僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

タイガーマスクと鼠小僧

2011年01月16日 | ニュース・時事

~ タイガー・ウッズは出てこない…? ~

漫画のタイガーマスクこと伊達直人を名乗る人から、児童養護施設などに次々と贈り物が届けられたのをきっかけに、それが燎原の火のごとく全国に広がり、今や一大ブームになっている。 それもタイガーマスクの向こうを張ってか、「桃太郎」 や 「矢吹丈」、「龍馬」、「鉄腕アトム」、「せんとくんの友人」 など、出るわ出るわの大騒ぎ。 一方、タイガーマスクの漫画そのものもまたブームが起きているという今日この頃である。 

龍馬を名乗る人物からは、子ども相談所の玄関に置かれたランドセルなどの中に、「大きな夢と大きな愛を持った人間にならんといかんぜよ 龍馬」 というメッセージが入っていたという。
なんだかなぁ。
 
また同じタイガーマスクでも、「北アルプスの伊達直人」、「年金生活の伊達直人」、「デザイナー伊達直人」、「田舎伊達直人」  などいろんな伊達直人が登場し、中には伊達政宗と名乗る人物まで登場した。 正宗とタイガーマスクはあまり関係ないと思うんだけど、伊達つながり…というところでしょうか。

大阪府内でも、伊達直人をはじめ、「八十歳の花咲じじい」 とか 「みなし子ハッチ」 とか 「泉北のキン肉マン」 の名前で、施設や市役所に贈り物が届いている。

ひとつ何かが起きるとワァ~っと同じような現象がなだれのように起きるのが日本人の特徴であり、たいていはロクなことが流行しないのだけど、今回はまあ、善意のヒーローたち…ということで、メディアもこの風潮をベタ褒めしている。

匿名は匿名でも、有名キャラクターを名乗って贈り物をするところが、いかにも日本的である。 実名を記すのは何かおこがましく照れくさいけど、さりとて 「匿名」 の2文字だけでは 「自分」 というものが消えてしまって物足りない、ということで、やっぱりテレビや新聞に取り上げてほしい気持ちが、どこかで働いているのかも知れない。

巷間知られている如く、漫画のタイガーマスクは孤児院出身だから、児童養護施設に伊達直人の名で 「恩返し」 をするのは話としてよ~くわかるけど、それ以外はふつうの漫画などのヒーローなわけで、贈り物との必然的関連性はない。 贈り物をするなら、「匿名」 だけでいいのではないか…。 な~んて思うのだけれど、そんな理屈をこねていると、善意を踏みにじる不遜な発言だぁ…とお叱りを受けるかも知れないのでこれ以上は言わない。

むかし、はっきりとは覚えていないが、年末になると 「名もない町の天狗より」 という人物から、「恵まれない人たちへ」 と、役所かどこかへお金が送られてきたことがあり、毎年、そのことが報道されていた。 また、佐賀県のある施設には、20年前から 「月光仮面」 を名乗る人物から贈り物が届いているそうだ。 そんなことで、こういう善意は、今に始まったことではないのだが、なにしろ今はメディアが大きく取り上げると、それがドド~ンと、あっという間に全国津々浦々に広まってゆく。 これも群集心理のひとつだろうか。

この 「善意の輪」 には、いろんなヒーローたちが登場して賑やかなのだが、漫画といえば、僕たち団塊世代が小学生の時に人気があったのは、「赤胴鈴之助」 や 「まぼろし探偵」 、「鉄人28号」、「矢車剣之助」、「イガグリ君」、「七色仮面」、そして 「月光仮面」 などだった。 今回のブームでは、20年前から続いているという 「月光仮面」 以外はそういう漫画のヒーローたちが登場していないのが少し寂しいけれど、あんまり古いので、善意の人たちもそんな名前を使う気にはならないのだろう。

しかし、「善意の贈り物」 とか 「恵まれない人たちを救う」 と言えば、僕など真っ先に思い浮かべるのが 「鼠小僧」 である。 フルネームでいえば、鼠小僧次郎吉。 元祖、善意の人…というイメージである。

江戸時代、悪事を重ねる武家屋敷に忍び入り、小判を盗んで、それを貧しい善良な人たちの住居にばら撒くという  「義賊」 である。 盗み終わった後、武家屋敷の壁に、「鼠小僧参上」 とのメッセージを残すのがカッコいい~。 過去、東映時代劇なんかで何度も映画化され、テレビでは、小川真由美が主役の 「女鼠小僧」 という人気時代劇ドラマもあった。

「義賊」 というのは、命をかけてでも、貧しい人を支えようとしたお仕事だったのである。 

しかしまあ 「義賊」 と言っても、泥棒には変わりないので、現代にこういう人が現れて、たとえばカネにまみれた某政治家の屋敷に忍び込み、そのカネを盗んで児童養護施設に贈ったとしても、防犯カメラにその姿が映り、たちまち窃盗罪で捕まり、施設に贈られた金品は返納させられる…というのがオチであろう。 ずいぶん味気ない世の中になってしまったものだ。

ところで…
タイガーマスクのブームが再燃し、猫も杓子もタイガーマスク、タイガーマスクの大合唱であるが、これにひっかけて、タイガーウッズの名前で贈り物をする…という人がいないのは、当り前と言えば当り前か…

 

 

 

 

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誰が福山雅治やねん !

2011年01月14日 | 心と体と健康と

前回の大手前病院の話の続きです。

TRT療法を終えて言語視聴覚療法室を出た僕は、そのまま同じ階の耳鼻咽喉科の窓口へ行き、そこで 「TRTが終わりましたので」 と報告し、受付の女性に書類を渡した。

このあと、まだ診察が残っているので、その待合の長椅子にまた座って待つ。

診察、と言っても、いつも1分か2分で終わる。

「耳鳴りの具合はいかがですか…?」 と聞かれ、
「ええ、まあ相変わらずです」 と答えるのが、会話の大半である。
あとは鼻と喉と耳を覗いて、「では、デパスをお出ししておきますね~」 で終わり。

診察を受けてもあまり意味がないのでは…と、僕はこの日もTRT療法の○○先生に言ったけれど、なんでも健康保険の取り扱い上、TRT療法というのはリハビリの部類に入るので、いちおう医師の診察が必要なのです、ということだったので、そ~ですか、よ~くわかりましたとすぐに納得した。 いや、別に受けるのがイヤなわけではないのですよ。 ちょっと聞いてみただけです。

最近、診察の主治医が、若い女医さんに変わったことでもあるし… 
それならば、診察を受けるのも悪くない。 むふふ。

その女医さんは、また、可愛くて、優しくて、人当たりがいいのである。
「よろしおます。 診察ぐらい、なんぼでも受けますがな~」 
と、いささか動機は不純であるが、診察に意欲すら見せる僕なのであった。

そして、待合の長椅子に座ってすぐに、看護師さんが僕の名前を呼んだ。
「川○のんさん。 中待合のほうへどうぞ」 
呼ばれた僕は、先に待っていた多くの患者さんたちの視線を何となくまぶしく感じながら、中待合に入り、診察室のすぐ前の椅子に座った。  

ドアに、貼り紙がしてあった。
読んでみると、なんと、ショッキングなことが書いてあった。

○津先生は、2月2日に退職されます…と書かれていたのである。
○津先生というのが、可愛くて優しくて…という女医さんなのである。

ええぇっ! 退職…? それじゃ今日が最後なんだ。 なぁんだ、寂しいな~。

そんなことを思っていると、女性の声が診察室の中から聞こえてきた。
「フクヤマさん。 どうぞ、診察室にお入りください」
僕は左右を見渡したが、この場所に座っているのは、僕一人である。
僕は 「フクヤマさん」 ではなく 「川○さん」 である。

