2007/4/5(木)
★知人が、九州の湯布院に旅をされ、お土産を頂きました。
≪放浪の天才画家「山下清・原画展」の思い出≫ という絵葉書です。
山下清は、ドラマや映画のイメージが強く、あまり、彼の作品をきちんと見ていませんでした。
その12枚の絵葉書を見て、アンリ・ルソーのような色彩感と幻想性、確かな構成力に驚きました。
★貼り絵の「タイと花火」「カミキリ虫」のほか、
マジックペンで描いた「城山より望む桜島」と「鉄道と夕焼けの桜島」、
朱塗りのお盆に、紙を貼り付けた「お盆にカタツムリ」などです。
ドラマの先入観で、決め付けてはいけませんね。
※「湯布院 夢 美術館」:放浪の画家・山下清の原画約100点、記録写真、直筆の日記が公開されています。
住所:大分県由布市湯布院町川上1479-1 風の街内、 電話 0977-85-2377
★シューベルトも同様に、固定化したイメージが定着させられているのかもしれません。
映画「未完成交響楽」での恋する青年作曲家、
ほとばしり流れる楽想を、そのまま筆に走らせる“天才”作曲家というイメージです。
「当たらずといえども遠からず」ですが、「天才」の定義を「努力する作曲家」とすればのお話でしょう。
★シューベルトは、7歳の1804年、父親に連れられ、アントーニオ・サリエーリ(1750~1825)と面会しました。
11歳の1808年10月、「コンヴィクト」というヴィーンの学校に、サリエーリの推薦で入学します。
同校は、官吏養成学校ですが、一般教養として音楽教育に大変に力を入れていました。
シューベルトは、同校の宮廷少年合唱団員も勤め、ハイドンやモーツァルトの作品も歌っていました。
サリエーリも同校で教えていました。
15歳の1812年からは、週に2回、サリエーリの個人レッスンを受け、
コンヴィクト退学後も、19歳の1816年まで、個人レッスンを続けました。
サリエーリは、シューベルトについて「1812年6月18日、対位法に着手」というメモを残しています。
“音楽の独学者”というイメージからは、程遠い英才教育を受けていたのがよく分かります。
対位法は、アルブレヒツベルガーの「作曲の基本指導」やヨーゼフ・フックスの理論書で教えたようです。
★サリエーリは、ヴィーンで宮廷楽長を勤め、当時として最高の教師でもありました。
“モーツァルトを嫉妬する”必要が全くない、人望家でもあったようです。
サリエーリの弟子は、ベートーヴェン、リスト、フンメル、マイヤベーアなど
綺羅星のごとく輩出していますが、そのサリエーリに週2回、4年間習うとは・・・。
これ以上の英才教育はあまりないでしょう。
★シューベルトは、推敲に推敲を重ねて作曲し、亡くなるまで、ものすごい勉強を積み重ねています。
伝記を読みましても、彼の作曲している姿を目撃している友人は、ほとんどいないようです。
作曲で苦闘している姿は、見せたくなかったのでしょう。
才能の赴くまま、スラスラと書き続けていた、ということは決してない、ようです。
★有名なピアノ独奏曲「4つの即興曲 D899」は、亡くなる前年の1827年、30歳の作品ですが、
そのうち、ピアノ発表会でもよく弾かれる名曲「第2番 変ホ長調」を、子細に検討しますと、
対位法、およびバッハに対する研究の成果が、驚くほどよく現れています。
私も最近、チェロの独奏曲を書くため、バッハのチェロ組曲を勉強していますが、
その過程で、このことに気付きました。
★シューベルトは、1828年11月4日、亡きサリエーリの弟子ゼヒターに、対位法のレッスンを受けます。
その15日後の11月19日、腸チフスで急逝しました。
本人には、死の予感はなかったのではないでしょうか。
前年、対位法を駆使した曲を書き、さらに、それを深めるために、レッスンを受けたのでしょう。
巷間いわれています「構成力や対位法に弱い」という見方は、完全に間違いです。
上記の「第2番 変ホ長調」は、180年間、名曲とされていますが、なぜ名曲なのでしょうか。
その点について、納得のいく説明や解釈は見たことがありません。
“なぜか分からないけれどもいい曲”です。
その「なぜか」の理由が、実は「対位法」にある、と思います。
★あまりに、完璧な対位法であるため、対位法が駆使されていることに、全く気付かないのす。
4月15日の「アナリーゼ講座」では、そのお話をしてみたい、と思います。
ちなみに、シューベルトの亡くなった1828年、
その同じ年、ベーゼンドルファーが、ヴィーンで、ピアノの製造を始めたそうです。
★アナリーゼ講座は、今回も直ぐに、ご予約で一杯になってしまいました。
お礼を申し上げますとともに、キャンセル待ちの方には、心よりお詫び申し上げます。
次回のアナリーゼ講座は、第10回記念として「ショパン」に取り組む予定です。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
