■ナショナル・エディション、 エキエル版 の Chopin-Ballade 2番は、ショパンの意図どおりか?-②■
2011.8.14 中村洋子
★前回は、Chopin ショパンのフレーズの特徴を書きましたが
今回は、それに関連して、ショパンが、このバラード2番の
冒頭を、どのように書き始めていたか、分析します。
★自筆譜を見ますと、驚くべきことが、発見できます。
現在、私たちが知っています 「 決定稿 」 の 1、 2小節は、
右手、左手ともに、 「C」 の repeated notes です。
1小節目は、8分の 6拍子の 3拍目に 「C」 の 8分音符、
4拍目に 「C」 の 4分音符、6拍目に 「C」 の 8分音符、があります。
この曲の冒頭 1小節目は、 6拍子の 3拍目から始まり、
1、2拍目が存在しない 「 不完全小節 」 です。
ところが、自筆譜を見ますと、最初は、
次のように、複雑に書かれていました。
★冒頭の音符は、 「C」 で、それは、現在の第 1小節の前に、
アウフタクトの 8分音符として書かれていました。
その次に、 1小節目の 1拍目として、 「C」 の 4分音符を、
置いていました。
このため、 ≪ 8分音符のアウフタクトを伴った、
「 完全小節 」の1小節目 ≫ というのが、
ショパンの、当初の構想でした。
★これは、常識的な分かりやすい構成です。
それを、ショパンは推敲した結果、2つの音、つまり、
6拍目・アウフタクト 「 C 」 と、 1小節目の 1拍目 「 C 」、
それに、小節線を、削除していました。
縦線と斜線でそれらを消してありますが、上記の音符は、読み取れます。
★ここで重要なのは、スラーによって表現されるフレージングが、
自筆譜で、どのように記載されているか・・・ということです。
★右手については、現在の 1小節 3拍目の少し前から始まり、
しかも、放物線状ではなく、五線譜にほぼ平行に、低くたなびくように、
6小節目まで、続きます。
しかし、このスラーの終わりは、前回ブログでの説明のように、
5拍目で終わり、次のスラーは ≪ 0、5拍 ≫ の空白の後、
「 5、5拍目 」 から、始まります。
★左手スラーは、削除された 1拍目の 「 C 」 の少し後から、
始まっています。
つまり、現行の冒頭音符、つまり 3拍目 8分音符より、
少し前から、スラーは始まっているのです。
★作曲家は、いつの時点で、スラーを書き込むのでしょうか?
音符を記譜し終わった後に、スラーは記譜するものなのです。
では、ショパンは、いつの時点で、
アウフタクトと 1拍目 「C」 を、削除したのでしょうか。
★二通りの考え方が、できます。
一つは、削除前にスラーを書き込んでいた場合です。
右手は、1拍目の強拍の 4分音符 「C」 の後から、
スラーが始まる、という不自然な形になります。
左手は、 1拍目から始まっているように、
見ることは、無理に見ますと可能です。
しかし、右手のスラーについては、削除前に書かれていた、
とみることは、ほとんど無理です。
左手スラーは、アウフタクトにはスラーがかからず、
1拍目からフレーズが始まる、という解釈も可能ですが、
その場合、右と左のスラーを、別々の時点に書いた、
としか、解釈できません。
やはり、この推測は、かなり無理があります。
★削除した後に、スラーを書き込んだ場合ですが、
私は、これが正解であると、思います。
つまり、冒頭の 3拍目 「 C 」 が始まる前から、
このスラーによってくくられるフレーズが、
既に、始まっているということになります。
音の打鍵を意味する 「 音符 」 の位置と、
フレーズとは、前回のブログで解説いたしましたように、
一致しては、いないのです。
★ここでもう一つ、重要なことは、
ペダルの記号を、冒頭音 ( 3拍目 8分音符 ) の下に記譜し、
3小節目 3拍目の直後に、ペダルの足を放す記号を付しています。
1、2小節は、「 C 」 の repeated notes のみですから、
この和声が、「 トニック F A C 」 の 「 C 」 か、
「 ドミナント C E G 」 の 「 C 」 であるのかは、
分かりません。
★3小節目の、1拍目から 3拍目までは、
「 トニック F A C 」 の和音です。
1、2小節目の、やや曖昧な響きのなかから、
3小節のトニックが、生まれ出てくる、というイメージです。
★ショパンが削除した音符の 「 時間軸 」
( 8分音符と、4分音符を合わせた長さ ) から、
既に、音楽が、フレーズが始まっている、といえます。
初めての 「 C 」 が、両手で打鍵された時、
そこから、音楽が始まるのではなく、
霧の中から、少しずつ、音楽が生まれ出し、
その最初に、はっきり見える音が、
冒頭の開始音である、というように、
ショパンが意図していたのではないかと、思います。
★このように、曲が始まっていなければ、
この曲の価値は、半減していたことでしょう。
そこにショパンの天才が、発揮されていたのです。
これがショパンの偉大さです。
このように、推敲を重ねるのは、バッハと同じです。
★National Edition エキエル版は、
ここでの右手と左手スラーを、冒頭音の符頭と符尾から、
申し訳程度に、1ミリ弱ほど左のところから、始めています。
また、脚注には、冒頭のアウフタクトなどの削除や、
どうして、このスラーを微妙な位置から始めたか、
については、なにも、記載していません。
★PETERS ペータース版 ( A New Critical Edtion = Jim Samson ) は、
右手スラーについては、通常の楽譜の記譜法のように、
冒頭音の符頭から、始めています。
左手スラーは、通常ならば、符尾のすぐ下から、始めるところを、
かなり下の方に、かなり距離を置いて始めています。
この距離に対し、注意深い演奏者は、
「 どうして、こんなに下から始めているのだろうか? 」 と、
違和感を、感じるでしょう。
脚注では、その理由について、何も触れていません。
★エキエル版が、ナショナル・エディション 原典版 、
Chopin Ballades Urtext
National Edition Edited by Jan Ekier として、
「 Urtext 」 を、標榜する以上、
これらの点を、脚注などに、明記すべきである、と思います。
★演奏家にとって、最も知りたい情報は、
実は、作曲家がどのように書いていたか、ということです。
それを、正確に伝える楽譜を ≪ Urtext ≫ と、いうのです。
★EKIER 版や PETERS 版 の編集者は、ここの部分で、
ショパンが ≪ 通常でないフレーズ ≫ にしていることに、
気付いてはいるものの、その意図を十分に読み取れず、
念のために、スラーの記譜でそれらしく、
ほのめかしたのでしょう。
しかし、この点こそが、この曲で最も重要なことなのです。
★演奏の ‘ コツ ’ を一つ、お話します。
この曲を弾き始める前に、ショパンが削除した、
≪ アウフタクトの C と、1小節目 1拍目の C ≫ を、
心の中で演奏し、3拍目から、決定稿のように、
「 C 」 を、弾き始めてください。
幻想的な、素晴らしい音楽が、
自然に、湧き上がってくることでしょう。
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