黙って座っていると、もう一度 「フクヤマさ~ん」 との声。

さらに黙って座っていると、診察室がガバっと開き、看護師さんが僕を見て、
「フクヤマさん、診察室の中へどうぞ」 と声を大きくして、手をこまねくのだ。

ちょっと、しつこい。 
耳鼻科へ来ている患者だから、たぶん耳が遠いと思っているのかも知れない。

僕は、突然、「誰が福山雅治やねん!」 と叫びたい衝動に駆られた。

…が、思いとどまり、「川○です。 フクヤマじゃありませ~ん」 と、大人しく告げた。
「え…?」 と、看護師さんは一瞬戸惑った表情になり、戸を閉めてまた診察室の中に入ってしまった。 しばらく、ヒソヒソと小声でなにやら会話が交わされているのが聞こえていたが、ややあって、「川○さ~ん、どうぞ」 という声とともに、僕は診察室に入った。

看護師の横に、小顔でメガネをかけて大きなマスクをした女医さんが机の前に座っていた。
小顔でメガネとマスクなら、可愛いかどうかわからんじゃないか…と野暮なことは言わないでくだされ。 とにかく、可愛いのであります。

例によって形式的な会話のやりとりと、鼻、喉、耳のチェックをしてもらったあと、
診察終了のタイミングを見はからって、僕は○津先生に、
「いま、貼り紙を見たのですが、2月に退職されるそうですね」と言った。
「あ、そうなんですよ~。 また大学に戻ることになりまして」
「大学…ですか。 寂しくなりますわ~」 と僕が言うと、横に立っていた看護師も、
「ホントですよねぇ~」 と、大きくうなずいた。

診察室を出るとき、 
「じゃぁ、お元気で。 大学でまた頑張ってください」 と僕が言うと、
「ありがとうございます」 と、女医さんは、ペコリと頭を下げた。

… 患者が医者を激励してどないすんねん …

やれやれ。 せっかくの診察の楽しみも、これでおしまいか。
次回(3月)から、また診察を受けるのが面倒臭くなるかも知れない。

 

 

 

 

 

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耳鳴りTRT療法へ

2011年01月13日 | 心と体と健康と

昨日、TRT療法を受けるため、大手前病院へ行った。
2ヶ月に一度の割合で通っている。

いつものように2階の言語視聴覚療法室の前の長椅子に腰掛けていると、予約時間の9時半きっかりに、名前を呼ばれ、部屋に入った。

「変わりは、ありませんか…?」 と、○○先生が親しげに語りかけてくれる。

耳鳴り自体は、おおざっぱに言えば変わりはない。
相も変わらずうるさいことである。
ただ、細かいことを言うと、音が大きくてイヤだなぁと思う時と、あれ?と思うほど音の小さな時が、交互にやってくる頻度が、少しだけ高くなってきたように思う。 耳鳴りが微妙に変化を見せ始めた、とも言える。 で、それが結局いいのか悪いのか…となると、まあ悪くはない、と思っている。

今年になってから生活のリズムがやや整いはじめ、毎日忙しくなったことが、耳鳴りに関してはプラスに作用しているのだろう。 バタバタしている時、物事に熱中している時が多くなり、そんな時は耳鳴りを忘れることが多い。 朝、このブログを書くのに集中している時も、意識しないと耳鳴りは響いてこない。 ただ、ぼんやり時を過ごしていると、その耳鳴り音は、以前より大きくなったのではないかと思うほど、高く、鋭く、頭の芯に響く。

でも、先生から 「変わりはありませんか…?」 と訊かれると、さほど大きな変化はありません、と答えるよりほかない。 それより、今回は変化…ではなく、変事があった。

「実は、TCI (耳鳴り治療器具) を失くしてしまったのです」 と報告した。
「えっ、失くしたのですか…?」 と、先生が言うか言わないうちに、
「いえ、まあ半月後に、パソコンの裏側のコードにしがみつくようにして、ほこりを被っていたのを発見して、なんとか事なきを得ましたが…」 と僕は言葉を続けた。

TCIがもう出てこないと諦めたとき、よ~し、今後再購入はせず、これを使わずに生活しよう…といったんは覚悟しかけたけれど、やはり、日がたつにつれ、TCIがないと不安が増大してきた。 

しかし、TCIなしで暮らした半月間は、いろいろな意味で良い教訓になった。 耳鳴りに対してちょっと強気の姿勢が芽生えてきたことや、TCIを付けないことに慣れてきたこと…などが、「TCI失踪事件」 の思わぬ効果であった、というところか。

そういうことを、先生に報告した。

そのあと、耳鳴り音量・音質の検査をした。
ラッパ状の大きな吸盤のようなものを耳にあて、流れてくる耳鳴りそっくりの音を聞く。
「音の高さはこれぐらいですか…?」 と、先生が機械を操作する。
「あ、そうですね。 それぐらいです」 と僕が答える。
「音の大きさはどうですか…?」
「え~っと…」 ラッパ状から耳を離す。 
聞こえてくるのが機械の音なのか自分の耳鳴り音なのか、よくわからない。 
「う~ん。 機械の音のほうが大きいです」
「これで、どうですか…?」 と、先生は音量を少ししぼる。
「あ、もう耳鳴りの音しか聞こえません」

こんなふうな検査で、耳鳴りの音の強さや高さが特定される。

検査の次は、yukari さんのことが話題に上った。
「yukari さんのお父さんのお具合はどうですか…?」 と、
病気療養中のお父さんのことを気にかけておられるようで、毎回、僕に尋ねられる。 

「yukari さんは看病に明け暮れておられ、お忙しいようです」 
「yukari さんはふだんはTCIを付けておられませんが、ないとやはり不安だとのことです」
…というようなことを、先生に伝えた。

メールを通じて知りえたyukari さんの情報は、なるべく先生に伝えておいたほうがいいだろう、と思った。 yukari さんご自身も、一度先生にご挨拶と経過報告に行きたい、という意向を持っておられるので、そのことも付け加えた。

次回のTRT療法は3月17日と決まったが、先生がパラパラと予約ノートをめくっておられたのを見ると、そこにはぎっしりと名前が書き込まれていた。 1月はほとんど予約が満杯だ。

「予約、ぎっしりと詰まっていますね~」 と僕が言うと、
「そうですね。 多いですね」 と先生。
「しかし、それはみんな耳鳴りの患者さんですか…?」 と訊くと、先生は首を横にふり、
「いぃえ、8割から9割までが、補聴器に関することです」
つまり、耳が鳴るのではなく、耳が聞こえにくい人たちが大半、というわけだ。
そりゃそうだろうな。 これだけの人たちが耳鳴りで治療やカウンセリングを受けているのなら、もっともっと、耳鳴りに対する医療は進んでいるはずだ。 やはり、耳鳴りはごく少数派なのである。

TCIの先っぽの部分を新品と交換してもらい、
なくなりかけていた電池も入れ替えてもらった。

「ではまた次回に」
「はい。 ではまたよろしくお願いします。 失礼しま~す」

こうして2ヶ月に一度のTRT療法が終わり、
僕はすっきりした気分で言語視聴覚療法室をあとにした。

 

 

 

 

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運転免許証の写真について

2011年01月12日 | 日常のいろいろなこと

いつものように早朝にブログの下書きを終え、いったん中断して用事を済ませ、7時前に再びパソコンの前に座って記事をアップしようと思ったら、ブログの画面が出てこない。 あれぇ~と思い、よく見たら…

