…まぁそういうわけで、四国自転車旅行も最終日を迎えた。
昨日までと違って厚い雲が空を覆い、今にも雨が降りそうな天気だ。
早朝6時10分に大洲の国民宿舎を出て、内子、中山と走り、このサイクリング最後の「大物」の峠となる犬寄峠を越えて伊予市に入った時は、やれやれ…と一段落した気持ちだった。地図を見ると、ここから松山、北条、今治、そしてフェリー乗り場のある東予まで、峠らしいものはない。旅の最後は、快適な走りで締めくくることができそうだ。
午前10時、はるか前方に松山城が見えてきた。
松山はさすがに人口30万人を超す大都市で、活気もある。
松山駅の2階で早めの昼食をとったあと、市内をぶらりと走る。
たまたま通りがかった子規堂というところに「現存する最古の軽便機関車」という「坊ちゃん列車」があったので、その前で写真を撮ってもらった。
11時15分に松山を出発し、1時間後に北条市に入った。
空はいつの間にか、雲が消え、真上から強い日が射していた。
海添いの道路脇で、自動販売機で買ったスプライトを飲んでいると、前を通り過ぎようとした麦わら帽子をかぶったおじさんが、僕を見て飛び上がらんばかりに驚き、
「おお!その肩、えらい日焼けじゃなぁ。水ぶくれになっとるぞ。体に悪いから袖のある服を着なさい」
と僕の肩を指さした。
「え…?」と、首を曲げて自分の肩に目をやったら、ほんとだ、ひどい水ぶくれになっていて、我ながらびっくり。ランニングシャツなので、肩がむき出しになっていた。僕はその場でリュックから半そでシャツを取り出し、それに着替えた。麦わら帽子のおじさんは、よしよしと頷き、「気をつけてな」と言い残して去って行った。
ふ~む、親切な人もいるもんだ。大阪なら、そういうことを言われることは、まずないだろう、と思う。
今治まであと5キロというところで、急に空が真っ暗になり、ポタリと雨粒が落ちてきた。直後、ザザーという音とともに周りの景色が一変した。うわぁ、大雨だ~。とても走っていられる状態ではない。急いで民家の軒下に逃れ、そのまま30分間、じっと立ちんぼうで雨がやむのを待っていた。ぐすん。
やがて小降りになってきたので、この旅行で初めて雨合羽を着用して今治に向かった。
今治市に入った頃から雨がやみ、やがて青空も見えてきたので、今治駅に着いた時は安心して缶ビールを買って飲んだ。うまい! あと20キロ。1時間程度で最終地の東予の港に着くだろう。旅もいよいよフィナーレを迎えるのだ。
僕はすっかり旅を終えたような気になって、ルンルン気分で自転車に乗り、最後の20キロに臨んだが、信じられないことにまた豪雨が襲いかかり、さらに今治と東予を隔てる山中では、雷がゴロゴロ~っと鳴り響いた。今度は逃れる民家などない山の中である。怖がりの僕は、息をするのも忘れるほど夢中でペダルをこぎながら、落雷で死ぬのではないか…と、大げさではなく本気でそう思い、生きた心地がしなかった。
それにしても、天に心の油断を見透かされたような雷雨の襲来であった。
あぁ、早くフェリー乗り場に着きたい。大阪へ帰りたい。家が恋し~い。
最後の最後に荒々しい洗礼を受けながら、やっとの思いで東予市に入った。
東予港のフェリーの乗り場がわからず、まごついたりして時間を費やしながら、ようやく見つけて到着した時は、午後5時だった。雨はもう上がっていた。
フェリーの出航時間は午後8時50分。時間は十分ある。ゆっくり日記などを書きながら、缶ビールで祝杯を上げよう。もう、油断してもいいだろね。
とりあえず自宅に電話をして、妻に無事ゴールインしたことを報告した。
自転車走行距離は、676kmだった。
この旅行で最後の峠となった犬寄峠から「下界」を見渡す。
北条市付近で。 ゴールが近づくと、景色もまた格別の味わいがある。
雨も上がってやれやれ。
もうゴールまでスイスイ~…と思っていたら、
このあと、雷雨に見舞われて、あわてふためく一幕が…。
青息吐息で東予港のフェリー乗り場に到着。
あぁ~、この瞬間をどれほど待ち望んでいたことか。
東予~大阪までのフェリーのチケット。
上が自転車、下が人間です。
(昭和53年(1978年)7月12日)