音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■平均律第 1巻 1番のフーガの「ストレッタ」は、フーガの華です■

2010-01-25 13:40:14 | ■私のアナリーゼ講座■

■平均律第 1巻 1番のフーガの「ストレッタ」は、フーガの華です■
               10.1. 25   中村洋子


★明日は、「平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 第 1曲」の、

アナリーゼ講座です。

講座を前に、日本で出版されている「平均律クラヴィーア曲集」の

解説書を、見ました。


★ある本で、前奏曲について、「意識的に強弱も何もつけず、

平に弾いているうち、なんとなく音楽本来のもっているエネルギーの

動きが、わいてくるわけです」。

「平におしまいまで弾いてきて、最後の 3小節のところ、これはこの曲の

しめくくりだけど、一種の即興的自由さで音楽が流れ出している。・・・

実にこれで音楽が生硬さから救われている」という評価でした。


★私は、この考え方には、昨日のブログでお書きしたとおり、反対です。

また、フーガについても、その本では「バッハみたいなフーガの大家でも、

48 もあるとどうしたって出来、不出来がありまして、

どうもこれは上出来の部類には入らない。

書き込むことに一生懸命になりすぎて、音楽の流れがあまり

スムーズでない。はじめて勉強する人が1番からやってよくない

といった理由は、フーガにあるわけですよ・・・」

という評価も、されていました。


★私は、1番のフーガは、前奏曲とともに、

バッハの 「最高傑作」 であると、思います。


★「平均律」と「インヴェンションとシンフォニア」が、

相前後して、完成された背景には、息子のフリーデマンや、

お弟子さんたちへの、≪作曲の教育としての曲≫という

目的も、見逃せません。


★「平均律」と「インヴェンションとシンフォニア」の

各 1番 ハ長調の「主題」は、以前お書きしましたように、

≪同じモティーフ≫によって、紡ぎだされています。

「インヴェンションの 2声」、「シンフォニアの 3声」、

「平均律 1番のフーガの 4声」というふうに、

フーガの作曲を、どのように構成していったらいいのか、

その手助けとして、類稀なる美しい例として、

バッハが、作曲したものです。


★上記の本では、「 1番のフーガ」について,

「はじまった間もなくストレッタになっちゃうから、

フーガの重要な魅力のひとつである提示部と推移部の

対照の面白さがないのです。対主題もないといってさしつかえない」

「フーガというよりは通模倣様式的な曲ですよ」とも、書いてあります。


★「ストレッタ」は通常、フーガの後半に配置されます。

主題が終わらないうちに、次の主題が「カノン」として、奏され、

緊密感をもたらす効果が、あります。

上記の本の先生がたは、 7小節目から堂々たる「ストレッタ」が、

始まるこの 1番フーガが、自分のもっているフーガ観に、

つまり、自分の「鋳型」に当てはまらないため、

「フーガ」とみることが、できないのでしょう。


★インヴェンション、シンフォニア、平均律の流れを見て、

この 3曲を、≪大きな一つの曲≫と、とらえた場合、

平均律は、後半部分に当たるわけですから、

フーガの華である「ストレッタ」の妙技が、

ここで、縦横に尽くされるのです。


★このことは、毎日、大バッハから学んでいた息子や、

お弟子さんにとって、自明のことだったでしょう。

その証拠に、ユーモアに満ちたバッハは、平均律のフーガの

「 21小節目の後半」で、アルトとテノールのパートに、

≪インヴェンション 1番の 3小節目前半≫を、

そのまま、組み込んでいます。

その時点で、バスは、ハ長調の属音である「ソ」の

保続音(オルゲルプンクト)を、始めます。

大変に、重要な部分です。


★息子やお弟子さんは、作曲されたばかりの

「 21小節目の後半」パートをみて、

「あっ、あのインヴェンションだ!」と、

さぞや、ニッコリしたことでしょう。


  (サボテンの花)
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