僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

四国自転車旅行 ⑤10円玉

2010年09月10日 | ウォーク・自転車

 

 

 西海町から宇和島を通り、大洲まで ~

四国を走っていて目につくのは、やはり「お遍路さん」の姿である。
あの独特の姿…手甲・脚絆をつけ、菅笠をかぶり、金剛杖をついて歩く人たちをこの旅行中、何度も見た。遠目では、そういう格好をしているので年配者に見えていても、近づいて顔をのぞくと案外若い人も多い。今は四国八十八ヵ所霊場札所の巡礼が、一種のブームになっているのかも知れない。

しかしこの炎天下を歩くのは、相当な苦行であろう。それに比べれば自転車旅行など、楽なものだぞぉ、…と自分に言い聞かせながら、テクテク歩いているお遍路さんを追い越して行ったりする。

自転車で走っていると、時々、追い越して行く車の中から身を乗り出して「がんばってねぇ~」と手を振って声援を送ってくれる人がいるが、この場合は、自転車の僕がお遍路さんを追い越すときに、「がんばってねぇ~」と声をかけてあげたいほどである。だけど自分の走行で精一杯なのでその余裕はない。逆にお遍路さんから「お前のほうこそ、がんばれよ~」と言われそうでもある。

さて、西海町を出て、西海スカイラインという景色のいい、しかし起伏の多い有料道路を走って国道56号に戻り、まず宇和島に向かった。

津島町というところを過ぎて、まもなく宇和島というところで、前方に山が立ちふさがる。また峠である。まったく、もう~、なんでこんなに坂道が多いのだ。

歯を食いしばって、えっちら・おっちらとペダルをこぐが、たまらず降りて自転車を押して歩き出す。宇和島が近づいてきたせいか、車の数が急に増えてきて、狭い道路が混雑する。暑さに加えて車の騒音と排気ガスの中で、ひたすら押す。押す。押す。あ~、苦しい。

やがて、待望のトンネルが見えてきた。登りはそこまでである。やれやれ。
トンネルの入り口には、「松尾トンネル」と標示されていた。

そのとき、自転車を押している僕の目に、何かチラっと光るものが道路に落ちているのが見えた。1枚の10円銅貨だった。僕はそれを拾い上げた。車に踏みにじられた10円玉は、へしゃげて埃だらけでボロボロになっていた。僕は10円玉を親指でこすったあと、ポケットに入れた。この苦しさを今後忘れないための大切なお守りにしよう、と思ったのだ。

今のつらさと苦しさ、それでも「負けへんで~」という心意気を、いつまでも忘れずにおきたい。くじけそうになればこの10円玉を見て自分を奮い立たせる…そういうお守りにしよう。

思わぬ「収穫」を得たあと、松尾トンネルを抜けて宇和島市に入った。



  
  松尾トンネルの入り口。この手前でボロボロの10円玉を拾った。


まだ、午前8時半である。南海荘を、愛想のない女性に見送られて出発したのが5時45分だから3時間も経っていないのに、なんだか一日中走り続けているような錯覚を起こす。そして、9時10分に国鉄宇和島駅に着き、自転車を置いて待望の休憩時間となった。

駅前食堂でいなり寿司と冷やしうどんを食べたあと、駅の売店で2種類の新聞を買って待合のベンチに腰掛けて、サイダーを飲みながら新聞記事を読む。

日常生活が恋しくなってきた。
う~ん、早く家に帰りた~い。

 

 
  宇和島の和霊公園で。



      
       宇和島駅。


宇和島駅を出て、市街地を抜けると、国道56号はまた車の数が減った。吉田町に入り、徐々に上り坂になってきた。

宇和島から、その日の宿泊予定地の大洲までの間に、これもまた恐ろしき苦行の場となりそうな法華津峠という地名が地図に載っているが、ぼちぼちその峠に差しかかっているようである。法華津峠…とは、名前を聞いただけで悶絶しそうである。

しかし、どれほどの難所であろうか…と大いに警戒した割には、トンネルがいくつもあったおかげで、さほどの急坂を登ったりすることはなく、一度も自転車から降りずに走り切ることができた。

峠を越えると宇和町に入った。

さらに鳥坂トンネルという長い長いトンネルを抜けて大洲市に入った。


 



大洲市の中心部に入ったのは午後1時ごろだった。

市内をぶらぶら走っていると、「おはなはんの生家」という場所に出た。

「おはなはん」というのは、1966年4月から1年間放送されたNHKの連続テレビ小説で、愛媛県大洲が舞台となった高視聴率のドラマであった。(まあ、「おしん」みたいなものである)。そのヒロイン「おはな」は実在の人物で、今、目の前にある建物が、おはなが生まれた家…ということである。別にそれを探していたわけでもなかったが、偶然に通りかかったわけだ。どこでも、うろついていると、いろいろなものに出会う。



 
  おはなはんの生家。

 
 
  「おはなはんの生家」の周辺の風景。
  大洲市内には古い町並みが多かった。




2時ごろに、予約をしていた大洲市内の国民宿舎「臥竜荘」に入った。
指定された部屋は5階だったが、部屋の前には「歓迎○○様・1名」と、僕の名前が書かれている札が上がっていた。

部屋に入ってクーラーをつけ、押入れから布団を出して昼寝をしていると、窓から、どひゃ~んというすさまじい雨の音が聞こえてきた。びっくりして飛び起き、外を見ると、嵐のような激しい風雨である。道路を走っている時でなくて幸運だった。

…そういえば、この旅行ではまだ雨に遭ったことは一度もない。
日頃の「おこない」が良いと、まぁこうなるわけで。うふふ~。


ところで松尾トンネル前で拾った10円玉であるが、その後、旅行を終えて仕事に戻ったとき、自分の事務机の引き出しの中へ大切に保管しておいた。

引き出しを開けるたびに、それが目に入る。そして猛暑と騒音と排気ガスの中、急坂を懸命に自転車を押して上がったあの松尾峠のつらかったこと、苦しかったことを思い出すのである。あれを思えば日常のどんなことでも軽い軽い…と自分に言って聞かせる…。まことに貴重な「お守り」となった。

10年以上、その「お守り」は僕に力を与えてくれていたが、やがて人事異動や何やらで、いくつかの課を渡り歩いているうちに、引き出しの整理の時に紛失してしまったのか、いつの間にやら、なくなっていた。

もっとも、歳月の流れとともに10円玉の存在が重さを失ってきたことも事実である。変化に乏しい日常生活に慣れてくると、徐々に「心意気」が自分の中から遠ざかる。夢中でペダルをこいでいたサイクリストも、根は平凡なサラリーマンだ。結局、時間がたてば、生来の怠け者の僕に戻るのである。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の文句ではないけれど…
お守りにも「賞味期限」があるのかも知れない。

…な~んてこと言うと、バチが当たりそうですけどね。



 


  
  右上が大洲市内の国民宿舎「臥竜荘」。手前の川は肱川。
  この川の「鵜飼」は大洲の名物で、今がその季節だそうだ。 

 

  
  この日は宇和島を通過して大洲まで。そして、明日は旅の最終日。
  大洲から北条、今治を経て、夜、東予からオレンジフェリーに乗
  って翌朝に大阪南港へ着く予定である。

  

 

 

 

 

  

 

 

 

コメント
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