■ミヨー作曲、2台ピアノのための「スカラムーシュ」~ミヨー作品に占める位置■
09.3.21 中村洋子
★3月24日のカワイ「インヴェンション・アナリーゼ講座」の準備で、
忙しい毎日ですが、皆様もご経験がおありと思いますが、
忙しい時ほど、関係ない本を読んでしまったり、
片付けをしたり、なにか、気が散るような行動をとりがちですね。
★2日前のブログで書きました「2台ピアノ」と「連弾」コンサートの、
プログラムノートから、抜粋の1回目をお送りいたします。
★ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」や、ショパン「バラード1番」、
シューマン「ピアノソナタ Op.22」の3曲は、作曲家のなかで、
特殊な位置を、占めています。
ミヨーの「スカラムーシュ」も同様に、発想したときから、
20年かかって、やっと、完成されています。
以下が、プログラムノートです。
★フランスの作曲家 Darius Milhaud ダリウス・ミヨー
(1892~1974)は、第一次世界大戦中の1917年、
フランスの駐ブラジル公使となった作家ポール・クローデルの、
秘書官として、リオデジャネイロに渡り、
そこで、ブラジル音楽と出会います。
真夜中、カーニバル会場に着いたミヨーは、
サンバの強烈なリズムに、身も心もしびれ、虜になります。
ミヨーは、そのカーニバル音楽を分析し、
シンコペーションや休止の合い間を、
自らピアノで、再現できるまでになりました。
★しかし、ブラジルのサンバの影響が色濃い、
この曲が完成したのは、それから20年後の、1937年のことです。
心で温め、作品として結実するまでに、時間の掛かるいい例です。
スカラムーシュとは、古典喜劇の道化役者のこと。
カーニバルのパレードで見た道化の華麗な衣装が、
焼きついていたのでしょうか。
完成時、ミヨーは、「この曲は誰も弾かないよ」と、
出版を、渋っていました。
友人のピアニストのために、いわば、
肩の力を抜いて作った曲だった、だからでしょうか。
★しかし、その飽きない楽しさから、人気が高まり、
楽譜は予想外にたくさん売れ、現在に至るまで、
ミヨーの最も親しまれる曲として、弾かれ続けています。
★ミヨーの自伝 ≪「ダリウス・ミヨー 幸福だった私の一生」
Ma vie heureuse 音楽の友社、別宮貞雄 訳≫は、
多分、入手困難かもしれませんが、
図書館などで一読を、お薦めいたします。
当時のフランスの音楽界が、よく分かります。
(写真の花は、シデ辛夷です)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.3.21 中村洋子
★3月24日のカワイ「インヴェンション・アナリーゼ講座」の準備で、
忙しい毎日ですが、皆様もご経験がおありと思いますが、
忙しい時ほど、関係ない本を読んでしまったり、
片付けをしたり、なにか、気が散るような行動をとりがちですね。
★2日前のブログで書きました「2台ピアノ」と「連弾」コンサートの、
プログラムノートから、抜粋の1回目をお送りいたします。
★ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」や、ショパン「バラード1番」、
シューマン「ピアノソナタ Op.22」の3曲は、作曲家のなかで、
特殊な位置を、占めています。
ミヨーの「スカラムーシュ」も同様に、発想したときから、
20年かかって、やっと、完成されています。
以下が、プログラムノートです。
★フランスの作曲家 Darius Milhaud ダリウス・ミヨー
(1892~1974)は、第一次世界大戦中の1917年、
フランスの駐ブラジル公使となった作家ポール・クローデルの、
秘書官として、リオデジャネイロに渡り、
そこで、ブラジル音楽と出会います。
真夜中、カーニバル会場に着いたミヨーは、
サンバの強烈なリズムに、身も心もしびれ、虜になります。
ミヨーは、そのカーニバル音楽を分析し、
シンコペーションや休止の合い間を、
自らピアノで、再現できるまでになりました。
★しかし、ブラジルのサンバの影響が色濃い、
この曲が完成したのは、それから20年後の、1937年のことです。
心で温め、作品として結実するまでに、時間の掛かるいい例です。
スカラムーシュとは、古典喜劇の道化役者のこと。
カーニバルのパレードで見た道化の華麗な衣装が、
焼きついていたのでしょうか。
完成時、ミヨーは、「この曲は誰も弾かないよ」と、
出版を、渋っていました。
友人のピアニストのために、いわば、
肩の力を抜いて作った曲だった、だからでしょうか。
★しかし、その飽きない楽しさから、人気が高まり、
楽譜は予想外にたくさん売れ、現在に至るまで、
ミヨーの最も親しまれる曲として、弾かれ続けています。
★ミヨーの自伝 ≪「ダリウス・ミヨー 幸福だった私の一生」
Ma vie heureuse 音楽の友社、別宮貞雄 訳≫は、
多分、入手困難かもしれませんが、
図書館などで一読を、お薦めいたします。
当時のフランスの音楽界が、よく分かります。
(写真の花は、シデ辛夷です)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