★知人が、九州の湯布院に旅をされ、お土産を頂きました。
≪放浪の天才画家「山下清・原画展」の思い出≫ という絵葉書です。
山下清は、ドラマや映画のイメージが強く、あまり、彼の作品をきちんと見ていませんでした。
その12枚の絵葉書を見て、アンリ・ルソーのような色彩感と幻想性、確かな構成力に驚きました。
★貼り絵の「タイと花火」「カミキリ虫」のほか、
マジックペンで描いた「城山より望む桜島」と「鉄道と夕焼けの桜島」、
朱塗りのお盆に、紙を貼り付けた「お盆にカタツムリ」などです。
ドラマの先入観で、決め付けてはいけませんね。
※「湯布院 夢 美術館」:放浪の画家・山下清の原画約100点、記録写真、直筆の日記が公開されています。
住所:大分県由布市湯布院町川上1479-1 風の街内、 電話 0977-85-2377
★シューベルトも同様に、固定化したイメージが定着させられているのかもしれません。
映画「未完成交響楽」での恋する青年作曲家、
ほとばしり流れる楽想を、そのまま筆に走らせる“天才”作曲家というイメージです。
「当たらずといえども遠からず」ですが、「天才」の定義を「努力する作曲家」とすればのお話でしょう。
★シューベルトは、7歳の1804年、父親に連れられ、アントーニオ・サリエーリ(1750~1825)と面会しました。
11歳の1808年10月、「コンヴィクト」というヴィーンの学校に、サリエーリの推薦で入学します。
同校は、官吏養成学校ですが、一般教養として音楽教育に大変に力を入れていました。
シューベルトは、同校の宮廷少年合唱団員も勤め、ハイドンやモーツァルトの作品も歌っていました。
サリエーリも同校で教えていました。
15歳の1812年からは、週に2回、サリエーリの個人レッスンを受け、
コンヴィクト退学後も、19歳の1816年まで、個人レッスンを続けました。
サリエーリは、シューベルトについて「1812年6月18日、対位法に着手」というメモを残しています。
“音楽の独学者”というイメージからは、程遠い英才教育を受けていたのがよく分かります。
対位法は、アルブレヒツベルガーの「作曲の基本指導」やヨーゼフ・フックスの理論書で教えたようです。
★サリエーリは、ヴィーンで宮廷楽長を勤め、当時として最高の教師でもありました。
“モーツァルトを嫉妬する”必要が全くない、人望家でもあったようです。
サリエーリの弟子は、ベートーヴェン、リスト、フンメル、マイヤベーアなど
綺羅星のごとく輩出していますが、そのサリエーリに週2回、4年間習うとは・・・。
これ以上の英才教育はあまりないでしょう。
★シューベルトは、推敲に推敲を重ねて作曲し、亡くなるまで、ものすごい勉強を積み重ねています。
伝記を読みましても、彼の作曲している姿を目撃している友人は、ほとんどいないようです。
作曲で苦闘している姿は、見せたくなかったのでしょう。
才能の赴くまま、スラスラと書き続けていた、ということは決してない、ようです。
★有名なピアノ独奏曲「4つの即興曲 D899」は、亡くなる前年の1827年、30歳の作品ですが、
そのうち、ピアノ発表会でもよく弾かれる名曲「第2番 変ホ長調」を、子細に検討しますと、
対位法、およびバッハに対する研究の成果が、驚くほどよく現れています。
私も最近、チェロの独奏曲を書くため、バッハのチェロ組曲を勉強していますが、
その過程で、このことに気付きました。
★シューベルトは、1828年11月4日、亡きサリエーリの弟子ゼヒターに、対位法のレッスンを受けます。
その15日後の11月19日、腸チフスで急逝しました。
本人には、死の予感はなかったのではないでしょうか。
前年、対位法を駆使した曲を書き、さらに、それを深めるために、レッスンを受けたのでしょう。
巷間いわれています「構成力や対位法に弱い」という見方は、完全に間違いです。
上記の「第2番 変ホ長調」は、180年間、名曲とされていますが、なぜ名曲なのでしょうか。
その点について、納得のいく説明や解釈は見たことがありません。
“なぜか分からないけれどもいい曲”です。
その「なぜか」の理由が、実は「対位法」にある、と思います。
★あまりに、完璧な対位法であるため、対位法が駆使されていることに、全く気付かないのす。
4月15日の「アナリーゼ講座」では、そのお話をしてみたい、と思います。
ちなみに、シューベルトの亡くなった1828年、
その同じ年、ベーゼンドルファーが、ヴィーンで、ピアノの製造を始めたそうです。
★アナリーゼ講座は、今回も直ぐに、ご予約で一杯になってしまいました。
お礼を申し上げますとともに、キャンセル待ちの方には、心よりお詫び申し上げます。
次回のアナリーゼ講座は、第10回記念として「ショパン」に取り組む予定です。
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