音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ ヴォルフガング・ベッチャーの「荒城の月」を聴く ■

2007-12-24 17:24:00 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
2006/9/11(月)

★ 9月3日、チェリスト「ヴォルフガング・ベッチャー リサイタル」を

神奈川県・葉山町文化会館で聴きました。

ベッチャー先生は、8月に来日され、草津音楽祭で、コンチェルト、室内楽、

チェロのマスタークラスなどで大忙しでした。

9月に入ってから大阪、都内でリサイタルをされ、3日の葉山は最後のリサイタルでした。

アンコールで、私の編曲「荒城の月」を、演奏していただきました。

数年前に、この「荒城の月」を演奏されたときは、“ドイツ訛り”の荒城の月でした。

2年前の王子ホールでは、すっかり手の内に入り、情熱的で心に迫ってくる名演でした。

ところが、今回はどうでしょう。

まるで、日本のお能の一風景のような演奏でした。

風にそよぐススキの向こうに、月が侘しくぼんやりと浮かんでいます。

荒涼とした幻想的な風景が浮かび上がってきました。

音も押さえ気味で、一見地味に聴こえます。

しかし、よく観察しますと、チェロの秘術を尽くしているのが分りました。

まるで、名女優・杉村春子さんのお辞儀を見ているようでした。

何気ないお辞儀の動作の中に、首の角度、手の配置、眼差し、腰の微妙な浮かせ方などが

絶妙にコントロールされ、一つの動作が生まれている。

そして、その動作があまりに自然なため、技の極地であることが気付かれない。

ベッチャー先生も、弓の角度、弦に弓を置く位置、力の入れ方など精緻を極めた演奏でした。

ドイツ人である先生が、日本の曲をここまで弾き込まれるとは思いませんでした。

「枯淡の境地」という言葉に近いかもしれません。

逆にいいますと、音楽を本当に理解している聴き手ではないと、このような演奏は、

日本人であっても良さを感じ取ることは難しいでしょう。

前回の演奏ですと、ブラボーが飛ぶこともありえますが、

今回はそのような見掛けの興奮とは縁遠い静謐な世界でした。

コンサート後、楽屋にお尋ねしますと、先生は「オー、コンポーザー」といって飛んで来て

くださいました。

演奏の感想を求められ、私は「“日本の月”を観ました」とお答えしました。



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