めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

差別される老人達

2015-08-26 13:48:48 | 高齢化社会

私の妻の同級生は、今、末期のガンで苦しんでいます。
更に、認知症の激しい母親の看護を自分ひとりで行い
二重苦で、その苦悩は想像を絶するものと思えます。
しかしながら、時々、友と会う時は、そんな日常は全く見せず
いつも笑顔で、楽しいひと時を皆と過ごすと言います。

私達高齢者は、少なからず体調に不安を抱いているのが普通です。
口には出さずとも、何種類もの薬を飲んだり、通院の日々を過ごしている
方々も多いのではと思われます。
特に、自分の体調も生活も思わしくないにも関わらず、自分の家族や
両親の世話をしなければならない人々も数多いと思われます。

今や、日本は超高齢社会へと移行しています。
一見、数字的なものとして扱われがちですが、高齢者が多くなるという事は
自立して生活をしたり、仕事をしたりする事の出来ない人たちが
多くなるという事です。

更には、健康面で言えば、より一層疾病率が高くなり、医療費や
看護費の増大と共に、国の経済を一層傾ける原因ともなっているのです。
この、国全体の高齢者に掛ける費用の増大は、国の将来にも関わり
今や先進国に於いても重大な問題となっています。

いかに医療費を削減するかが、今や高齢化社会を乗り切るキーポイントと
国や地方自治体は考えてますが、もう一つ、大きな問題が隠れています。
数字には表れない介護の場や高齢者を抱える家庭に起こりつつある
心の問題です。

一見、日本経済の低迷で、国民所得が伸び悩み、経済的なものが
高齢化社会の問題の様に思われがちですが、表向きのニュースソースに
余り載せられない、介護される側とする側との関わりが変わり始めているのです。
この事は、命の尊厳と言う、人と人の間に生まれる絆の関わり合いが
壊れつつあるという事でもありです。

ネット社会が蔓延する昨今、私達は、様々な情報の中で生きています。
何を行なうにも、自分の判断と言うより、多くのニュースソースや
ネット情報によって、行動を左右されることが増えているのです。

つまり、働けなくなった高齢者の扱い方も、多くの情報と関係機関からの
働きかけで、どの様に扱ったらいいのかが、ノルマの様に定まって
各家庭の中の介護や、親子関係の介護が、形骸化されてきているのです。
親しい家族、大切な両親に対する心からのケアから、高齢者に対する
社会的なケアに変わってきているのです。

その為、高齢者に対する扱いのハウツウがしだいに出来上がり
国や地方自治体、医療関係者からすれば、非常に扱いやすくなったものの
高齢者は、人としての尊厳や存在を守られると言うよりも、国にとっても
家族にとっても、働けない動けない人間として扱われる様になっているのです。

高齢者も、若い人達や家族に迷惑を掛けない様、出来るだけ負担にならない様
いつも気を使い、話しかける事すら負担に感じている方も多いのです。
人は、幾つになっても自分の存在を認めてもらい、生きている必要性を
感じて居たいものなのです。

一番辛いのは、この世で自分の存在を否定される事です。
ただでさえ、役に立たない働けない年代と自虐的に考えがちなのに、
社会風潮として、自分たちの存在が、家族だけでなく国からも煙たがられる様に
感じると、生きている事すら罪悪と感じる老人も多いのです。
その為、家族や社会に気を使い、長生きをする事に喜びを感じられず
心の中は孤独な高齢者が増えているのです。

この事は、高齢者だけでなく、今の日本社会の問題とも言えます。
相変わらずニュース紙面を賑わすイジメ、自殺の問題は、学校関係だけでなく
会社関係でも根深く存在しているのです。
本来は、弱者を助け守るのが人としてのマナーです。
しかしながら、自分が気に入らない者や弱いものに対して、様々な嫌がらせや
暴行が後を絶ちません。
この社会的な風潮が、実は、老人問題にも深く根を張っているのです。

様々な介護設備、バリアフリー、老人医療は、一見、高齢者を助けている様に
見えますが、実は、若い働ける人との差別化でもあるのです。
高齢者を助ける施設を作ったとか、高齢者が過ごしやすい街づくりをしたから
高齢者は喜んでいると思っているのは、上から目線の人達だけです。

生活が便利楽になったと言うのは、基本的な最低限度の生活が出来る様に
なったと言うのと変わりません。
一番大切な事は、それらの施設増える事で、健常者や若い人たちの
高齢者に対する気持がどうなったかという事です。

今、次第に問題になりつつあることは、高齢者に対する様々な支援体制が
支援側の思い込みで作られている事です。
一定の時間に成ったら餌が与えられ、雨風を凌げる管理が成された部屋で
生かされているブロイラーは、もし人と同じ意思が有ったら
決して、毎日卵は産まず、直ぐに食べる事を辞めてしまうでしょう。

