2007/5/27(日)
★5月6日、録音も2日目に入りました。
一日目で、かなり満足できるいい録音が取れましたが、さらに良いものを目指すため、
この日は、ゆったりとした気持ちで、新たに録音に臨みました。
合間には、楽しい会話も弾みました。
★「ヨウコは、お能を習っているのですか」と先生
「私も能を観たことがありますが、ワーグナーのオペラ的な長さですね」
「能の演者は、歳をとればとるほど、いいのですか」とご質問。
「私のお能の先生は、40代ですが、まだ若手といわれています」と答えますと、
ベッチャー先生は、満足そうにうなずいていらっしゃいました。
★歳を重ねることにより、芸術の真の姿が現われてくる「お能」と、
いま現在、歳とともに充実し、追随を許さない高みへと上昇しているご自身を、
重ね合わせられたのでしょう。
世阿弥の「風姿花伝」でも「若さによる一時的な花の珍しさで、その時は勝つこともあり、
世人も立派な役者だと感服し、青年自信も“俺は俊秀だ”と思い込む。
これは当人とっては仇である。
これは真の花でなく、ただ年の盛りと、観る人が、一時的に珍しく感ずるに過ぎない。
まことの目利きは、これが一時の花である、と見抜くであろう」と、書いております。
★何人かの知人が、練習や録音風景を、見学にいらっしゃいました。
通常は、「集中できない、妨げになる」などと拒否される演奏家も多いのですが、
ベッチャー先生は、即座に「It's OK」と本当に、心の寛い方です。
細部についても、何度も何度も、奏法やアプローチの角度を変えては弾き直し、
曲の秘めた可能性を、とことんまで追求される芸術家としての真摯な態度に、
皆さまは、感動を通り越し「豊かな贈り物をいただいたようです」と感銘されていました。
まだ高校生で、作曲を勉強中の私のお弟子にも、ベッチャー先生はやさしく
「ヤングコンポーザー!!!」と、声を掛けられました。
彼女にとって、一生、忘れ得ない“励まし”の言葉となったことでしょう。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
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■■ベッチャー先生との録音 その4 ソルフェージュの重要性 ■■ 傑作(0)
2007/5/24(木) 午後 2:27作曲した曲が初演されるまで・・・その他芸術、アート Yahoo!ブックマークに登録 ★いよいよ5月5日、録音初日となりました。
山梨のホールで、録音作業は快調に、進んでいきます。
大阪でのリハーサルでは、音色の微妙な差を出すのに、
ミュート(弱音器)が、かなり使われていました。
しかし、録音では、ほとんどそれをお使いになることもなく、
ボウイング(弓の使い方)のみで、
驚くほどの色彩変化を出されていたのに、感嘆しました。
★そのボーイングとは、弓を当てる位置を、駒から離す「スル・タスト」や、
駒に接近させる「スル・ポンティチェロ」という技法の絶妙な配合、
さらに、弓の弦に対する圧力のかけ具合によるものです。
★録音の合間、先生は、リゲティのチェロコンチェルトのお話をしてくださいました。
Pが7つも並べられている、冒頭のPPPPPPP“ピアニシシシシシシモ”の
無限に続くかのような長い音を、実際に弾いて聴かせてくださいました。
滔々と流れる大河も、すべては泉から始まります。
音もなく、静かに、滾々(こんこん)と湧き上がる泉から、始まります。
泉から、水が湧き出でる形態を「涓」と、漢詩で表現します。
ベッチャー先生のPPPPPPPは、「涓」を思い起こさせました。
その水滴の一音、一音が、空間に向かって、
音楽の魂を懐胎しながら、“音もなく”、ほとばしっていくようでした。
周囲にいた私たちは、声も出ませんでした。
★最も感動したのは、指で弦を弾く「ピッチカート」の、リズム感の素晴らしさ、力強さでした。
弓を使わないのですから、ある意味で、ほとんど打楽器的な奏法といえるかもしれません。
音楽性がむき出しになり、全く誤魔化しがききません。
★沖縄島唄の名人「嘉手苅林唱(かでかる・りんしょう)」さんの存命中、その名演を聴きました。
演奏会が盛り上がった最後、それまで握っていた三線(さんしん)を、息子・林次さんに任せ、