  メンテナンスのため一時的にサービスを停止しております。
  現在、gooブログはメンテナンスのため、一時的にブログの閲覧、新規の記事投稿
  など、全てのサービスをご利用いただくことが出来ません。 
大変ご迷惑をおかけ
  
いたしますが、メンテナンス終了までしばらくお待ちください。
  
  
作業実施期間:2011年1月12日(水) 午前06:30 ~ 午前09:30

と、画面に表示されていた。

そ~か。 それはまあ仕方のないことである。 やむなくパソコンを閉じた。

今日は2ヶ月に一度の大手前病院でのTRT療法の日で、午前8時から出かけた。

大手前からの帰り道は、ウオーキングを楽しんだ。

そして今 (午後4時) 帰宅して、このパソコンを開けている。

きょうの朝に書いた記事を、いま、アップします。 
なんだか、気が抜けたみたいになりましたが…

                ↓


今年は運転免許証の更新の年である。 先月初めに大阪府公安委員会から 「運転免許証更新連絡書」 というのが届いた。 更新手続きができる期間は、平成22年12月9日から平成23年2月9日まで。 誕生日の前後2ヶ月間である。

手続きに必要なものは運転免許証とこの連絡書と写真1枚。 あと、更新手数料が2,550円、講習手数料が700円の計3,200円と、筆記具、そして僕の場合は軽い近視なので、普段かけていない眼鏡。 それらを用意して、最寄の警察署へ行けばいい。

ところで、自慢じゃ~ないが、僕は「優良運転者」 である。いわゆるゴールド免許というヤツである。 だから更新期間は5年だし、今回更新しても、次もまたゴールド免許である。 つまり、ずっ~と無事故、無違反、…そして、無運転なのです。 あはは~。

実はもう何十年も車の運転をしていないペーパードライバーである。 でも、身分を証明するときや、書留を郵便局に受け取りに行くときなど、運転免許証を持っていれば便利なので身分証明代わりに利用している。 だから、運転はしなくとも、運転免許証は毎回更新をしてきた。 今後の人生でも、車の運転をする機会などあろうはずはないが、今回も、やはり更新だけはしておこうと思う。

そこで、免許証用の顔写真を撮ろうと、近所のスーパーの入り口にある小さな自動写真撮影機まで出向き、そっとカーテンを開け、(中に人がいたらびっくりしただろうなぁ)、その内側に入って、椅子に座った。 以前もパスポートの写真用に、こういう機械を利用したことがあるが、どういう仕組みだったのか全然記憶がないので、じっ~と説明書きを読む。 料金は、700円である。 まず、千円札を入れる。 そして出てきた画面の指示に従って、該当項目にタッチし、「次へ」 「次へ」 と進み、さぁ撮影するぞ~という段階になる。 そして前の鏡に向かって椅子の高さをセットし、目線を定めて 「撮影する」 のスイッチを押す。 

カシャっ…という音がしたのかしなかったのか覚えていないが、少し間があって、やがて出来上がった写真が画面に映し出された。 それで良ければOKを押し、気に入らなければ、もう一度だけ撮り直しができる。 まぁ、代わり映えがしない顔なんで、これでいいか~と、さっさとOKを押し、撮影は終了した。 その瞬間、ガチャガチャっという音がした。 何かと思えば、さきほど入れた千円札のおつり300円が、機械の中から飛び出してきたのである。 

これで完了だ。 外に出て、「写真受け取り口」 で待っていると、ぴろ~んと葉書くらいの大きさの写真が1枚出てきた。 それを見て驚いた。 同じ顔写真が、2行にまたがってズラズラっと8枚あった。 そして、その下には、

   免許証・証明用(縦3.5cm × 横2.8㎝)
   指定された写真の寸法を良くご確認の上、
   用途に合わせてカットしてご利用ください。
   1マス1ミリ間隔、5ミリごと太線です。

という説明が添えられていた。 

それにしても、なんで8枚も…と思う。
必要なのは1枚だけなのに、8枚もあってどうすんねん?

700円で8枚より、300円ぐらいで2~3枚にしてくれたらいいのに…。 ぶつぶつ。

おまけに、写真を所定のサイズに切らなければならないのだが…

この8枚並びの写真の説明では、縦3.5cm × 横2.8㎝ …とある。
だが、公安委員会からの更新連絡書には、縦3cm × 横2.4㎝ と、微妙に違う。

この違いは、いったい何なのだ。

しかし、ミリ単位でうまく写真を切り取れるんかいな…? と悩んでいると、長男が、
「そのまま警察に持っていけば、切ってくれるよ」 と言った。

ふ~む。 これまでは僕が勤務してきた松原市役所の隣には松原警察署があり、そこで免許証の更新をずっと続けてきた。 警察の隣に交通安全協会というのがあって、知人がそこで勤めていたので、あれこれ教えられるまま、手続きをし、割高だったけど写真撮影もそこでしたので、あらかじめ規定サイズになっていたと思う。 だから、こんなふうにズラズラ~っと8枚も写真が出てきて、それを切る、なんてことは、したことがなかったのだ。

何でも人に頼っていると、環境が変わったら、また一からやり直さなければならず大変だ。

まぁ、そんな大げさな話でもないけれど、それにしてもなんで8枚も撮るんだ~。

こんなパッとしない顔の写真があと7枚残っても、どうしようもないじゃないか。

…とぶつぶつぼやいていると、妻が横から、
「だったら、次の更新のときにもその写真を使えばいいじゃないの」 と笑う。
「次…? 5年後か…?」 と僕。
「そう、5年後よ」
写真は6ヶ月以内に撮影したものでなければならない、と決められている。
「警察に、5年前と同じ写真はあきまへんでぇ…と言われるがな」 と僕。
「最近に撮った写真です、と言えばいいじゃないの」
「そんな無茶な…」
「5年間ず~っと同じ服を着ているんです、とか…」
「5年間、ず~っと同じ顔、同じ髪型、同じ服で過ごしてきましたと言うわけか…?」
「いい考えでしょ。 そうしたら、あと1枚は役に立つわけよね」

そんなアホな。

 

 

 

 

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静香姫さまへ

2011年01月11日 | 日常のいろいろなこと

1月9日のブログで、差出人不明の年賀状があったので、心当たりのある方は当方までご連絡ください…と、パソコンのメールアドレスを記しておいた。 すると翌日、パソコンの編集画面を開けてみると、右端に、「新着メール1通」 とのメッセージが出ていた。 あぁよかった、早速その方から連絡が入ったのだなぁ~と思いながらそのメールを開けてみたら、全然別の人であった。 

メールは、わが敬愛する 「静香姫」 からのものであった。
1月9日の夜に発信されていた。 

静香姫は、お年は僕よりお若いのだけれど、要職に就かれ、社会的地位も高い方で、時々 「おしのび」 で、僕を飲みに誘ってくれる方である。 歯切れのいい口調での会話は抜群に面白く、頭の回転が速くてしかも観察力が鋭く、話題が豊富である。 夢中で話していると、ついつい時間の経つのを忘れてしまう…という具合だ。 

その静香姫のこの日のメールも、新年会のお誘いであった。 ふだんなら携帯電話へ送って来られるメールが、パソコンのほうへ送信されて来たのは、このブログを読まれ、たまたまそこにメルアドが出ていたのでこちらへ送られのだろう。 そんなところも、とても楽しい方である。  

しかし、僕はまだ静香姫にお返事を出していない。 どう書くべきか、迷っているのである。

実は一昨日の誕生日を機に、一定期間の禁酒を決断した。 

12月からお正月にかけての飲み過ぎがたたったのか、どうも胃腸の具合がよくない。 朝起きるとなんとなく気分がモヤモヤする。 右のあばら骨の奥、つまり肝臓のある場所がなんとなく痛むような感じがする。 それと、飲みすぎると、翌日の耳鳴りがいっそうひどくなる。 

さらに由々しき問題は、僕の最大の持病である不整脈が、かなり頻繁に出るようになってきたことだ。 そのため、これまで1日2回服用していた抗不整脈薬を、3回に増やさねばならない日が多くなってきた。 その薬…シベノールは、最近は1日2錠分しか処方してもらっていないので、これまでのストックを出し切っても、次回診察日(今月17日) まで、足りるかどうか微妙なところになってきた。 次回は多めに薬をもらうつもりだけれど、元々この薬は命から2番目に大切なもので、どこへ行くにも持ち歩いている。 無くなると、えらいことになるわけで…

そんなことで、しばらくアルコールを絶って、体調を整えたいと思い、1月9日はちょうど僕の誕生日だったので、それを機会に実行し始めているところである。

新年会のお誘いはとても光栄なのだけれど、この実情を、はたしてどんなふうに静香姫にお返事させていただいたらいいものやら、迷っているところである。 

元々お酒を飲まない人は、宴会の席でもウーロン茶などを飲み、楽しく歓談するということができて、そういう人をうらやましいな~と感じるけれど、僕はお酒の席で、ウーロン茶だけ飲んで会話を楽しむ…ということは、絶対にできない。 目の前でおいしそうにお酒を飲んでいる人を見ると、大げさに言えば、死んでもいいから一緒に飲むぞ~というおバカ人間なのだ。 だから、禁酒中は危うきに近寄らずで、必ず家で食事をしなければならない。

…と、ウダウダと書いてきましたが、このブログを静香姫が読んでくださることを期待していることは、言うまでもありません。 

静香姫さま。  
意をお汲み取りいただければ幸甚です。 

なお、禁酒期間は未定ですが、市川海老蔵ほどは、長くないと思います(笑)。

冗談はさておき、3月にはまた役所で退職される方たちの送別会などが催されるはずですので、そういう会に誘っていただいたら参加して、お酒を飲みたいと思っています。 まぁ、今のところ、1月半ほどの禁酒期間を目処にしていますが、17日の徳洲会病院での定期検査&診察の時に、肝臓の数値も出ますし、医師にそのあたりも相談してみるつもりです。 まさか 「あなたはアルコール依存症だから、入院しなさい」 とは、言われないと思いますが…。
 

 

 

 

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ランニングと大河ドラマとサッカーアジア杯と

2011年01月10日 | ランニング

昨日、誕生日だったので、ちょっと何かしておこう…と思い、ふだんは5キロ程度のジョギングの距離をのばし、10キロを走った。 10キロを走る…というのは、実にどれほどに久ぶりか忘れてしまうほど久しぶりであった。 穏やかなお天気で、走るには最高のコンディションだったけれど。 

途中、何度か止まって体操したり、少し歩いたりしながらなんとか最後まで走りきれたが、脚だけでなく、身体の芯まで疲れてしまった。 そのあと予定していたコスパへの水泳にも行けなかったほど、クタクタになった。 

少し練習をサボると、体力とか筋力とかは正直なもので、間違いなく衰える。 以前なら、軽く10キロほど走ったあたりから調子が出て来る…という感じだったのに、今はこのありさま。 日ごろ水泳をしていたら、全身運動なのでどこも衰えないだろうと思うのは大間違いだった。 ランニングはランニングで、絶やすとあっという間に脚の筋力が衰える…ということを、身をもって痛感させられた昨日であった。

アナザービートルさんから、4月末に開催される堺シティマラソンという大会に一緒に出ようと、お誘いを受けているので、当面の目標はそのレースとなる。 実は去年も誘っていただき、申し込みまでしたのだけれど、立て続けに故障や怪我があり、欠場。 今年は雪辱を期して臨まなければならない。 年末年始で増えた体重も減らしながら、なんとか軽快なピッチでランニングができるような身体を、もう一度取り戻したいと思っているのだけど…。

話はガラリと変わるが、昨日の夜、NHK大河ドラマ 「江」 の第1回目を見た。

去年の 「龍馬伝」 よりはるかに力が入る。 なにしろ 「龍馬伝」 は最初の頃は熱心に見ていたものの、何かと言えばすぐにニッポンを変える、新しいニッポンを作る、今のニッポンを何とかせねば…というふうな、ニッポン、ニッポン、ニッポンとやたら騒ぎ過ぎるのに辟易した。 それがハナについて途中から見なくなり、年末の総集編だけ見た。 福山雅治も、龍馬を演じるには、ちょいと歳を取りすぎじゃき~。

さて、今回の 「江」 は、題材からして胸がはずむ。 
信長、秀吉、家康と継がれていく政権の渦の真っ只中で翻弄される一人の女性の、波乱万丈の生涯を描く…というのが何とも興味をそそるではないか。 しかも、ヒロインの 「江」 は、失意の中で逝くことの多かった周りの女性たちと違い、将軍の母にまで上り詰めるのだ。 つまりこの時代の女性群像では珍しく、いわばハッピーエンドの物語である。

これまでに見た大河ドラマの中で、最もよかったと思う作品を上げるとしたら、僕は迷わず昭和48年に放映された 「国盗り物語」 を上げる。 司馬遼太郎原作で、信長の妻お濃の父親である斉藤道三が前半の主人公で、後半は信長が主人公だ。  ここでも、今回の 「江」 の父と母である浅井長政とお市が登場する。 浅井長政は杉良太郎が演じ、お市はかつての日活の美人スター松原千恵子が演じた。 浅井長政が信長勢に攻め込まれたとき、妻であり信長の妹でもあるお市に、3人の子を連れて信長のもとへ戻って生き抜いてくれ…と言い聞かせ、炎上する城の中、自決するシーンは、38年経った今でも忘れがたい。 昨日、それと同じシーンがあり、見ていて目頭が熱くなった。

ちなみに、今回浅井長政を演じた時任三郎は、僕が勤めていた大阪府松原市の出身だ。 親戚の時任ナントカというおじさんが市議会議員選挙に出たこともあったが、落選してしまった。 すみません、関係のない話で。

ところで、今回お市に扮するのは、「東京ラブストーリー」 以来、大ファンになった鈴木保奈美だ。 お市は絶世の美女だったと言われている。 まさにそれにふさわしい役柄である。 だから、これまた目が離せない。 昨日の第一話はお市が主役のようなものだったから、何度も映る彼女のアップの画面を、目を光らせて見つめる僕なのであった。

ともあれ、次回以降が楽しみである。
このドラマは、去年と違い、たぶん年の終わりまで見続けるだろうと思う。

昨日は、そのドラマが終わったあと、午後10時からサッカーアジア杯の生中継があった。

この大会、日本はぜひとも優勝したいところだ。 場所はカタール。 あの“ドーハの悲劇”の舞台となった場所だ。 これから日本が緒戦を戦う。 相手はヨルダン。 中東の国々はあなどれない。 特に場所がカタールであれば、中東各国はホーム同然だし。

しかし…
このサッカー中継を見ていると、終わるのは深夜の12時を過ぎそうだ。
毎朝4時起床を日課としている僕としては、きつい。
残念だったけれど、録画だけセットして、10時には就寝した。

今朝、起きてすぐ、ネットで結果を見ると、日本代表は、なんとヨルダンに1対0でリードされ、後半のロスタイムでようやく1点返して引き分けた…とある。 ふ~む。 やはり厳しい戦いである。 これで、予選突破のためには、13日のシリア戦、17日のサウジアラビア戦は絶対に負けられない状況になった。 

頑張れ、ニッポン。 

ニッポン、ニッポン、ニッポン、ニッポン、ニッポン!

