2006/9/11(月)
★ 9月3日、チェリスト「ヴォルフガング・ベッチャー リサイタル」を
神奈川県・葉山町文化会館で聴きました。
ベッチャー先生は、8月に来日され、草津音楽祭で、コンチェルト、室内楽、
チェロのマスタークラスなどで大忙しでした。
9月に入ってから大阪、都内でリサイタルをされ、3日の葉山は最後のリサイタルでした。
アンコールで、私の編曲「荒城の月」を、演奏していただきました。
数年前に、この「荒城の月」を演奏されたときは、“ドイツ訛り”の荒城の月でした。
2年前の王子ホールでは、すっかり手の内に入り、情熱的で心に迫ってくる名演でした。
ところが、今回はどうでしょう。
まるで、日本のお能の一風景のような演奏でした。
風にそよぐススキの向こうに、月が侘しくぼんやりと浮かんでいます。
荒涼とした幻想的な風景が浮かび上がってきました。
音も押さえ気味で、一見地味に聴こえます。
しかし、よく観察しますと、チェロの秘術を尽くしているのが分りました。
まるで、名女優・杉村春子さんのお辞儀を見ているようでした。
何気ないお辞儀の動作の中に、首の角度、手の配置、眼差し、腰の微妙な浮かせ方などが
絶妙にコントロールされ、一つの動作が生まれている。
そして、その動作があまりに自然なため、技の極地であることが気付かれない。
ベッチャー先生も、弓の角度、弦に弓を置く位置、力の入れ方など精緻を極めた演奏でした。
ドイツ人である先生が、日本の曲をここまで弾き込まれるとは思いませんでした。
「枯淡の境地」という言葉に近いかもしれません。
逆にいいますと、音楽を本当に理解している聴き手ではないと、このような演奏は、
日本人であっても良さを感じ取ることは難しいでしょう。
前回の演奏ですと、ブラボーが飛ぶこともありえますが、
今回はそのような見掛けの興奮とは縁遠い静謐な世界でした。
コンサート後、楽屋にお尋ねしますと、先生は「オー、コンポーザー」といって飛んで来て
くださいました。
演奏の感想を求められ、私は「“日本の月”を観ました」とお答えしました。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
★ 9月3日、チェリスト「ヴォルフガング・ベッチャー リサイタル」を
神奈川県・葉山町文化会館で聴きました。
ベッチャー先生は、8月に来日され、草津音楽祭で、コンチェルト、室内楽、
チェロのマスタークラスなどで大忙しでした。
9月に入ってから大阪、都内でリサイタルをされ、3日の葉山は最後のリサイタルでした。
アンコールで、私の編曲「荒城の月」を、演奏していただきました。
数年前に、この「荒城の月」を演奏されたときは、“ドイツ訛り”の荒城の月でした。
2年前の王子ホールでは、すっかり手の内に入り、情熱的で心に迫ってくる名演でした。
ところが、今回はどうでしょう。
まるで、日本のお能の一風景のような演奏でした。
風にそよぐススキの向こうに、月が侘しくぼんやりと浮かんでいます。
荒涼とした幻想的な風景が浮かび上がってきました。
音も押さえ気味で、一見地味に聴こえます。
しかし、よく観察しますと、チェロの秘術を尽くしているのが分りました。
まるで、名女優・杉村春子さんのお辞儀を見ているようでした。
何気ないお辞儀の動作の中に、首の角度、手の配置、眼差し、腰の微妙な浮かせ方などが
絶妙にコントロールされ、一つの動作が生まれている。
そして、その動作があまりに自然なため、技の極地であることが気付かれない。
ベッチャー先生も、弓の角度、弦に弓を置く位置、力の入れ方など精緻を極めた演奏でした。
ドイツ人である先生が、日本の曲をここまで弾き込まれるとは思いませんでした。
「枯淡の境地」という言葉に近いかもしれません。
逆にいいますと、音楽を本当に理解している聴き手ではないと、このような演奏は、
日本人であっても良さを感じ取ることは難しいでしょう。
前回の演奏ですと、ブラボーが飛ぶこともありえますが、
今回はそのような見掛けの興奮とは縁遠い静謐な世界でした。
コンサート後、楽屋にお尋ねしますと、先生は「オー、コンポーザー」といって飛んで来て
くださいました。
演奏の感想を求められ、私は「“日本の月”を観ました」とお答えしました。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