林昌さんは、いきなり、太鼓の撥(ばち)を握りしめました。
一瞬、この名人の歌や三線がもう聴けないと、がっかりしました。
しかし、幸運にも、幸福にも、一生涯、絶対に忘れ得ない名演奏に遭遇しました。
僥倖でした。
音楽の根源は、リズムにあるのです。
この島唄の名人が「名人たる根源」も、やはり、リズム感にあったのです。
★林昌さんが、「ドン、ドン、ドン」と、力みもせずに、太鼓を叩き始めますと、
客席の私たちは、湧き上がってくる不思議なエネルギーに突き動かされ、
椅子から天井に向かって、飛び跳ねていくようでした。
何の変哲もないごく普通の「太鼓」です。
その太鼓への、林昌さんの一撥、一撥が、客席全体を揺り動かし、
魂を酔わせ、解放するのです。
まさに、最高の“指揮者”です。
音楽を聴く至福の瞬間、醍醐味といってもいいでしょう。
「林昌さんは日本最高の音楽家である」と確信しました。
ベッチャー先生のピッチカートを聴き、林昌さんと同じような体験をしました。
ピッチカートに酔います。
今回の録音にも、ピッチカートは随所に入っておりますので、どうぞご期待ください。
★ベッチャー先生は、20世紀のチェロ独奏曲のみを録音したCDを
英国の「Nimbus Records」から出されています。
ヒンデミット、リゲティ、ヘンツェ、イベール、ルトスラフスキなどの作品です。
先生のお父様で音楽学者だったハンス・ベッチャーさんは、
ヒンデミットの友人で、往復書簡が残っているそうです。
そのヒンデミットに始まり、1920年代から80年代までのチェロ作品の中で、
先生が特にお気に入りの「キルヒナー」の曲中で、奏されたピッチカートは、絶品です。
躍動と歌に、満ち満ちていました。
★日本でのソルフェージュ教育を思いますと、リズムの勉強は、無味乾燥な教材で、
ただ手拍子や机を叩いてこと足れり、としていることが、なきにしもあらずです。
音楽を好きになりながら、生きたリズム感を、自然に身に付いていけるようにするには
どのようなレッスンをすべきか、深く考えさせられました。
私もこれから、さらに工夫を重ねていきたい、と思います。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
★5月6日、録音も2日目に入りました。
一日目で、かなり満足できるいい録音が取れましたが、さらに良いものを目指すため、
この日は、ゆったりとした気持ちで、新たに録音に臨みました。
合間には、楽しい会話も弾みました。
★「ヨウコは、お能を習っているのですか」と先生
「私も能を観たことがありますが、ワーグナーのオペラ的な長さですね」
「能の演者は、歳をとればとるほど、いいのですか」とご質問。
「私のお能の先生は、40代ですが、まだ若手といわれています」と答えますと、
ベッチャー先生は、満足そうにうなずいていらっしゃいました。
★歳を重ねることにより、芸術の真の姿が現われてくる「お能」と、
いま現在、歳とともに充実し、追随を許さない高みへと上昇しているご自身を、
重ね合わせられたのでしょう。
世阿弥の「風姿花伝」でも「若さによる一時的な花の珍しさで、その時は勝つこともあり、
世人も立派な役者だと感服し、青年自信も“俺は俊秀だ”と思い込む。
これは当人とっては仇である。
これは真の花でなく、ただ年の盛りと、観る人が、一時的に珍しく感ずるに過ぎない。
まことの目利きは、これが一時の花である、と見抜くであろう」と、書いております。
★何人かの知人が、練習や録音風景を、見学にいらっしゃいました。
通常は、「集中できない、妨げになる」などと拒否される演奏家も多いのですが、
ベッチャー先生は、即座に「It's OK」と本当に、心の寛い方です。
細部についても、何度も何度も、奏法やアプローチの角度を変えては弾き直し、
曲の秘めた可能性を、とことんまで追求される芸術家としての真摯な態度に、
皆さまは、感動を通り越し「豊かな贈り物をいただいたようです」と感銘されていました。
まだ高校生で、作曲を勉強中の私のお弟子にも、ベッチャー先生はやさしく
「ヤングコンポーザー!!!」と、声を掛けられました。
彼女にとって、一生、忘れ得ない“励まし”の言葉となったことでしょう。
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■■ベッチャー先生との録音 その4 ソルフェージュの重要性 ■■ 傑作(0)
