妻と2人でパリへ行った時のこと。まだ海外旅行に慣れていない頃だ。
モンパルナスの駅前で小さなカフェに入った。奥にカウンターがあり、そこに3人ほど男の客たちが立ったままコーヒーを飲んで何やら大声でおしゃべりをしていた。カウンターを挟んだ向こう側に、店のマスターらしき男がヌーッと立っていた。ここでは、テーブルに座るのとカウンター前に立つのとでは、同じ飲み物を注文しても値段が違うそうだ。むろん、立ち飲み(?)のほうが安い。
僕たちはテーブルに座った。しかし座ってもウエイトレスが注文を取りにくるわけでもなく、そのままほったらかしである。あ、これは自分から行かなければならないのだとわかり、カウンターのマスターらしき男のところへ行き、「カフェ・ドゥ」とちょっと緊張して注文した。
「カフェ?」と男は怒鳴るように反復し、そのあと「バケツ!」と、さらに大きな声で僕に言った。「はぁ…? バケツ…?」…あの雑巾なんかを洗うときに使うバケツか…? なんや、そら? 僕たちはコーヒーを飲みたいのである。まさかコーヒーがバケツに入って出てくるわけでもあるまい。
「バケツ…?」と僕は男に聞き返した。男はまた「バケツ!」と叫び、僕の様子を窺った。僕は何が何だかわけがわからず、ただポカ~ンとしていると、「あ、こいつはダメだ」と悟ったのか、男は「もういい」という仕草をして、コーヒーを2つ入れて僕に手渡したのである。
コーヒーを運んで席に戻り、妻に「あのおっちゃん、バケツって言ってたけど、何のことやら…」とつぶやいて、僕たちは店の隅でひっそりとコーヒーを飲んだ。他に座っているお客は一組もなかった。
…今から思えば、マスターらしき男が「バケツ!」と叫んだのは「バゲット」つまりパンのことだった。それが僕のお粗末な耳には「バケツ」に聞こえたのだ。やれやれ…。まだ朝のうちだったので、コーヒーを注文したらパンも食べるのではないか…と相手は「親切」に言ってくれたのかも知れない。まあその時は、怒鳴るような口調に「親切」など感じるわけなかったけれど…
今は日本のお店でフランスパンが「バゲット」と表示されたりして、半ば日本語化していますが、その言葉がまだ普及していなかった1990年代のお話です。むろん僕もバゲットという言葉自体を知らなかったので、「バケツ」がパンのことだったとは、思いも寄りませんでした(笑)。
個人で海外へ行くとこういうバカみたいな勘違いや失敗談がヤマほどあります。このブログでも、また少しずつ紹介していきたいと思います。でも、こんな話は人生に何の役にも立たない話ですから、ムダな時間を過ごせない方は、お読みにならないほうがよろしいかと…