■ショパン・ナショナル・エディション(エキエル版)は、本当に原典版か?■
09.5・31 中村洋子
★6月7日のカワイ・アナリーゼ講座「前奏曲とは何か~」で、
お話します ≪ショパンの「エチュード Op.25 の1番」
変イ長調≫ の勉強をしています。
Op.25の12曲中、第1番と8番のみ、ショパンの直筆譜が、
完全な形で、残されています。
4、5、6、12番は、フォンタナの筆写譜、2、3、7、9、10、11番は、
グートマンによる筆写譜が、残されております。
フォンタナとグートマンの筆写譜は、ショパンが目を通し、補い、
認めているものですので、信頼度が高いものです。
★このすべてを、ワルシャワの「ポーランド国立図書館」が所有し、
ファクシミリ版として、現在、入手可能です。
★今回、私の講座で扱います「エチュード Op.25 の1番」は、
ショパン直筆の手稿譜が、幸い、残されています。
バッハ「インヴェンション」の手稿譜を勉強しているときと、
同様に、たくさんの発見と、
ショパンの音楽の奥深さに対する驚きを、感じています。
それと同時に、いままで、手元に置いておりました数種類の
「原典版」が、本当に「urtext」 と言えるのか、
疑問に、感じました。
★ドイツ語の「ur」は、名詞の前につけますと、
「根源の」という意味になります。
ですから、「urtext」は「原典、原本」という意味になります。
この本来の意味から考えますと、「urtext」の楽譜は、
ショパン直筆の楽譜を、改竄したり、
現在の編集者が独自につくった、「規格」に当てはめて、
ショパンの音楽や楽譜を、勝手に変更してはならない、
ということに、なります。
★バッハの「インヴェンション」も、バッハ直筆では、
上声はソプラノ記号、下声を、バス記号やアルト記号で、
表記しています。
しかし、現代の市販楽譜では、ト音記号とヘ音記号の、
いわゆる「大譜表」に置き換えられています。
この「大譜表版」では、符尾のつながり方が、
ガラリと、変わってしまいます。
★例を挙げますと、2声のインヴェンションであっても、
バッハは、下声にテノールやソプラノの声部をイメージしたり、
上声にも、ソプラノやアルトなどの2声を想定して、書いており、
2声のインヴェンションは、「2声部」の曲ではないのです。
この「大譜表」への置換えにより、楽譜を見て得られる、
曲の大きなアウトラインが、大きく、変わってしまいます。
★私は、まずこの段階で、これを「urtext」と、
言っていいものか、甚だ、疑問に思います。
最大限、その箇所、その箇所の、音楽的意味を
考えた結果として、大譜表に移したのであれば、
「urtext」表示は、止むを得ないのですが、
新バッハ全集から編集したとされる、
「ベーレンライター版」ですら、編集者が、
合議して作った規則を「法則化」し、機械的に、
バッハの音楽に当てはめて、楽譜を作成しているため、
バッハの明らかな意図が、無視されている点が、
多々あります。
★例えば、2声のインヴェンション8番 ヘ長調の、
最後の終止和音の右手「ラドファ」の符尾を、
バッハは3本、別々に書いております。
しかし、ベーレンライター版は、これを1本に、
まとめてしまっています。
バッハが、3本を別々にした理由は、その3つの音を、
明確に、3声に分けて考えている、あたかも、
3人の奏者が、同時に演奏しているような曲想のとき、
バッハは、よく、このような記譜法を、採用しています。
★これを、1本にまとめてしまいますと、単なる、
3和音のイメージしか、湧き上がらず、
3声を、感じることはありません。
「ヘンレ版」は、賢明にも、ここをバッハの手稿譜どおりに、
3本の線にして、記しています。
ベーレンライター版は、編集者が自分たちで作った規則を、
機械的に当てはめて、楽譜を作成し、
バッハの「意図」を損ねている部分が、多くあるように、
見受けられます。
★「インベンション」につきましては、私のカワイ講座で、
その都度、バッハの直筆譜と、「urtext」が、どう違うか、
どう演奏に反映させるべきか、お話しています。
★ショパンにつきましても、現在、権威とされています
「ナショナル・エディション(エキエル版)」に、