2007/5/24(木) 午後 2:27作曲した曲が初演されるまで・・・その他芸術、アート Yahoo!ブックマークに登録 ★いよいよ5月5日、録音初日となりました。
山梨のホールで、録音作業は快調に、進んでいきます。
大阪でのリハーサルでは、音色の微妙な差を出すのに、
ミュート(弱音器)が、かなり使われていました。
しかし、録音では、ほとんどそれをお使いになることもなく、
ボウイング(弓の使い方)のみで、
驚くほどの色彩変化を出されていたのに、感嘆しました。
★そのボーイングとは、弓を当てる位置を、駒から離す「スル・タスト」や、
駒に接近させる「スル・ポンティチェロ」という技法の絶妙な配合、
さらに、弓の弦に対する圧力のかけ具合によるものです。
★録音の合間、先生は、リゲティのチェロコンチェルトのお話をしてくださいました。
Pが7つも並べられている、冒頭のPPPPPPP“ピアニシシシシシシモ”の
無限に続くかのような長い音を、実際に弾いて聴かせてくださいました。
滔々と流れる大河も、すべては泉から始まります。
音もなく、静かに、滾々(こんこん)と湧き上がる泉から、始まります。
泉から、水が湧き出でる形態を「涓」と、漢詩で表現します。
ベッチャー先生のPPPPPPPは、「涓」を思い起こさせました。
その水滴の一音、一音が、空間に向かって、
音楽の魂を懐胎しながら、“音もなく”、ほとばしっていくようでした。
周囲にいた私たちは、声も出ませんでした。
★最も感動したのは、指で弦を弾く「ピッチカート」の、リズム感の素晴らしさ、力強さでした。
弓を使わないのですから、ある意味で、ほとんど打楽器的な奏法といえるかもしれません。
音楽性がむき出しになり、全く誤魔化しがききません。
★沖縄島唄の名人「嘉手苅林唱(かでかる・りんしょう)」さんの存命中、その名演を聴きました。
演奏会が盛り上がった最後、それまで握っていた三線(さんしん)を、息子・林次さんに任せ、
林昌さんは、いきなり、太鼓の撥(ばち)を握りしめました。
一瞬、この名人の歌や三線がもう聴けないと、がっかりしました。
しかし、幸運にも、幸福にも、一生涯、絶対に忘れ得ない名演奏に遭遇しました。
僥倖でした。
音楽の根源は、リズムにあるのです。
この島唄の名人が「名人たる根源」も、やはり、リズム感にあったのです。
★林昌さんが、「ドン、ドン、ドン」と、力みもせずに、太鼓を叩き始めますと、
客席の私たちは、湧き上がってくる不思議なエネルギーに突き動かされ、
椅子から天井に向かって、飛び跳ねていくようでした。
何の変哲もないごく普通の「太鼓」です。
その太鼓への、林昌さんの一撥、一撥が、客席全体を揺り動かし、
魂を酔わせ、解放するのです。
まさに、最高の“指揮者”です。
音楽を聴く至福の瞬間、醍醐味といってもいいでしょう。
「林昌さんは日本最高の音楽家である」と確信しました。
ベッチャー先生のピッチカートを聴き、林昌さんと同じような体験をしました。
ピッチカートに酔います。
今回の録音にも、ピッチカートは随所に入っておりますので、どうぞご期待ください。
★ベッチャー先生は、20世紀のチェロ独奏曲のみを録音したCDを
英国の「Nimbus Records」から出されています。
ヒンデミット、リゲティ、ヘンツェ、イベール、ルトスラフスキなどの作品です。
先生のお父様で音楽学者だったハンス・ベッチャーさんは、
ヒンデミットの友人で、往復書簡が残っているそうです。
そのヒンデミットに始まり、1920年代から80年代までのチェロ作品の中で、
先生が特にお気に入りの「キルヒナー」の曲中で、奏されたピッチカートは、絶品です。
躍動と歌に、満ち満ちていました。
★日本でのソルフェージュ教育を思いますと、リズムの勉強は、無味乾燥な教材で、
ただ手拍子や机を叩いてこと足れり、としていることが、なきにしもあらずです。
音楽を好きになりながら、生きたリズム感を、自然に身に付いていけるようにするには
どのようなレッスンをすべきか、深く考えさせられました。
私もこれから、さらに工夫を重ねていきたい、と思います。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