きょうは秋分の日である。せっかくの祭日だが…
早朝から外は豪雨で、ときどき雷が鳴り響き、ピカッと稲妻が光る。
幼稚園が休みだから4歳のモミィが「なんで休みなん…?」と聞く。
「祭日やからね」と言うと、「さいじつってなに…?」とまた聞く。
「それはね、土曜と日曜以外にも休みがあって、それを祭日と言うんだよ」
と、答え、「こんどの祭日は、秋分の日というんだよ」と説明する。
モミィはさらに、「しゅうぶんのひって、なに…?」とたたみかけてくる。
「う~ん、秋分の日というのは、…う~ん、う~ん」と僕は唸りながら、
「お日様が出ている時間と、お月様が出ている時間が同じになること」
などと、いい加減な、しかし、必死に考えた末の答えをひねりだす。
「なに…? おひさまと、おつきさまがどうしたん…?」
あぁ~、このごろはモミィの「○○って、なに…?」「なんで…?」の責め苦に悶え悩む毎日である。何か、幼児に説明するための国語辞典って、ない?
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さて、僕が長年勤めていた大阪府の松原市議会で、先般、市議会議員の選挙が行われ、新たに19人の議員が当選し、何人かの新人議員も当選してきた。
この何十年間というもの、すべての市議会議員と顔見知りだったけれど、今回から、まったく知らない市議会議員が出てきて、僕の仕事もますます過去のものへと遠ざかって行く。
そして、一昨日の21日に臨時議会が開催され、議長や副議長のほか、いろいろなポストの役員が決められた。
それを見て、一番驚いたのは、3つある常任委員会の副委員長のポストを、すべて今回初当選してきた1年生議員で占められていた…ということである。
副委員長といえば、委員長が都合で欠けたときには委員長をするという大事な役割を担うポストである(ただ、日陰の存在ではあるけれど)。
委員長は会議を仕切るだけの知識と経験が必要だ。それを、ほんの1週ほど前に初めて議員になったばかりで、右も左もわからぬ人間が、どうして出来るというのだ。まさか新人たちが、「ぜひ私を副委員長に」と、名乗りを上げたわけではあるまい。程度の低いベテランか中堅議員が各会派に根回しをして「副委員長は日陰の存在で、何の実質的なメリットもないので、新人議員に押し付けるということに決めよう」みたいな妙な申し合わせをしたに違いない。これから、そういう慣例を作ろうというつもりかも知れないが、まったく、常任委員会というものを頭からナメきった、無知で低級な役員人事というほかはない。
もし、「新人議員さんに勉強してもらい、責任感を持ってもらうやる気を出してもらうための抜擢だよ」…というのなら、なおさら勘違いも甚だしい。委員会は、子どもの塾ではない。真剣勝負の場であり、おもちゃの刀で「試し切り」をしてみるところではないのである。
何より、議会の誰もがそういうことを「いいこと」だと思って、全員が無批判に「右へ習え」と決めてしまうところが危うい。
こんな調子では、松原市議会は、先行きが大いに不安である。
松原市議会も、議員の新陳代謝が激しくなり、それ自体はとてもいいことだけれども、やはりこれも、中身による。
僕の目から見て優れた人材がすっかり少なくなり、代わりに、知識もないのに権威だけをふりかざすような中途半端な人物が中心になって、議会の質を落としていくという嘆かわしい現象が起こりつつある。市職員や松原市民のみなさんは、いま、そんな松原市議会に対して、厳しい視線を向ける必要があると思うのだ。
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ところ変われば品変わるで、逆に市議会を完全に無視したアホ市長がいる。
いつか書いたことがあるが、鹿児島県阿久根市の竹原市長である。
議会を招集する義務がある市長が、議会を開かず、勝手に自分で決める「専決処分」ですべてのことを決めていく、という、聞いたこともない暴挙に打って出て、しかもそれが市民の支持を受けてきたというのだからタチが悪い。
なぜ市民に人気があるのかといえば、議員や職員は優遇され過ぎているとし、バッサバッサと議員報酬、職員給与、ボーナスの額などを大幅カットし、自分に逆らう職員は、クビにする。そういうことが、「公務員嫌い」の市民の喝采を浴びたということである。その意図はいい。「官民格差を是正する」といううたい文句も立派である。しかし、だから暴走してもいい…ということにはならない。市民に迎合し過ぎなのである。
それを独断の「専決処分」で次々と処理していくという手法が大きな問題なのだ。議会の議員も、市長と同じように選挙で選ばれているのだから、まさに市民の代表である。それを無視するのは議会制民主主義に反することは明らかで、これはもう話にも何もならない。よくこんなことがまかり通っているなぁ、とずっと思っていた。
しかし今月、竹原市長のリコール(解職請求)を求める市民の署名が有権者数の過半数に達し、解職の是非を問う住民投票が実施される見通しとなった。まぁ遅すぎたけれど、阿久根市民の良識の一片を示したものと言える。
そんなとき、今回新たに総務大臣に就任した片山善博さんは、阿久根市長の専決処分について、専決処分というのは災害時など議会を招集する間もない時に緊急の案件があった場合にやるもので、その要件も満たしておらず、そもそも通常の時から議会を招集もしていないのだからこれも違法であり、違法な状態で行った専決処分だから、根っこから違法だ、と述べた。実にスッキリした論理である。これを、前の原口総務相がなぜ言えなかったのか…と、あらためて思う。
片山さんは「朝ズバ」で、あのつまらない相槌を打ちすぎるみのもんたを相手にしながらも、実に視聴者にわかりやすく、丁寧な解説をしてくれていた。今回の竹原市長に対するコメントは、さすが~、と感心するほかない。
竹原市長もそうだけど、「住民に人気がある」というだけで、それを嵩にかけて議会などを威圧する…という手法は、名古屋市の河村市長や、あるいは少し意味は違うが大阪府の橋下知事も、似たところがある。
法政大学のある教授は、「(この2人は)世論に支持されているおれたちの言うことを聞け、という面があり、議会に説明を尽くす首長の責任を果たしているのか疑問」と、新聞に意見を寄せていた。
宮崎県の東国原知事もいい加減な男だ。
あれだけ「宮崎をどげんかせんといかん!」と、郷土の発展に命を懸けるかのごとき発言で知事に当選しておきながら、1期4年でさっさと宮崎を捨てて中央進出をうかがっている。まあ、淫行で逮捕されたくらいしか目立った「実績」のないそのまんま東のような三文タレントに期待するほうが間違っているけどね。
選挙の投票は人気投票ではない…と言っても、それは所詮、理想論である。
現実は、テレビで有名になって票を取れるという人間たちがどんどん政治の世界に出回っている。資質・能力と関係なく、である。
まことに嘆かわしいことではないか。