同様な問題点が、あるようです。
★直筆譜と「エキエル版」を比べて、最初に気付くのは、
8小節目から9小節目にかけての、「スラーの掛け方」です。
ショパンは、明らかに、スラーの終わりの音を、
9小節目の頭の「ミ♭」まで、延ばしています。
しかし、「エキエル版」では、8小節目の終わりまでしか、
スラーは、延びていません。
★作曲家が、これだけハッキリと書いているのですから、
「urtext」と、するならば、
ショパンの記譜どおりにすべきである、と思います。
また、エキエル版では、8小節目に「フォルテ」、
9小節目に「ピアノ」の記号が、付されていますが、
ショパン直筆譜では、8小節目に「フォルテ」、
8小節目と9小節目を分ける、小節線の真上のところに、
「ピアノ」記号が、付けられています。
ショパンの大譜表は、ト音記号の上声と、ヘ音記号の下声を
真っ直ぐに、一本に繋がない場合が多く、そのために、
ト音譜表と、ヘ音譜表の間に、空間を作ることができ、
その空間に、彼の重要なメッセージが、
込められていることが、多いのです。
★この問題の8、9小節目で、ショパンがなぜ、
普通ではないスラーの付け方をしたかは、
バッハの「前奏曲」の概念と、深い関係があるため、
講座で、お話いたします。
★いま指摘しました二点は、曲の構成上、
重要な意味を、持っており、
それを、エキエル版のように、大雑把に、
小奇麗に、まとめてしまっては、ショパンが、
どのように、“この曲を演奏して欲しい” と思ったか、
彼が、どういう風に演奏しながら作曲したか、については、
この版からは、何も浮かび上がってこないのです。
★“手書き譜のように、印刷譜を作ることはできないのだ”、
という編集者の先生方の声が、聞こえてきそうですが、
現代の技術をもってすれば、可能な限り見やすく、かつ、
手書き譜の意図を十全に汲んだ楽譜を、
印刷出版することは、そう難しくはない、と思います。
★「urtext」は、現在の段階では、「原典版」ではなく、
編集者の先生方の、「校訂版」と思って、
付き合っていくのが、妥当のようです。
編集者の先生方は、「音楽家」の方は少なく、
まして、対位法、和声、作曲法を習得されている方は、
そう多くは、ないようです。
「楽譜を読む」ということは、実際に対位法、
和声を土台とする厳密な作曲法を、実践し,
身につけた音楽家にしか、解読できないことも多いのです。
さらに、最も大切なことですが、「音楽に対する愛情」
「作曲家に対する尊敬」がないと、
無理なのでは、ないでしょうか。
★私が指摘しました原典版編集者の規則は、どうも、
統計的手法に、基づいているようです。
10例のうち、9例がある方法で書かれていると、
残りの1例は、たとえ、異なった書き方がしてあっても、
9例と同じと判断して、書き直しているようです。
ところが、その1例の “例外的” な記譜こそが、
天才の天才たる所以 、なのです。
ショパンの「エチュード Op.25 の1番」の、
9小節目が、まさに、その天才の証明です。
★たまたま、バッハの「ベーレンライター版」、
ショパンの「エキエル版」という、現在、
最も権威とされる版を、例にとり、書きましたが、
やはり、楽譜の購入者である私たちが、
それらを、盲信することなく、
機会があれば、直筆のファクシミリ版も、
勉強していく、という姿勢をとる人が増えていけば、
もっと、信頼の置ける「urtext」版も、
増えてくることでしょう。
7日の講座では、このファクシミリ版から、
分かることを、さらに、お話する予定です。
※参照:http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110812
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110814
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1b0894d939c7afd7be182701f536756f
(ヤブヘビイチゴの実)
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