音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ショパン・ナショナル・エディション(エキエル版)は、本当に原典版か?■

2009-05-31 23:56:44 | ■私のアナリーゼ講座■

■ショパン・ナショナル・エディション(エキエル版)は、本当に原典版か?■
                     09.5・31 中村洋子


★6月7日のカワイ・アナリーゼ講座「前奏曲とは何か~」で、

お話します ≪ショパンの「エチュード Op.25 の1番」

変イ長調≫ の勉強をしています。

Op.25の12曲中、第1番と8番のみ、ショパンの直筆譜が、

完全な形で、残されています。

4、5、6、12番は、フォンタナの筆写譜、2、3、7、9、10、11番は、

グートマンによる筆写譜が、残されております。

フォンタナとグートマンの筆写譜は、ショパンが目を通し、補い、

認めているものですので、信頼度が高いものです。


★このすべてを、ワルシャワの「ポーランド国立図書館」が所有し、

ファクシミリ版として、現在、入手可能です。


★今回、私の講座で扱います「エチュード Op.25 の1番」は、

ショパン直筆の手稿譜が、幸い、残されています。

バッハ「インヴェンション」の手稿譜を勉強しているときと、

同様に、たくさんの発見と、

ショパンの音楽の奥深さに対する驚きを、感じています。

それと同時に、いままで、手元に置いておりました数種類の

「原典版」が、本当に「urtext」 と言えるのか、

疑問に、感じました。


★ドイツ語の「ur」は、名詞の前につけますと、

「根源の」という意味になります。

ですから、「urtext」は「原典、原本」という意味になります。

この本来の意味から考えますと、「urtext」の楽譜は、

ショパン直筆の楽譜を、改竄したり、

現在の編集者が独自につくった、「規格」に当てはめて、

ショパンの音楽や楽譜を、勝手に変更してはならない、

ということに、なります。


★バッハの「インヴェンション」も、バッハ直筆では、

上声はソプラノ記号、下声を、バス記号やアルト記号で、

表記しています。

しかし、現代の市販楽譜では、ト音記号とヘ音記号の、

いわゆる「大譜表」に置き換えられています。

この「大譜表版」では、符尾のつながり方が、

ガラリと、変わってしまいます。


★例を挙げますと、2声のインヴェンションであっても、

バッハは、下声にテノールやソプラノの声部をイメージしたり、

上声にも、ソプラノやアルトなどの2声を想定して、書いており、

2声のインヴェンションは、「2声部」の曲ではないのです。

この「大譜表」への置換えにより、楽譜を見て得られる、

曲の大きなアウトラインが、大きく、変わってしまいます。


★私は、まずこの段階で、これを「urtext」と、

言っていいものか、甚だ、疑問に思います。

最大限、その箇所、その箇所の、音楽的意味を

考えた結果として、大譜表に移したのであれば、

「urtext」表示は、止むを得ないのですが、

新バッハ全集から編集したとされる、

「ベーレンライター版」ですら、編集者が、

合議して作った規則を「法則化」し、機械的に、

バッハの音楽に当てはめて、楽譜を作成しているため、

バッハの明らかな意図が、無視されている点が、

多々あります。


★例えば、2声のインヴェンション8番 ヘ長調の、

最後の終止和音の右手「ラドファ」の符尾を、

バッハは3本、別々に書いております。

しかし、ベーレンライター版は、これを1本に、

まとめてしまっています。

バッハが、3本を別々にした理由は、その3つの音を、

明確に、3声に分けて考えている、あたかも、

3人の奏者が、同時に演奏しているような曲想のとき、

バッハは、よく、このような記譜法を、採用しています。


★これを、1本にまとめてしまいますと、単なる、

3和音のイメージしか、湧き上がらず、

3声を、感じることはありません。

「ヘンレ版」は、賢明にも、ここをバッハの手稿譜どおりに、

3本の線にして、記しています。

ベーレンライター版は、編集者が自分たちで作った規則を、

機械的に当てはめて、楽譜を作成し、

バッハの「意図」を損ねている部分が、多くあるように、

見受けられます。


★「インベンション」につきましては、私のカワイ講座で、

その都度、バッハの直筆譜と、「urtext」が、どう違うか、

どう演奏に反映させるべきか、お話しています。


