僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 奇跡の連続逆転劇 

2008年04月06日 | スポーツの話題

昨日、PL学園の桑田のことを書いているうちに、今も僕の思い出に残る「PL学園・奇跡の逆転劇」のことが浮かび、これをどうしても紹介したいという衝動に勝てず、今日もまた同じような話題になりました。

PL学園は1976年(昭和51年)の夏、甲子園2度目の出場で大健闘し、決勝戦進出を果たしたが、東京の桜美林という高校に惜敗して初優勝を逃した。
甲子園に出る大阪の代表校の中でも、僕たちの住んでいる街から近いPL学園には特に深い愛着があった。

そして78年(昭和53年)の夏の大会を迎えた。
桑田・清原が甲子園に登場する5年前のことである。

初優勝をめざしていたPL学園。
準決勝まで進み、あと2勝で全国制覇のところまできた。
準決勝の相手は愛知の中京高校。
その日、8月19日は土曜日で仕事は休みの日だった。
僕は友人の家に招待され、そこでビールを飲みながらTV観戦した。

しかし…
4回、6回、8回と、中京は1点ずつ小刻みに得点をする。
PL打線は相手投手の前に沈黙を続けゼロ行進。
9回の表も、中京はまた1点を挙げて4対0になった。
「あ~あ。もう、あかんなぁ…」
僕と友達は、肩を落としてテレビを眺めていた。
そこから「奇跡」は起こった。

9回裏、PL学園の攻撃。
まず先頭打者が三塁打。続いて二塁打。…1点を返した。
次は内野ゴロで一死三塁に。そこから2本ヒットが続く。
2点目を奪って4対2となり、なお一死一、二塁。

「わっ! ええぞ、ええぞ、行け行けぇ…!」
と、僕も友人もビールを一気にあおって、テレビに向かって絶叫する。
スタンドは騒然となり、アナウンサーは声をからす。
次打者はうまくバントを決めて、ランナーを二、三塁に進めた。
2点追う場面でツーアウト二、三塁となった。
胸がドキドキしてくる。

PL応援団の興奮が、TVに怒涛のように伝わってくる。
もう僕たちは声も出ない。息を呑むとはこのことだ。
「うぅ~ぅ、頼む。打ってくれ…」念仏のようにつぶやくのみ。
大声援を受けた打者は、結局四球で出塁して二死満塁だ。
PLの生徒応援団は、男子も女子も泣きながら声援を送っていた。

一球一球に胸が詰まる。心臓が止まりそうである。
とうとうツースリーのフルカウントになった。
中京の投手が投じた最後の一球。
PL学園の打者が放った痛烈な一撃は二塁を強襲した。
ランナーはいっせいにスタートを切っていたので、2人が生還。
土壇場でPL学園は、ついに同点に追いついたのだ。

「やった! やった、やった~!」
僕は友人と抱き合い、再びビールで乾杯した。

そして延長12回裏、PL学園は押し出しの四球でサヨナラ勝ちした。
5対4。奇跡的な決勝進出であった。
「かんぱーい!」
と、僕たちはこの日何度目かの乾杯をして、野球にも酒にも酔った。
そばにいた友人の4歳のお嬢ちゃんを抱き上げてぐるぐる回し、喜んだ。

そして翌日。8月20日。
決勝戦は、優勝候補の呼び声の高かった高知商が相手である。

3回の表に高知商が、二死満塁からのタイムリーで2点を先取した。
PL学園は、高知商の森投手に完璧に抑え込まれたまま、9回を迎えた。
この日は日曜日だから、むろん僕はテレビに釘付けだ。
「う~ん。今日こそ、もうダメかなぁ。悔しいな~」
そう思いながらも、昨日を思い出して9回裏の反撃を待った。
しかしまあ、人生と言うものはそんなにいいことばかりは続かない。
たぶん今日はだめだろう…と半ばあきらめてテレビを見ていた。

だが、そこでまた「奇跡」が起こった。

先頭打者安打と四球とバントで、一死二、三塁の同点機を作る。
ここで、後に阪神に入団する捕手の主将・木戸が、犠牲フライを打ち上げる。
1点を返して、二死ではあるが二塁に走者が残っていた。
なんとなく、昨日の再現が予感され始めた。

次に打席に立ったのがエースで四番の西田(後に広島へ入団)。
その一撃は一塁線を破る長打となり、二塁走者が生還して同点になった。
これでもう押せ押せムードは最高潮。
次打者の打球が左翼手の頭上を越えたとき、試合が終了した。
3対2の逆転サヨナラ勝ち。
PL学園が初めて甲子園で優勝した瞬間である。

ここから桑田・清原の時代をはさんだ10年間で、春夏7度、全国制覇をした。
PL学園の黄金時代は、この奇跡の連続逆転劇から始まったのである。

1987年(昭和62年)の春夏連覇を最後に、優勝からは遠ざかっている。
大阪は、今では中田翔(日ハム)らを輩出した大阪桐蔭高の全盛時代だ。

しかし、あのPL学園の奇跡の連続逆転劇は、今でも思い出すと興奮する。


今からちょうど30年前のことになるのですね~。
抱き上げてぐるぐる回した友人のお嬢ちゃんも、今は2児の母親です。
なんだか、昨日の出来事のように思ってしまいます。

  
   1978年(昭和53年)8月20日 毎日新聞 


   





  
     翌日の毎日新聞。

 

  
   

 

ちなみに、うちの次男のお嫁さんは高知商の出身でした。
昨日のブログにコメントをもらって、初めて知った次第です。
今日の記事は、高知商を引き立て役で登場させてしまって、ごめんね  

 

 


当時の新聞記事を保存していますので、ぜひ皆さんにも見てほしいです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする