めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

若さはの魅力は、年齢で決まる!?

2015-11-24 15:51:44 | 人生

私達は、普段の生活に於いて、殆ど年齢を意識しません。
五感は全て自分を中心に働いている事から、自分が都合の良く
自分自身が気持ちよく生きられる様に、立ち振る舞えるように
無意識の内に調整をしているのです。
その為、幾つになっても、その時の自分を正当化し、客観的に
感じられる姿を否定しがちです。

若いうちはともかく、高齢になればなるほど、自分の実際の年齢より
遥かに若くありたいと思い、普段の生活も、年相応になる事を
避ける傾向が有ります。

しかしながら、第三者から見ると、自分が思っているのと同じと言うより
世間的に冷静に判断されているものです。
人生のある時から、私達は、自分の実年齢よりも若く見れれることを
望むようになって来る傾向があるのです。

人によって個人差は大きいと思いますが、自分の同年代と思われる人達が
自分の理想とする年齢よりも高齢に感じられる様になったときが、多くの場合
自らの年齢詐称を考えると思われます。
つまり、自分自身を客観視できる様になったとき、その年齢を嬉しく思わず
社会的にハンディキャップと感じる様になった時に思うようです。
特に、アンチエイジングを頭に置く様になったときは、自分自身の中に
若くはないと言う負い目が生じているのかも知れません。

とは言うものの、若くある事のメリットは、誰が決めたのでしょうか。
社会的に、若くあれば様々な人生が設定でき、自分の夢が叶いやすく
自分の思いが果たせると思ってしまうのでしょうか。

では、年齢よりも若い姿になり、普段の生活も、若い世代と同じようになったら
夢が叶うのでしょうか。
俺が私が、君たちの年齢だったら、なんでも出来ると言って、若者たちを
叱咤する高齢者がいますが、実際、そうなったとして、果たして、言葉通り
お手本を示す事が出来るでしょうか。

いえ、決して出来ないと行ってもいいでしょう。

何故なら、同じ年代を過ぎてきたのに、何もできなかったからです。
歳を重ねて、様々な経験を積んだから、反省の意味で出来ると言うのであって、
実際にその年になれば、それなりに、様々な理由で出来ないのが現状です。

今や多くの高齢者が巷に溢れていますが、中には、若者に交じって
いまだに多くの仕事を熟したり、パフォーマンスに情熱を燃やしている人もいます。
そんな人たちを見ると、同年代の人や、高齢者の多くは、彼らに対して
彼等は特別であり、才能が有り、年の割にはずっと若いから出来ると言います。

しかし、それは、結果論であり、客観的に、自分が成しえない事をしている事から
自分よりも遥かに秀でている様に感じるのです。
この事は、若かろうが高齢であろうが全く同じ条件なのです。
生きている限り、自分が理想と思える人生を感じる事が出来る限り、
同じ様に、多くの方から称賛される日々を送ることは出来るのです。

一体何が違うのか、と問えば、人生の経験を使わないで、感情の赴くままに
ただ、一歩踏み込んだに過ぎないのです。
多くの人が、頭の中では解っていても、一歩踏み込むまでに、様々な理由を
並べ立て、諦める理由を作っているのです。

これは、若くても、高齢者でも同じです。
一歩踏み込めば、高齢者は沢山の経験と知識で次の一歩を考えられます。
若い人は、経験が無くとも、一歩目でつまづいても、直ぐに、新しい目的を
探し出す力が有ります。
どちらも、先へ進める力が有るのです。

私達の人生は、まるで本棚にいつも並んでいる滅多に読むことの無い本の様に
沢山の選択肢を持って生きて行くものです。
何時でも新しい世界に踏み出せるのに、手に取って見る事をせず、ただそこに
有る事のみを知っているだけの人生を送っているのです。

何かを成す人や、人から一目を置かれる人は、ただ何も考えずに素直に
自分の本棚から新しい本を選んでいるに過ぎないのです。
読み進める内に、ただ自分の本棚を眺めている人には決して体験できない
ドラマチックな世界を垣間見ることが出来るのです。

歳を重ねると、図書館並みに様々な種類の本を持つことが出来ます。
一度は覗いた事は有るものの、すでにそれらは単に置物となっています。
少ない本の数であっても、若者は頻繁に中を覗き込む勇気が有ります。
しかも、自分自身の心に有るものですから、何の気兼ねも有りません。
ところが、高齢者となると、自分の物ですら手を付けなくなって、
他の人や、若者たちが行なうアクティブな高度に憧れているのです。

私が東京と言う大都会に来て一番素晴らしいと思った事、
それは、自分自身の考えで生きていける事です。
どんな服装で歩こうが、どんな奇抜な考えを持とうが、
人に迷惑が掛からなければ、全て受け入れてくれるのが東京です。

田舎にいれば、周囲の目や地域の風習で、自分を抑えなければ
その地に生きていけない事も多々あるものです。
でも、都会は、その点、あらゆる可能性が、あらゆる世代に有るのです。

問題は、ただ一つ、本人が一歩進む勇気が有るかどうかです。
年齢に関しても、普段の生活に於いても、自分が思う事に自信を持ち
堂々と推し進める事が出来るかどうかです。
どの様に動くかは、一人1人全く違うのが当たり前です。

周囲を気にして同じものを求めて自分を失うのは、本当に残念です。
都会は、全ての人の考えを受け入れる事によって大きくなったのです。
年齢は、社会が決めたものであり、そんな数字に自分の人生を決められるのは
本当に愚かな事です。
人生を楽しくするのも辛くするのも貴方次第です。
ならば、いつも楽しくすることを考えて、一歩足を進める事が一番と思われます。