あはは。 これじゃぁ 「龍馬伝」 のことは言えませんよね~。
 

 

 

 

 

 

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ブログと役所の仲間たち

2011年01月09日 | 日常のいろいろなこと

長年勤めた市役所を退職して、早くも2度目の新しい年を迎えた。

最近は役所にもあまり出向かなくなり、沢山いた役所の年下の友達と直接会う機会もめっきり減った。 職場でいっしょに仕事をしたことのある人たちや、同好会 「ランナーズ」 の人たちや、その他、親しくしてもらっていた人たちとも、次第に遠ざかって行くこのごろである。

しかし、有難いことに、ブログがその部分をフォローする役目を果たしてくれている。

よく、「お久しぶりで~す」 という感じのメールをもらう。
そのあと、「ブログ、読んでいます」 と書いてくれているのはうれしい。
このブログで、僕の 「消息」 を確認してくれている人たちがいるのだ。

なんとなく億劫になってブログを1週間以上アップしないと、「ブログが更新されていないので、体調が悪いのかなぁと心配しています」 というメールをもらうこともある。 あ、そうか。 心配してもらってるんだ、と思うと、またブログを再開しようと勇気が湧く。 

他にも、いろいろな方々に読んでいただいている。 
身内の次男夫婦も読んでいるみたいである。 
次男のお嫁さんと会って話すと、あまりに僕の近況に詳しいので驚くと、「ブログに書いてはりましたよ~」 と言われたりする。 また次男は、「うちの子ども (ケイ君…1歳半) も、もっとブログに登場させてやってください」 な~んてメールを打ってきたりする。

…とまぁ、このブログも、見知らぬ方々との交流の場になると同時に、かつての仲間たちなどに 「元気にやってますよ~ん」 という発信の基点にもなっている。

退職すると、現役で働いているいろいろな人たちから、 
「のんさんは毎日、何をしてはるんですか…?」 と、尋ねられることが多い。

この人たちも、やがて訪れる自分たちの定年後をどう過ごすか、ということを今から真面目に考えているのだろう。 僕が毎日どのように過ごしているのかが、何かの参考の端くれぐらいにはなるのかもしれない。 実際に、「毎日が日曜日」 状態になると、あまりに自由であるが故に、何をしていいのかわからず、途方に暮れる場合があるそうなので、定年後のことは定年前に、それもかなり前の時点から計画を立てて、その時に備える必要があると思うんだよね。

昨日のブログで、自分の日課をいちいち書き綴ったわけだけれど、
これは、前述のごとく、 「毎日、何をしてはるんですか…?」 
と聞かれた人たちへのメッセージのつもりで書いたものである。

さて、今年もそういう方々からの年賀状を沢山いただいた。
「ブログ読んでいます」 という手書きの一行が添えてあった賀状が多かった。
これも、うれしいものである。

中には、以前、役所の同好会でいっしょに走っていた女性から、
「最近、はじめてブログを見ました。 おもちろい」 と書かれたのもあった。

生真面目な女性だったけれど 「おもちろい」 とは、なかなかお茶目である。


ところで、昨日(8日)、年賀状が1通、わが家に届いた。

  お健やかに新年をお迎えのことと お慶び申し上げます。
  本年も幸多き年でありますよう 心よりお祈り申し上げます。
                      平成23年 元旦    

と、パソコンで作成されたもので、調和のとれた色合いの美しい年賀状だった。
そして、その隅っこのほうに、ボールペンでの肉筆で、 
「ブログ 楽しみに拝見しています」 と書かれていた。

しかし…
差出人の名前が、表にも裏にも書かれていない。

「え~? 誰だろ…?」 男性なのか、女性なのかも不明である。
年賀状だから、消印もないので、住所の見当もつかない。

う~む。 誰なんだろうなぁ~。

自分は出したけれど、もらってはいない…という年賀状がいくつかあった。
その中のお一人であろうか…とも考えたが、どうもそれらしき人が思い当たらない。

もし、このブログをお読みの方の中に、そのご本人がおられたなら…
なんらかの方法でご連絡いただけませんか…? 

連絡方法がわからない場合は、 
non-ap@mail.goo.ne.jp  へお願いします。

よろしくで~す。

 

 

 

 

 

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ボクの日課

2011年01月08日 | 日常のいろいろなこと

毎朝4時に起きてブログを書く。 コメントが入っていたら返事を書き、そして本文を書いたら読み返し、加筆修正したりしていると、あっという間に1時間以上が経過する。

5時半過ぎから、テレビのニュースをつけ、長男の弁当を作り始める。 幼稚園が始まればモミィの弁当も作る。 長男は6時過ぎに起床し、6時35分頃、弁当を下げて車で出勤して行く。 

それから洗濯物をかき集め、洗濯機を回す。 ブログがまだ出来上がっていない場合は、長男が出勤してから、続きをやる。 そして、アップする。 

7時半頃、妻とモミィが起きて来る。
(幼稚園が始まれば、妻は6時40分に、モミィは7時に起きてくる)

僕は洗濯物をベランダへ持って上がり、干す。

リビングに戻り、妻とモミィの間に混じって朝食をとる。

8時過ぎ頃から、近くの大和川に出て、堤防コースをジョギングする。
…といっても、久しぶりにこの習慣を取り戻したのは、今年に入ってから。

ジョギングを終えるとシャワーを浴び、お風呂の掃除をする。 そのあと自分の衣類を片づけたり、新聞に目を通したりしているうちに、10時になる。

妻も朝食を作ったり、着替えたり洗顔したりモミィの世話をしたりで忙しい。 幼稚園が始まると、8時半にモミィを、歩いて15分かかる幼稚園まで送って行く。

10時が過ぎると、僕はマウンテンバイクに乗って駅前のコスパへ行く。 そこで約1時間水泳をし、泳ぎ終えると風呂やサウナに入って身体をほぐし、体重と血圧をはかり、またマウンテンに乗って家に帰る。 すでに時計は12時を回っている。 妻とモミィはお昼ご飯を食べている途中で、僕もその食卓に着く。 身体はクタクタ、おなかはペコペコである。 

僕の、午前4時からお昼の12時までの8時間は、こうして過ぎて行く。
(モミィをスイミングに連れて行く土曜日や、コスパの休館日は少し変わるが…)

午後からは、決まった過ごし方はない。 
ただし、夕食の用意は僕が担当しているので、これだけは必須科目となる。
(これがまぁ、手間がかかるんだけど…)

それ以外は、雑務を片付けたり、妻やモミィと遊びに出かけたり、図書館に行ったり、マウンテンで近郊を走ったり、みんなで買い物に行ったり、録画していたテレビ番組やDVDを見たり、部屋にこもって本を読んだり、身の回りの整理整頓をしたり…などと、さまざまである。

夕食を終えると、あとはだらだらと怠け放題だ。

8時半~9時には、妻とモミィは、お風呂から上がり、自分たちの寝室へ行く。 それを見届けて、僕は自分の部屋に入り、少しだけパソコンをいじったあと、ベッドにもぐって本や雑誌を読みながら、やがてうとうとし始め、だいたい10時ぐらいには寝てしまう。 ただ、そのままだと、2~3時間で目が覚めて眠れなくなるので、寝る前にたいてい睡眠薬 (マイスリー半錠) を飲む。 それでも、途中で目が覚めるけれど、この薬を飲んでいると、再び眠りにつきやすい。

