僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「色彩を持たない…」を読み終えて

2013年05月30日 | 読書

「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた。」


村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、そんな書き出しではじまる。なぜ、ほとんど死ぬことだけを考えて生きてきたのか…という理由が、この物語の柱になり、多崎つくるの魂の遍歴ともいうべきものが次第に明らかにされていく。


ストーリーとしては村上作品の、たとえば前作の「1Q84」などのように奇抜で非日常的なものではなく、ごく普通の話である。その点は、特に村上ファンではなくても入りやすい小説のように思われる。ただし、謎は多い。その謎は、決して最後まで明かされないのはやはりハルキさんらしい。読みながら、なんとなく、1992年に出た「国境の南、太陽の西」に似ているような印象も受けた。


高校時代(場所は名古屋)、つくるには4人の親友がいた。彼を含めた5人の仲間は、男3人女2人で、常に心はひとつ…というほど仲がよかった。たまたま4人の親友の姓が赤松、青海、白根、黒埜と、みんな色がついており、それぞれ「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」というあだ名で呼ばれていたが、つくるの姓だけが色を持っていなかった。「色彩を持たない…」というタイトルは、まずここからはじまり、この小説の深いテーマへとつながっていく。


高校を卒業し、5人はそれぞれの道を歩むが、つくる一人だけが東京の大学に進む。他の4人は名古屋に留まり、地元の大学へ通うようになる。そしてつくるが大学二年生の夏休みに「それ」が起きた。いつものように、名古屋に帰省して4人の家に電話をかけたところ、いずれも家族が出て「今、不在です」との返事で、本人は出ない。不審に思ってしつこく電話をかけ続け、やっと「アオ」と連絡が取れた。しかし「アオ」に「もう誰のところにも電話をかけてもらいたくないんだ」と意外なことを言われ、「理由は?」とつくるが問うと「自分に聞いてみることだ」と電話を切られたのである。身に覚えのないことで絶交を宣告される…。そのことで激しいショックを受け、つくるは生きる気力を失い、冒頭の「ほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた」ということになった。


物語では、36歳になったつくるが、今も16年前に起きたそのことを心の中に抱えながら、とめどなく自己内省を繰り返す様子が描かれる。そして、付き合っている女性が、「あなたは今も4人のことが背中に張り付いている。心に根の深い問題を抱えているあなたとは…」これ以上の関係は続けられない…と伝えるとともに、つくるに「4人の実名を教えてほしい」と言う。「この人たちが今、どこで何をしているか私が調べるから、その人たちに会って、なぜ自分をグループから追放したのか、その理由を聞くべきよ」と彼女は言うのである。


…そんな経緯をたどり、インターネットの他あらゆる手段を尽くして「調査」した彼女のおかげで、4人の現況を知ったつくるは、みんなと会うことを決意する。ただし4人のうち一人は…あ、それは言わないでおきます。


つくるは、最初に会ったアオから、絶交宣言の理由を聞かされて愕然とする(むろんそれが何かも、言えませんが…)。そして最後に、4人のうちの1人クロ(女性)がフィンランド人と結婚してヘルシンキ郊外で暮らしていることから、つくるの巡礼の旅はフィンランドまで続く…


…と、あまり詳しく書くと、これから読まれる方の楽しみを奪ってしまいそうなので、まだ他にも重要な人物が出てきたり、「巡礼の年」という曲のことが出てきたりするのですが、この辺でとどめます(もうかなり詳しく書いてるで~)


この小説を読み終えたとき、改めて、人間とはなんと傷つきやすい生きものだろうか…というため息まじりの感慨がこみ上げてきた。僕なんかも、60余年の人生で、どれだけ人を傷つけてきただろう、あるいは、傷ついてきただろうか…と思うと、ため息だけでは済まないような、胸騒ぎみたいなものをおぼえた。


僕自身、大学1年から2年にかけての頃、楽曲関係の同好会に所属し、仲のいい男女の友だちができ、そこで舞い上がるような時間を過ごしたあげく、何かの拍子に先輩を批判してしまい、それが元で同好会を追放された経験がある。まぁ、この場合は小説とは違って僕に非があったのだが、その時の脱力感といえば、それこそ死んでしまいたいほど辛くて悲しいことだった。その翌年、二十歳の時に、野宿中心の数ヶ月間の北海道への自転車放浪旅行に出たのも、この本の表現を借りれば、意味は少し異なるが、僕の「巡礼」の旅だったのかも知れない。


また一方では…この小説は、翻訳調のような言い回しが延々と続いたり、結末について不満が残ったりと、読んでいて不完全燃焼が起きる向きもあるかも知れないが、やはりいろいろなことを感じ、考えさせられる作品ではある。


読み終えたあと、内省…という言葉が浮かんだ。この小説は、主人公の内省描写がとても多い。内省→深く自己をかえりみること(と辞書にあります)。近ごろ自分について深く考えることも少なくなりましたが、僕も、もともと内省的な傾向が強く、いろいろ考えた末でも、あ~でもない、こ~でもないといつまでも思い悩んだり、人間関係での喪失感をず~っと引きずったり…ということが多くありました(今でも、ないわけではありませんが…)。それが極限に達した時、どうなるか…というのも、この小説のポイントのひとつかも知れませんね。


読書による体験は、自分の実体験と重ね合わせながら、いろいろと思いを巡らすところに醍醐味があるのだと思いますが、僕の場合、この小説は、自分の過去のいくつかの辛い思い出を呼び起こすものでもありました。でも、それも貴重で濃密な読書体験のひとつなんだろうなと思います。

 

 

 

 

 

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