「12月」は
「 Tempo di Valse 」 (ワルツのテンポ)と、
記載されていますが、残りの月も、
舞曲あるいは、彼のバレー音楽との類似を、
見て取ることが、できます。
★トロップ教授の、チャイコフスキー「四季」についての、
解説の、続きです。
★「3月~雲雀の歌」 冬が終わり、あらゆる生き物が息づき始める。
荒々しさではなく、柔らかく、繊細で、優雅な曲。
13小節目の、2拍目メロディーは、雲雀の鳴き声を模している。
★「4月~松雪草」 気温が上がり、大地が緩み、雪が溶け、
天気も、変わりやすくなる。
はかなくも、もろい喜びと、悲しみの混ざり合っているような曲。
★「5月~白夜」 この曲は、
エピグラフ「なんと、すべてが心地よい夜だろう。
この北の故国に感謝する。氷と雪の王国から、
この新鮮で、清々しい5月が、やってきた」 と、
密接に、かかわり合っている。
全曲に、優しさと平穏さが満ちている。
★「6月~舟歌」 夏の気配が、にじみ出ている。
夜の音楽。
32小節目は、川面に寄せる、波の動きを模しています。
★「7月~草刈人の歌」 合唱曲的な要素が入っており、
畑で働く農民が、歌っている。
最後の2小節は、刈り取りを終えた畑、
何も残っていないが、熱い空気だけが、残る。
そんな雰囲気が、漂っている。
★「8月~刈り入れ」 夏の最後。
人々は、ずっしりと実ったライ麦を、
根元から、手際よく、刈り取っていく。
★「9月~狩」 ライ麦の収穫が終わると、
さあ、狩のシーズンだ。
“ いまだ、いまだ、さあ行くぞ ” と、角笛が鳴り響く。
★「10月~秋の歌」 ロシアの10月は、長く厳しい真冬を前に、
先が見えないような “ 悲劇的な ” 月である。
喪失。
チャイコフスキー自身も、10月に亡くなった。
これは、ニ短調で作曲されているが、
ニ短調という調は、悲しみを増幅させる。
ベートーヴェンのソナタも、同様である。
★「11月~トロイカ」 トロイカは、
かつての、ロシアの3頭立て馬車のこと。
喪失の悲しみは、次第に元気を回復していく。
(以下は私の推測です)
大変な、お母さんっ子だったチャイコフスキーは、
子供時代、全寮制の寄宿舎で、
生活していたことが、ありました。
お母さんが、寄宿舎を訪問後、
トロイカに乗って、また帰っていきます。
寂しさから、そのトロイカの後を、涙ぐみながら、
走って、追いかけたのかもしれません。
★「12月~クリスマス」
(トロップ教授のお話は、年の初めのほうに力が入り、
後半は短いコメントのみで、12月はありませんでした)
エピグラム「クリスマスの夕べに、娘たちは、占いをした。
脱いだスリッパを、門の向こうに放り投げた」
(ジューコスフキーの詩)
以下は、私の分析です。
日本でも、雨占いで、下駄を空に向けて、放り投げましたが、
娘たちがスリッパに託したのは、自分の恋占いでしょうか。
この曲は、ワルツの形式です。
母に早死にされたチャイコフスキーが、
母存命中の味わった、それはそれは暖かい、
家庭的なクリスマスに、思いを馳せ、
偲んでいるようです。
(写真は、ムラサキカタバミの花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