特別なことのない日は、以上のような流れが、最近の僕の日課である。 

今日もまた、どうということのない話で恐縮でした。
こまごまとした日課の話を持ち出したのも、ちょっとした理由があったので…
それはまた、明日に書くことにします。

お仕事をお持ちの皆さん。 今日から3連休の方も多いでしょうね。
どうか良い連休をお過ごしください。 チャオ~。


 

 

 

 

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プールでの どひゃ~ん な話

2011年01月06日 | 日常のいろいろなこと

元日の朝日新聞の生活欄に 「1千メートル目指して」 という投稿記事があった。

健康のために運動をしなければと、最近スイミングクラブに入った男性の話だ。

初日は25メートルプールを5往復、250メートルをようやく泳ぎ、プールサイドにへたりこんだが、それから徐々に距離がのびてきた。 知人の60代の女性は毎日1千メートル泳いでいる。 自分も今の目標は、20往復千メートルを泳ぐことである。

…というような内容であった。
文末に住所・氏名とともに年齢が書かれていたが、この男性は73歳であった。

そういえば、僕が通うコスパのプールも、高齢者の人たちが多い。

コスパでは、更衣室を出て、階段を上がってプールへ行くのだが、両手で手すりを持って、ゆっくりと這うようにして階段を上がるくらいヨボヨボした人も何人かいる。 それでも、プールでは元気に泳いだり、水中ウオーキングをしたりしている。 8割以上が、女性だ。 水泳もウオーキングもそっちのけで、プールサイドやジャグジーで話に夢中になっている女性たちも多い。 そんな光景を見ていると、スポーツクラブというより、なんだか老人のサークルのように錯覚することもある。 …いや、まぁ、それは言い過ぎですけれども。

さて、昨日、今年初めて、コスパへ行って泳いだ。
何人かの顔見知りのおばさんたちとプールサイドで雑談をしたが、皆さんベテランで、泳ぎは達者だ。 その中のお1人は、1年くらい前、僕のクロールの泳ぎ方を見て、「手をもっと前に伸ばせばいいのよ」 とコーチをしてくれた人で、おかげでかなり楽に泳げるようになり、僕はその女性を 「お師匠さん」 と呼んでいる。 そのお師匠さんも、70歳そこそこのようにお見受けする。 昨日は、そのお師匠さんともう一人、僕より少~し年上くらいと思われる、なかなかべっぴんさんの女性と雑談をしていたのだけれど、何かのはずみに年齢の話が出た。

「あなたはお若いから上達が早いですよね」 と彼女が僕に言った。

僕は見かけは若く見えるみたいなので、プールではよく 「何のお仕事をしておられるのですか…?」 と尋ねられたりする。 そんな時はいささか照れ臭いけれど、「えぇ、まぁ、もう定年退職しちゃいまして…」 などと頭を掻く。 

その時も、若いから上達が早い…などと言われ、どう返事していいのかわからなかったけれど、僕にそう言ったべっぴんさんの女性は、70歳そこそこと見受けられる 「お師匠さん」 にタメ口で話すので、ちょっと不思議な気がしていたのである。 すると、その女性は、
「わたしももう年だから、少し泳ぐとしんどいわ~」 と言い、
「今年で、 “く” になるんですよ」 と、指を9本差し出した。

年齢の下一ケタが9、という意味なのだろう。

「はぁ…? “く” ですか…?」 と僕。
「そうよ。 “く” ですよ」 とその女性。
横で、お師匠さんが、ニコニコ笑っている。

“く” というと、69歳なのか … ? 

「あぁ、そうなんですか」 と僕が相槌を打つと、
「そうなんです。 今年で79歳になるんです。 来年は80歳よ。 うふん」

ひやぁ~。 僕は足を滑らせて水中に沈みかけた。

来年、はちじゅう…

「私もよく似たものよ」 と、横から 「お師匠さん」 が言う。
「あ、あ…、そうですか…。 はぁ…」
どこから見ても、そんな年齢とは思えない。

なんでそんなにお若くて元気なんですか…? と問いたかったほどである。

ふう~、とため息が出た。

間もなく62歳になる僕など、このプールへ来ると、ほんの 「ひよこ」 である。

 

 

 

 

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また寛平さんに触発されて

2011年01月05日 | 日常のいろいろなこと

今年の元日の朝、例によって今年の目標なるものを考えてみた。

しかし、いつも書いていることだけど、僕は欲深い男なので、ひとつ目標を立てると、なんだかそれだけでは物足らなくなって、ならあれもやろう … それも実行しよう … せっかくだからこれも目標に入れよう … 等々、次から次へと、思い浮かぶままに並べて行き、初詣で両手を合わせ、 「今年はこれらが、ぜ~んぶ実現しますように …」 と、あつかましく神様にお願いをする僕なのである。 もちろん、努力が報われるよう … という意味で手を合わすのだけれど、肝心の努力をしないまま 1年を終えるのだから、結局何一つ成就しない、な~んてことは、まあ、当り前のことなのである。

そんなことを、ず~っと繰り返してきた僕なのだ。

お正月に、ちひろさんが、

  私も何か目標を立てよう…。
  いっぱい立てて、一個でもできればいい位のスタンスにしようか、
  ひとつだけ立てて、それだけをがんばるか…
  ふう…どっちにしても、自分の心持しだいですよね…。
  それが、一番の問題です (笑)。

と書いておられました。 いや~、まったくその通りですよね~

僕は目標をいっぱい立てて、全部できたらいい~などという強欲な人間ですが、現実として僕には達成は無理で、しかも目標に振り回されるという本末転倒もいいところで、 ロクなことにならない。 それより、ちひろさんのように、多くの目標を立てても、1つできればいいんだ…という気持ち、あるいはひとつだけ目標を立ててがんばる…という気持ちのほうがずっと尊い。

誰かも書いておられたが、だいたい僕は、昔から 「一挙両得」 とか 「一石二鳥」 とか 「一網打尽」 とかいう言葉が大好きな性格なのだ。 しかしそれは、裏を返せば、遠回りしたり、コツコツ進んで行くということが面倒くさいわけで、そして、やがて 「二兎を追う者は一兎も得ず」 のことわざの前にひれ伏すことになるのである。
あぁ、因果な性格だこと。

そこであれこれ考えたあげく、今年はそういう 「目標」 なるものは、一切立てないことにしようという結論に達したのである。 目標を持たず、成り行きに流されて、いつかどこかへ流れ着いたところで、もう一度考えればいいのではないか…

そう思うと、不思議に身体の力も抜け、気持ちも楽になってくるのだった。

だが、しかし…である。

そんなときに、たまたまテレビで、日テレの 「ズームイン」 がかかっていた。
元旦なので、ニュースも華やかな雰囲気の中で進行していた。

その番組の中で、キャスターが 地球一周マラソンに挑んでいた間寛平さんが、中国の青島(チンタオ)に来ていることを伝えた。 もう日本は目前である。 寛平さんは、生中継の電話に出て、4日後の、1月4日に日本に帰国できそうだ、と語った。

ふ~む。 寛平さんといえば、僕らと同年代の人である。

かつて寛平さんは、ギリシャのスパルタスロンという、アテネからスパルタまでの約250キロを一昼夜かけて走り抜く過酷なレースに挑戦し、1年目は途中棄権したものの、翌年、見事に完走した。 それに触発され、僕もスパルタスロンとまではいかないが、ウルトラマラソンに挑戦しようと思い立ち、その後何度か100キロマラソンの大会に出場して、完走もできた。

