去年の9月に耳鳴りが発症したときは、本当に辛かった。目の前真っ暗。何とかしなければと焦る日々。来る日も来る日もネットや本で、耳鳴りが消えてくれそうな情報はないかと模索した。
そんな、必死になっていた頃に見つけた1冊の本が、
「アマデウスの魔音の癒し 耳鳴り・難聴が治った」
という本だった。著者は埼玉医科大学短期大学の和合和久という教授だ。
モーツァルトを聴いたら耳鳴りが治った、という本である。
もちろん僕は、その本の存在を知るが早いか飛びついた。モーツァルトの音楽はあらゆる病気に効くという説も根強くあるのだから、これは期待できるのでは…と、真剣に思った。
本書のモーツァルトで耳鳴りが治るという理由は、次のようなものだった。
音波が一秒あたりに振動する数を周波数といい、単位はヘルツである。
ヘルツの数が大きいほど振動の速度が速く、脳には高い音と認識される。
私たちが聞き取れる周波数は16~2000ヘルツと言われている。
3000から8000ヘルツ以上を高周波音と呼んでいる。
この高周波音が脳神経系を刺激し、知能や記憶力を高める作用を発揮し、ホルモンを出す器官の働きを調整したり、免疫力を高める作用につながる。また耳や聴神経とも深いかかわりがあり、耳の障害を改善する働きも備わっている。モーツァルトの音楽には、この高周波音が縦横に駆使されているので、聴けば体内は活性化し、自律神経のバランスが整う。そして、それによって免疫力が強まる。
そういう因果関係であった。
本にモーツァルトのCDがついていた。
著者が特に耳鳴りに効くと推奨した曲がいくつか収録されている。
僕はベッドに入って毎晩このCDを流して寝た。
数ヶ月間、それを続けた。
そのCD収録曲は、次のようなものであった。
ただし著者は、漫然と聴くのではなく、聴きながらイメージトレーニングをしなさい、と注意書きをし、それぞれの曲に対するイメージを具体的に記述していた。
①ホルン協奏曲第1番 ニ長調 第1楽章
絶対に治るのだと決意して、ポジティブな自分を思い浮かべよう。
②ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 第1楽章、第2楽章
モーツァルトを信じ、耳を回復させるモーツァルトを余すところなく感受するた め、全身に音楽を浴びている自分を思い浮かべよう。
③ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 第3楽章
耳鳴りが回復して喜びにあふれ、至福のときを感じる自分を思い浮かべよう。
④弦楽4重奏曲第17番「狩」変ロ長調 第1楽章
耳鳴りが回復した喜びを他者と共有している自分を思い浮かべよう。
⑤交響曲第29番イ長調 第1楽章
耳鳴りが治り、新しい自分の誕生だ。「セカンド・バースディ」ともいえる真 新しい自分の出発を思い浮かべよう。
そして、終わったら、目を閉じて、耳鳴りから解放されて、家族や友人たちと穏やかな生活を楽しむ日々を強く思い描こう…。
そう書いてあった。
毎晩、僕はこのCDを聴きながら眠った。
眠らずに最後まで聴くこともあったが、大体④ぐらいまでには眠ってしまった。
いつのまにか、モーツァルトが睡眠薬代わりになった。
しかしイメージを思い浮かべるのは、すぐに飽きてしまった。
それよりボヤ~っとモーツァルトの曲に身を任せて眠るほうが気持ちよかった。
結論から言って、数ヶ月聴き続けたが、耳鳴りはよくならなかった。
イメージを思い浮かべるのを怠ったからか…? それは、どうかわからない。
でも、イメージを浮かべてこれを聴いても、耳鳴りが治るかどうかは疑問だ。
このCD以外にもモーツァルトのCDは前から何枚か持っていた。今回、それも全部に聴くようになったので、モーツァルトが体内で熟成し始めた気配であった。
先日、テレビのバラエティで「人生最大の衝動買い」という番組があった。
ある女性が10万円の電子ピアノを衝動買いした、と紹介されたときである。
バックに流れてきたのが、ピアノ・ソナタ第15番ハ長調の第1楽章であった。
「お、モーツァルト。ピアノ・ソナタ第15番やなぁ」と、思わずつぶやいた。
これは「耳鳴りが治る」本についていたCDの中でも、最も好きな曲である。
テレビCMのBGにも、時々モーツァルトの音楽が流れる。
「あ、モーツァルトや。この曲はえ~っと、なんやったっけ…」
と心で自問したりする。
結局、この本のうたい文句である「耳鳴りが治った」というわけにはいかなかったけれども、数ヶ月間、毎晩モーツァルトを聴く生活ができ、その素晴らしい音楽に親しめたことで、まあ、それはそれで良しとすべきだろうと思っている。