★ショパンにつきましても、現在、権威とされています

「ナショナル・エディション(エキエル版)」に、

同様な問題点が、あるようです。


★直筆譜と「エキエル版」を比べて、最初に気付くのは、

8小節目から9小節目にかけての、「スラーの掛け方」です。

ショパンは、明らかに、スラーの終わりの音を、

9小節目の頭の「ミ♭」まで、延ばしています。

しかし、「エキエル版」では、8小節目の終わりまでしか、

スラーは、延びていません。


★作曲家が、これだけハッキリと書いているのですから、

「urtext」と、するならば、

ショパンの記譜どおりにすべきである、と思います。

また、エキエル版では、8小節目に「フォルテ」、

9小節目に「ピアノ」の記号が、付されていますが、

ショパン直筆譜では、8小節目に「フォルテ」、

8小節目と9小節目を分ける、小節線の真上のところに、

「ピアノ」記号が、付けられています。

ショパンの大譜表は、ト音記号の上声と、ヘ音記号の下声を

真っ直ぐに、一本に繋がない場合が多く、そのために、

ト音譜表と、ヘ音譜表の間に、空間を作ることができ、

その空間に、彼の重要なメッセージが、

込められていることが、多いのです。


★この問題の8、9小節目で、ショパンがなぜ、

普通ではないスラーの付け方をしたかは、

バッハの「前奏曲」の概念と、深い関係があるため、

講座で、お話いたします。


★いま指摘しました二点は、曲の構成上、

重要な意味を、持っており、

それを、エキエル版のように、大雑把に、

小奇麗に、まとめてしまっては、ショパンが、

どのように、“この曲を演奏して欲しい” と思ったか、

彼が、どういう風に演奏しながら作曲したか、については、

この版からは、何も浮かび上がってこないのです。


★“手書き譜のように、印刷譜を作ることはできないのだ”、

という編集者の先生方の声が、聞こえてきそうですが、

現代の技術をもってすれば、可能な限り見やすく、かつ、

手書き譜の意図を十全に汲んだ楽譜を、

印刷出版することは、そう難しくはない、と思います。


★「urtext」は、現在の段階では、「原典版」ではなく、

編集者の先生方の、「校訂版」と思って、

付き合っていくのが、妥当のようです。

編集者の先生方は、「音楽家」の方は少なく、

まして、対位法、和声、作曲法を習得されている方は、

そう多くは、ないようです。

「楽譜を読む」ということは、実際に対位法、

和声を土台とする厳密な作曲法を、実践し,

身につけた音楽家にしか、解読できないことも多いのです。

さらに、最も大切なことですが、「音楽に対する愛情」

「作曲家に対する尊敬」がないと、

無理なのでは、ないでしょうか。


★私が指摘しました原典版編集者の規則は、どうも、

統計的手法に、基づいているようです。

10例のうち、9例がある方法で書かれていると、

残りの1例は、たとえ、異なった書き方がしてあっても、

9例と同じと判断して、書き直しているようです。

ところが、その1例の “例外的” な記譜こそが、

天才の天才たる所以 、なのです。

ショパンの「エチュード Op.25 の1番」の、

9小節目が、まさに、その天才の証明です。


★たまたま、バッハの「ベーレンライター版」、

ショパンの「エキエル版」という、現在、

最も権威とされる版を、例にとり、書きましたが、

やはり、楽譜の購入者である私たちが、

それらを、盲信することなく、

機会があれば、直筆のファクシミリ版も、

勉強していく、という姿勢をとる人が増えていけば、

もっと、信頼の置ける「urtext」版も、

増えてくることでしょう。

7日の講座では、このファクシミリ版から、

分かることを、さらに、お話する予定です。

※参照:http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110812

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110814

 http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1b0894d939c7afd7be182701f536756f

                       
                          (ヤブヘビイチゴの実) 
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