その寛平さんが、2年がかりで、マラソンとヨットによる地球一周 「アースマラソン」 に挑んでいたことは、周知のとおりである。

「1月4日に帰りま~す」 と電話で言った寛平さんは、日テレ・羽鳥アナの 「今はどういうお気持ちですか…?」 という質問に対し、
「いやぁ、日本から東へ東へ走って行ったら、また日本に来ましたわ」 
と、マゼランの部下たちが現代に舞い戻って来たような、面白い感想を述べた。

それを見て、今年は目標を持たないでおこう…と決めていたばかりの僕だったのに、
反射的に、胸が、ざわざわと騒ぎ始めた。

そして 「自分のブログを毎日更新するっていう目標だけでも、立ててみるか…」
と思った。 寛平さんの快挙と何の関係もないけれど、ふとそう思ったのである。

まぁ、あまり意識的になったり、こだわりを持ったりはしないでおこうと思う。
一行でもいい。 何か、その日に残るものを書けばいい。 

と言っても、akira さんがおっしゃったように、そうなると病気にもなれない。
その他、さまざまなことで、ハードルが立ちはだかったりするのかもしれない。

とりあえず、自分に言い聞かせてることは、
なんとなくダラダラと続けるってことでもいいじゃない…みたいな…感じである。

昨日の朝、雨の中、寛平さんが福岡にヨットで到着するのを、生中継で見た。

やっぱり、目標は、何なりと持ったほうがいいんだな~と改めて思ったものだ。

 

 

 

 

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箱根駅伝のハプニング

2011年01月04日 | スポーツの話題

箱根駅伝は、大方の予想通り早稲田大学が優勝した。 
実に18年ぶりの優勝だそうである。
渡辺康幸監督も、感無量の表情を浮かべていた。

2位の東洋大学との差は21秒で、この差は大会史上最小だそうである。
総合タイム約11時間の中での21秒差である。 これくらいの差など、どうにでもできたのではないかと思えそうだけど、それが実力の差というものかも知れない。

それにしても驚いたのは、6区、箱根の山下りの時の早稲田の選手のアクシデントである。

先行した東洋大に早稲田が追いつき、クネクネと曲がる下り坂の道を、共に譲らずデッドヒートを繰り広げている最中である。 早稲田の選手がカーブで足を滑らせ転倒したのだ。 足でも捻挫していれば、その時点で早稲田の優勝は消えてしまうという危機一髪のシーンであった。

幸い、野球選手の滑り込みのような倒れ方だったので、選手に足のダメージはなかったようで、すぐに立ち上がり、再び東洋大に食らいついて行った。 

ところでこのシーン。 それ以上に驚いたのは、テレビを見ていると、画面では選手はまだ転んでいないのに、アナウンサーが 「あ~っと、転んだ!」 みたいなことを大声で叫んだことである。 重ねて言うが、その瞬間、画面では選手はまだ転んでいなかった。 

「えっ…?」 と思ったその直後、画面で早稲田の選手が転倒したのだ。 

この 「時間差」 はナンなのだ…? ほんのわずか、コンマ何秒かのズレだったけれど、アナウンサーは明らかに選手が倒れる前に 「転んだ!」 と絶叫したのである。

映像と音声に、わずかだが時間差があることを、このアクシデントで知ることができたが、その絶叫のおかげで、目がテレビに吸い付き、転倒シーンを確実に見届けることができた。


さて、もうひとつの 「驚き」 は、早稲田が優勝テープを切り、そして7位までの大学がゴールした後のこと。 注目されたのは、来年度のシード権を得るための10位以内をめざして、8位から11位までの4校の選手が、最後の死闘を演じているところであった。

日体大、青山学院大、国学院大、城西大の4つの大学がひとかたまりになっている。
10位以内に入れるのは、このうちの3校である。 
11位になった1校だけ、そこから外されてしまうという厳しい闘いだ。

4選手とも、必死の形相で、こん身の力を振り絞っている。
ついにゴールへの直線コースに来て、その中から国学院大の選手が一気に先頭に立った。
これでまず1校が決まり…と思っていたら、なんとまあ…??
国学院大の選手が、ゴールを目前にしてコースを間違い、右へ曲がって行ったのである。

あとの3選手は直進してゴールへまっしぐら。
それに気づいた国学院大はあわてて進路を戻して最後方から追う。
あぁ、もうダメか~と思っていたら、その選手はゴール寸前で1人を抜いた。
ギリギリ10位を確保し、彼は仲間たちに抱かれて満面の笑顔を作った。
最後に抜かれてゴールに崩れ込んだ城西大の選手は、まことに気の毒であった。

それにしても、なぜこんな大事なところでコースを間違えたのか…?

僕はレースの模様をビデオを撮っていたので、夜にこのシーンを何度も再生して確かめた。
国学院大の選手は、自分の目の前を走っていた大会運営車しか見ていなかったのだろう。
ゴールがあと数百メートルに近づいたとき、大会運営車をはじめ、関係各車両が右の道へ入って行った。 車にくっつくようにして、無我夢中で走っていた国学院大の選手が、そのまま車につられて右折してしまったのも無理はなかっただろう…と思われた。 その交差点に何人も、係員や警備員らしきおっちゃんたちがいたが、こういうことも予想して、選手が絶対にコースから外れないようにしっかりと誘導しなければならなかったはずである。 
おっちゃんたちの動作が曖昧で緩慢だったことが、このハプニングを生んだとも見えた。

コースを間違えるというのは、当の選手より、むしろ運営側の不手際のほうが非が大きい。

頭の中は真っ白で、余裕のかけらもなく、ただ歯を食いしばって走っているだけ…という選手だって大勢いることを、大会関係者は、もっと知っておかなければならない。

それにしても、毎回テレビを見て思うのだが、先導車や大会運営車のほか、報道関係かなんだか知らないが、この駅伝は本当に車の数が多い。 多すぎる。 まるで車と車の隙間を選手が走っているようにも見える。 本当に、あれだけの車が走る必要性があるのか…? 
と、いつも疑問に思う。

最後のコース間違いのハプニングも、その悪影響のひとつ…と言えなくもないだろう。

…と、文句を言いながらも、箱根駅伝の興奮は、他の駅伝にはない独特なものがある。
今年も、十分に楽しませてもらった。

しかし、それにしても、かつての箱根駅伝の常連だったあの順天堂大学というのは、どこへ行ってしまったのだろうか…

 

 

 

 

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箱根駅伝で思い出すこと

2011年01月03日 | ウォーク・自転車

お正月のテレビの一番の楽しみは、箱根駅伝を観戦することである。

毎年、1月2日は、長男の高校時代の友人たちがわが家に集まってワイワイとにぎやかに宴会をするのが恒例になっているので、みんながやって来る昼頃まで、僕はキッチンに立ちっぱなしで、料理を作りながら駅伝を見る。 それがいつも1月2日の過ごし方である。

今年も朝からスタートした箱根駅伝を見ながら、焼き鳥を焼いたり、オーブンで焼き豚や肉団子を作ったり、ウィンナーを炒めたり、玉子焼きを焼いたり、かまぼこを切ったり、ポテトサラダを作ったり、市販のイカ一夜干しや肉の燻製を皿に並べたり、野菜を盛り付けたりして、せっせと働いた。 

眼も耳も頭も箱根駅伝に気を取られていたが、手だけは料理を作っている。 息子の友人たちはみんな僕と同じようなビール好きなので、献立を考えるとき、僕だったら何を出されたらうれしいか…だけを基準にして、おつまみを考えたらいいので、楽チンである。 

