音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■アルベルト・シュバイツァーの卓越したバッハ・インヴェンションへの評価■

2009-05-17 17:31:27 | ■私のアナリーゼ講座■
■アルベルト・シュバイツァーの卓越したバッハ・インヴェンションへの評価■
                09.5.17   中村洋子


★5月27日に開催する「第10回バッハ・インヴェンション講座」の、

勉強を、続けています。

第9番で、曲集としての大きな頂点を、迎えましたが、

その後の10番は、インヴェンションとシンフォニアともに、

弾けるような、喜びに満ちた曲となっています。


★今回の講座では、「フランス組曲」との関連、それを、

ピアノで演奏する際、どう応用するか、についてお話します。

さらに、インヴェンションとシンフォニアが、

なぜ、15曲構成になっているか、

平均律クラヴィーア曲集(24曲)や、

フランス組曲(6曲)、無伴奏チェロ組曲(6曲)のように、

なぜ、6の倍数の曲数に、なっていないか・・・

についても、分析をお話します。


★最高のオルガニストであった アルベルト・シュヴァイツァーの

著書「バッハ」には、インヴェンションについての、記述があります。

この本の日本語訳もありますが、典型的な翻訳調文章ですので、

それを読んでも、シュバイツァーの言いたいことが、

多分、伝わらないと、思われます。

このため、英文から、直接、訳して以下に記しました。


★≪現代の平均的な音楽家が、作曲理論について、

乏しい知識しか、もちあわせていなかったとしても、

その音楽家が、もし、本物の芸術と偽物の芸術とを、

厳しく見分ける力を、もっていたとすると、

それは、まさに、バッハのインヴェンションの

お陰である、ということができる。


★このインヴェンションを、練習したことがある子どもは、

ピアノ習得のための一過程として、機械的に、

練習していたとしても、その子どもは、

多声部の作曲法を、身につけている、といえる。

それは決して、消え去ることのないものである。


★それを習得した子どもは、どんな音楽に接しても、

本能的に、その音楽の中で、インヴェンションと同じように、

多声部が、巧みに見事に、織り込まれているかどうか、

探求するように、なるのである。

そして、多声部が、紡がれていない部分は、

貧困な音楽である、と感じるのである。≫


★この言葉を、もっと単純化すると、次のようになります。

≪インヴェンションを学びさえすれば、本物の芸術と偽物とを、

区別できる能力が、自然に養われる。

そして、それは、終生、消え去らないのである。

(私は、子どもに限らず、大人でも、同様のことが言える、と思います)


★“このシュヴァイツァーの評価ほど、インヴェンションの本質を、

的確に表現したものはない”というのが、私の感想です。


★バッハのインヴェンションに関する資料は、現在、以下のように、

①1723年の、バッハ自筆清書譜、

②1720年の、「フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」
       に含まれる初稿。

③1723年ころ、バッハの弟子(名前はunknown)が筆写した楽譜
         (以前は、バッハ自筆と見なされていた)、

④1725年に、バッハの弟子のハインリヒ・ニコラウス・ゲルバー
        の手で、筆写された楽譜。

の4点が、存在します。


★1723年のバッハ自筆清書譜は、現在、

ベルリンのドイツ国立図書館が、所有しています。

そのファクシミリ版をつぶさに見て、分かること、

学べることについても、講座で、

詳しく、お話したいと思います。

この自筆譜を、読み込めば読み込むほど、

バッハが、どのように、この曲を、演奏して欲しかったか、

手に取るように、分かってきます。

興味は、尽きません。


             (写真は、茉莉花)
          
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