僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 平安高校、消ゆ

2008年04月02日 | 思い出すこと

4月は何かと模様代わりする季節。

僕の勤め先でも、一昨日までいた人が退職でいなくなり、昨日4月1日は、あちらこちらの部署で人事異動による職員の引越し風景が目立った。新しい職場に就いた者は、机の上に書類を山と積んで整理に汗を流すなど、慌しい空気を漂わせていた。人事異動のなかった僕は、わりに気楽にそんな動きを横目で眺めていた。

昨日から後期高齢者医療制度も始まり、僕の勤めている市役所でも、かなりの混雑があった(注:僕はチホウコームインです)。
75歳以上の人を従来の国保から切り離すという制度に根強い批判がある。
「後期高齢者とは何事だ。老人を前期と後期に分けるな!」
そんな怒りの声も出る中で、困った政府は、せめて名前だけでもと、
通称として「長寿医療制度」というネーミングを使うと発表した。

後期高齢者医療制度 → 通称・長寿医療制度

なんだか、心にもないお世辞…みたいな、わざとらしい呼び方だ。
ハッハ…ハ~ックション! (春だというのに、毎日寒い)

さて、寒いけれども桜が咲き誇り始めた4月。
野球も満開である。

海の向こうでカブスの福留が、9回3点リードされたところで同点3ランをかっ飛ばした。暴風吹き荒れた仙台では、楽天が破竹の5連勝で2位に浮上。一方、巨人は開幕以来勝ち星なしの4連敗。いちおう今も巨人ファンである僕だけど、アホらしくてテレビも見ちゃおれない。だいたい開幕のヤクルト戦より次の中日戦を重視しすぎ、開幕戦にエース上原を先発させなかった原監督の采配が間違っている。ヤクルトを舐めてかかるから、こういう目に遭うのだ。もう、巨人など二度と応援してやるものか!

ところで、今日の主題は高校野球のほうである。
昨日、京都府代表の平安高校が、準々決勝で埼玉県の高校に8対0で大敗した。
そして、この日、4月1日から、平安高校は「竜谷大附属平安」に名前が変わった。ナインや監督は、「平安」の名で1日も長く戦いたかった、という思いを秘めていたというが、校名が変わったその日に、甲子園から姿を消すことになった。

この平安高校は、僕にとっては、特に思い出のある高校である。
実は僕も平安高校野球部の出身で、かつて甲子園大会に出場したことがある。
…と書いたらみんな驚くだろうなぁ。それは真っ赤な嘘です。すみません。

もっと些細なことでの思い出ですが…

僕は京都市の上京区で生まれ、幼稚園までそこに住んでいた。
生まれ育った家は母親の実家で、祖父が自転車店を営んでいた。
大阪へ移った後も、小学校の頃は僕ひとりで、春休みや夏休みに京都の実家へ行って、休み中の期間をほとんどは自分の生まれたその家で遊んで過ごした。

自転車店といってもほんの小さな自転車屋さんである。自転車が売れたところなどは見たことがなかった。祖父の仕事の大半はパンクの修理であった。僕は祖父が自転車のパンクを修理している光景を見ながら育ったとも言える。そして、大人になってから、僕は自転車で日本全国を旅することになるのだが、しかし未だにパンクの修理ができない。これはいったいどういうわけなのだ…??? 

その祖父の大きな楽しみが、高校野球であった。
店内に、甲子園からのラジオ中継が響き渡っていた。
(貧しかったので、まだテレビが買えなかった)
その頃は京都と言えば必ず平安高校が代表校であった。
祖父は、熱狂的な平安高校のファンであり、ラジオから平安の試合の実況放送が流れ始めると、仕事も何もほっぽり出して、じっと耳を傾け、一喜一憂したのであった。それがこちらにも伝染して、僕もやはり、耳はラジオに吸い込まれ、息を潜めて平安の勝利を願った。平安は強かったので、たいていは勝った。しかし、やはり負ける時もあったので、そんなときの祖父の落胆ぶりは、傍から見ていても気の毒なほどであった。祖父の喜ぶ姿が見たかったので、負けると僕も落胆した。

小学生だった僕の頭の中には、それ以来、高校野球と言えば反射的に「平安」が浮かぶほどの強いイメージが刷り込まれたのである。

今でも、平安高校が出てくると、地元大阪の高校と同じくらい気になる。
その「平安高校」の名がなくなるのは、やはり寂しい。

わが家に祖父の位牌がある。
「おじいちゃん。平安という名前が、今日からなくなるんやて」
昨日、いちおう、そんなふうに報告をしておいた。

 

 

 

 

コメント (8)
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