さて、今年の箱根駅伝の注目は、出雲、全日本に続き、この箱根で大学駅伝三冠をめざす早稲田大学が優勝するか…? ということと、過去2年、往路の山登りで驚異的な走りを見せた 「山の神」 と呼ばれる柏原の走りっぷりはどうか…? という2つが最大の焦点だ。

その早稲田は1区から、ひときわスリムな1年生選手が積極果敢に飛び出して、2区、3区、4区、そして最終5区まで先頭でタスキをつないだ。

その5区で、東洋大学の 「山の神」 柏原は、3位でタスキを受けた。
先頭との差は2分54秒差だ。 今年の箱根駅伝の最大の見どころが訪れた。

  ………………………………………………………………………………………

箱根駅伝は、東京の大手町をスタートして、2区鶴見、3区戸塚、4区平塚、そして5区が小田原から箱根山頂・芦ノ湖までの山登り。 片道合計110キロ近くの距離を、5人の選手が5時間半そこそこで走り抜く。 5区の箱根の山登りは、標高差約800mを、一気に駆け登る。  

むかしむかしに自転車旅行をした時、このコースを走行したことがある。 

たとえば、4区の平塚から小田原まで、僕はかなりのスピードでペダルをこいだのだけれど、それでも1時間を要した。 なのに、昨日の4区の区間最高記録を出した選手は、54分34秒で走った。 僕が若い頃に精一杯のスピードで走った自転車でのタイムよりも、この選手たちははるかに速く2本の脚で走るのである。 いやまぁ、すごい、のひと言につきる。

僕の自転車旅行は、そのあと小田原から箱根を越えて静岡県に入り、愛知から三重、京都、大阪へと、数日かけて走ったわけだけれど、小田原~箱根間は、この駅伝と同じコースを自転車で走った。 いや、走ったというより、自転車を押して歩いた、というほうが、正確か。 

小田原駅から箱根湯本までは、上り坂もなんとか自転車から降りずにペダルをこげたが、その先はもうダメだった。 どんどん勾配がきつくなり、僕の脚力ではとてもではないが乗っていられない。 仕方なしに、自転車から降りて、押して歩いた。 小涌谷を通り、クネクネと曲がる上り坂をハアハアと息を切らせて登った。

汗びっしょりになって自転車を押し続け、ようやく芦ノ湖が姿を現した。

ここから下りになり、芦ノ湖が展望できる絶景の場所に着いて、一段落した。

そこに、「箱根公園」 という看板がかかっていた。
正確なことはわからないが、たぶん、その公園の手前くらいに、駅伝の往路のゴール地点がある
のではないかと思う。



  
     道路が箱根の山中に入ると、勾配がどんどんきつくなってくる。


 
      芦ノ湖の見える公園に着き、ホッと一息



時計を見ると、小田原を出てから、この箱根公園に到着するまで、約4時間かかっていた。

そのコースを、「山の神」 は、昨日、1時間17分53秒で走り抜いたのである。

あの箱根の上りは、まことにえげつない急坂が続く。
歩いて上るだけでも大変である。 それを、あれだけスイスイと走るのだから…

…やっぱり、人間業とは思えない。

箱根駅伝が、どの駅伝よりもスゴいと思うのは、この山登りがあるからだろう。
さらに、見ているうちに、自分の自転車旅行への懐旧の情に浸れる…ということもある。
そんなことで、毎年、箱根駅伝は見逃せないのである。

レースは 「山の神」 柏原が早稲田を抜き、東洋大が3年連続で往路を制した。
2位に早稲田が入り、東海大、明治大、駒沢大と次々にゴールし、初日は終わった。

今日は復路で熱戦が繰り広げられる。
トップの東洋大と、2番目の早稲田の差は27秒である。
この差なら、早稲田が断然有利…との見方が強い。
しかし、駅伝は何が起こるかわからない。

さぁ、まだ朝の6時半だし、駅伝のスタートまで、1時間半ほどある。

元日は次男の家族が来て、2日は長男の友達が来た。 が、今日は誰も来ない。

よ~っしゃ。 思いっきり箱根駅伝を楽しみまっせ~。

 

 

 

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明けましておめでとうございます

2011年01月01日 | 日常のいろいろなこと

みなさま、空けまして、おめでとうございます。
げっ~。 新年早々、さっそく漢字の変換間違いをいたしました。

みなさま、明けまして、おめでとうございます … でしたね。

パソコンのワープロで年賀状を作る時は、漢字変換間違いに注意しましょうね。

2011年が皆さまに鳥まして、幸お起き都市になり枡よう胃乗りま~す…

な~んてことのないように… あはは。

ところで、昨日の大晦日の紅白歌合戦、見ました…?

僕は、ビールを飲みながら、ささやかな正月料理を作りつつ、見ましたよ。

「トイレの神様」 は、何度も聞くと、悪いけど、飽きてきますね。
初めて聞いたときの感動が大きすぎた … その反動でしょうか。
昨夜、紅白で見たときの感想は、 「長い歌だなぁ」 というだけの印象でした。
もちろん、歌詞そのものには、今でも涙が出ますけれども…。

それと、AKB48…ですか。 可愛いかったですね~。
メンバーが48人いるのかと思ったら、次男によると、プロデュースした人が  「シバ」  さんという人で、 「しば」 →  「48」 で、そんな名前になったとのことです。
はぁ…。 勉強になりますわ。 でも、その話、ほんまかいな。 

今回の紅白で最も心に沁みた歌は、この年亡くなった作詞家の吉岡治さんと星野哲郎さんの代表作である2曲を、石川さゆりと北島三郎が歌った、「天城越え」 と 「風雪流れ旅」 でしたね。  あ~ん。 よかったわ~。  

「ゲゲゲの女房」 の松下奈緒 (赤組司会) のピアノ独奏もよかったし、キャラクターメドレーコーナーでAKBの女の子などが華やかに歌った 「ハートキャッチ・プリキュア」 には、モミィも大喜びしていました。

それと…、紅白歌合戦とはゼンゼン関係ありませんが、別番組でドリフターズの懐かしいビデオもやってました。 それも、お腹を抱えて大笑いしながら見ましたね~。  ふだん、テレビの低劣なバラエティ番組を批判しながら、こんなコントに大笑いするのだから、僕もミーハーだなぁ、とつくづく思います。 でも、やっぱり、ドリフは、面白い。 

まぁ、そんなことで、今年、僕は60何回目かのお正月を迎えました。
何回目かは、忘れました。 えへへ~。

でも、今年こそ…という目標を、たった一つだけ、ここに掲げます。

それは、このブログを、1年間、1日も欠かさず更新することです。
365日、休まず更新することです。 (ほんまかいな…?) 

昨年末 (…といっても昨日ですが) のブログで、毎回、いろいろな新年の決意をしても、結局終わってみれば何一つ実行できなかった … と嘆いたばかりです。 

でもね、今年は思い切って、ひとつだけ、このブログを毎日更新します…という目標を揚げてみます。 

人から見れば、それがどないしてん … ということになるでしょうけど、まぁ、僕としては、今年が自分自身を試してみる最後の機会かな~という意味で、そのような決意をしました。

ヒマな方は、チラっと見るだけで結構ですから、どうぞこのブログにお付き合いください。
コメントなどのお気遣いは、結構ですからね~。

ところで…

もちろん、今、ビールを飲んで、いい気持ちに酔っています。

明日、しらふに戻って自分のこのブログを読み、あわてて削除しているかも … ですね~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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