僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

オウム真理教 死刑執行と地下鉄サリン事件のこと

2018年07月07日 | ニュース・時事

一昨日の夜は大雨洪水警報が出て不安な一夜を過ごし、昨日(6日)は朝からテレビをつけたまま、大雨に関する情報から目を離さないようにしていた。そんな時、モーニングショーの番組の途中に突然「速報」が入った。てっきり大雨に関するニュースだと思ったが、実はそうではなかった。

その速報というのは、オウム真理教元代表の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が、死刑執行されたという報だった。そしてその他6人の教団元幹部も死刑執行されたということだった。それを見て、やっと執行されたかと思ったのは僕だけではなく、ほとんどの人がそう感じたことだろうと思う。

地下鉄サリン事件をはじめ、多くの残虐な事件を起こした首謀者である麻原彰晃は、2006年に死刑が確定しており、12年を経ての執行となった。一般の感覚からすれば、なぜ12年もという思いがある。が、共犯とされる他の被告たちの裁判が続いている間は死刑判決が出ても執行を避ける、というのがこれまでの傾向なんだそうだが、それにしてもねぇ、あまりに遅すぎない?  

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地下鉄サリン事件といえば、忘れられないことがあります。
以前も書いたことがあるけれど、改めてここに書きます。

1995年(平成7年)。つまり、今から23年前ですね。

その年は1月に阪神淡路大震災が起きた。僕と妻は3月にパリに旅行する予定だったが、震災の惨状を見て恐怖心が湧き、余震もあり得るという報道もあったので、海外旅行に行くのが不安になった。で、パリ旅行を取り消し、その代わりに東京へ旅行に行った。

東京ディズニーランドへ初めて行ったのもこの時だ。当時の日記を見ると、旅行は3月17日から19日までの3日間。ディズニーランドには18日に行った。そして大阪へ帰る日の3月19日のことだった。

お昼に銀座で東京での最後の食事を楽しんだ。その日は日曜日だったので、銀座の道路は歩行者天国になっていた。そこをぶらぶら歩きながら、地下鉄への降り口へ行った。そのとき、降り口のところに一人の男が立っていて、ちょうどティッシュペーパーを配るような感じで何かのカードを配っており、僕にもその1枚のカードをくれた。見ると、東京の地下鉄の路線図だった。僕はそのとき何も思わずにそれをポケットに入れ、地下鉄に乗ってから改めて取り出して見てみると、その路線図の裏に奇妙な文章が載っていた。

2ヵ月前に起きた阪神大震災のことに触れながら、「日出る国、災い近し」と書かれてあったのだ。そして「間もなく日本に大震災以上の大きな災いが訪れるであろうというようなことが書かれていた。

何だこれは? 地下鉄の路線図と、何の関係があるの

と僕は不思議に思いながらも、それ以上のことは考えず、またポケットにしまいこみ、東京駅から新幹線に乗って夕方に大阪に帰り着いた。

そして翌日。3月20日の月曜日の朝のことである。

勤務先の市役所へ出勤したら、ロビーのテレビの前に職員たちが群がっていた。
何事かと思って、僕もテレビの前へ行ってみた。画面にニュースが流れていたのだが、地下鉄の構内らしき光景が映っている。
「何これ? どこの地下鉄? 何かあったの?」
と僕がそばにいた後輩職員に問いかけると、 
「東京の地下鉄で毒がまかれて何人もの人が亡くなったそうですよ」
と、その後輩職員が教えてくれた。「えっ? 地下鉄で毒がまかれた?」

地下鉄サリン事件を知ったのは、この時だった。

翌日、3月21日は春分の日で、仕事は休みだった。僕は朝からTVニュースやワイドショーを見続けた。もちろんどのチャンネルも地下鉄サリン事件一色であった。それらの番組の中でひとつ、あれ? と思うレポートがあった。事件の前日に「あるもの」が配られていた、というのだ。

あるレポーターが「こういうものが前日の午後、銀座で配られていたということです」と言いながら、テレビ画面にカードを示し、それがアップで映し出されたのを見て、僕はびっくりした。あの地下鉄の路線図カードだったのだ。

「間もなく日本に大震災以上の大きな災いが訪れるであろう」とあった。

間違いない。僕が銀座の地下鉄の降り口で、一人の男から受け取ったのと同じものだった。レポーターが続けて言うには、この路線図のカードは東京都などが公式に作製したものとは違うものであり「この路線図の中心には霞ヶ関駅が描かれています」ということだった。それを見ていた僕は、銀座で受け取った路線図カードを出してもう一度確かめた。するとやはり霞が関が路線図の中心になっていた。あとからわかったことだけど、サリン事件の主な現場となったのは地下鉄霞ケ関駅だった。

テレビではレポーターが「事件の前日に配られたこのカードには何かの意図を感じます。サリン事件を予告したのでしょうか?」と興奮しながら言っていた。

思えば僕はオウム真理教の男から路線図カードを受け取ったのだった。そしてテレビの前で、そのカードを握ったまま、茫然自失となった。

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ついこの間のことのようですが、あれから23年経ちました。

そして昨日の死刑執行のニュースでした。

あれだけの人命を奪った集団の首謀者である麻原という人間が、12年も、いや、逮捕されてから数えると23年も生き延びてきたというのが不思議でならなかった。新聞によると、麻原はその間拘置所でず~っと「よく食べて、よく寝て、よく運動していた」ということだ。なんだ、それは? 

今回の死刑執行は、まだ事件の全容が解明されていないのに早すぎるのでは、という批判もあり、さらにあるNPO法人の代表者が「麻原死刑囚らには心神喪失やその疑いがあるのに、その精神状態をきちんと判定もせず死刑の執行をしたのはきわめて重大な人権侵害」と述べたと今朝の新聞に載っていた。

これだけ年月が経っているのに、全容解明がまだだから執行は早すぎる、というのなら、一体いつまで待つのか?

それと人権侵害?

じゃぁ、坂本弁護士一家や松本サリン・地下鉄サリン事件での被害者をはじめ、数多くの殺害されたり後遺症が残ったりした人たちの人権はどうなるの?

まったく、理解に苦しみます。

 

   
    昨日(7月6日)の夕刊から。

 

 


 

コメント (4)
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