国や家族に生きて行くための完全看護をされたとしても、それは生きているだけで
自分が生きたいと思う環境では有りません。

贅沢な事を言うなと思われるかもしれません。

しかし、東南アジアのベトナムの田舎に見られる大家族の中で生きる高齢者の中に、
私達が日本では見た事の無い笑顔で生活をしているのを見ると、
日本の高齢化社会を取り巻く環境が、高齢者の欲するものとは程遠い
管理者側の発想から生まれた、人肌を感じない上から目線の様に思えて
いかに、高齢者と政府関係者との温度差が大きいかを感じざるを得ません


思わぬ冷気に、ゾクッ!

2015-08-25 13:50:35 | ウォーキング

今朝、寒さで目が覚めました。
時計を見ると、まだ、4時過ぎです。
最近、早朝ウォーキングをしているとはいえ、4時はまだ暗く
家族はいまだ夢の中です。
窓辺の寒暖計を見ると、思わず目を擦りたくなる値です。
26度、思わず2度見をしてしまいました。
大きく開けた窓からは、冷気が白いカーテンを押しやる様に
身体を包みます。

一体どうしたのだろう、最近の目覚めでは考えられない寒さです。

2か月程の間、朝の目覚めは、身体にベットリとまとわり着く寝汗と
朝から煩い蝉の声です。
こんな朝が在ったのだと、永遠に続く様に思っていた暑い季節が
一瞬にして消え去りました。

しかしながら、早いとはいえ、もう一度寝ると、恐らく遅い朝と成って

昼近くまで、グダグダとしてしまいます。
少し明るくなるのを待って、いつもの服装でそっと玄関の扉を開けます。
その途端、身体をすり抜ける様に、思わず身震いをする程の冷気が
部屋の中に入って行きました。

少し明るくなってきたとはいえ、空は薄暗く、人通りも殆ど有りません。

まだ陽が差し込まない桜のトンネルは、更に夜明け前の暗さです。
ゆっくりと呼吸を整えながら、身体をストレッチする様に歩き出します。

まだ太陽も上っていないのに、相変わらず一部の蝉が鳴いています。

いつもなら、30度を超えていて、直ぐに首周りに汗がにじみます。
しかし、今日は、時折桜並木から吹き抜ける目黒川の冷たい風が、
逆に汗を止めてしまいます。

いつもの周回コースを歩いていると、次第にウォーキングする人や

ジョギングをする人、朝の散歩をする人が目立ち始めます。
しかし、今日は、暑い雲に太陽の光が遮られているだけでなく
晩秋の様な冷たい風が何時までも途切れません。

一時間程歩いても、一向に汗らしい汗は出てきません。

暑さよりむしろ寒さを感じる位です。
コースの3分の2辺りに差し掛かって、さすがに疲れてきました。
それまで、全身のバランスと呼吸に注意を払い、あくまで
トレーニングとして歩いていたのですが、次第に、肩が揺れ始め
前方に振り込まれる足の感覚が鈍く成って来ました。

若い頃は、こうなると、より前足に体重を乗せ、バネを効かせて

頑張ったものですが、その歩き方が、怪我を招き、思ったほど
効果が無い事が解った今、頑張ると言うより、前方の足の感覚と
地面の感覚を感じる事に神経を使う様になりました。
確かに、苦しさは変わらないのですが、足の負担は増えず
スピードも落ちません。

若い頃は、体力と力に任せて、より先へと頑張ったものですが、

身体の性質や、運動の原理が解って来ると、トレーニング効果は
自分が思っているのとはずいぶん違っている事が解ります。
もし、今の理解力が若い頃に在れば、何倍も効果が有り
怪我もしなくて済んだとは思いますが、あのころが有ったから
今の楽しいウォーキングが出来ると思っています。

年を重ねると、誰でも健康に関心が向けられます。

しかしながら、思い込みで運動をすると、思いがけない怪我や
トラブルに襲われます。
若い頃と同じ気持ちで運動しても、若い頃正しく動いていたとは
限りません。
人生の後半になれば、より正しい運動を知って、身体にとって
無駄のない有効なトレーニングをする事が大切と思われます。


他人事ではない隣国の争い

2015-08-24 12:53:43 | 戦争

お隣の韓国と北朝鮮で、何やらきな臭い空気が漂っています。
長年臨戦状態にあるとはいえ、元々は一つの国であり、
言語も習慣も何だ変わってはいません。
しかしながら、頃程までお互いが敵対視するその原因が
戦争であった事は言うまでも有りまん。

同じ種族、国民であれ、一度お互いの絆が断たれ、憎しみに
囚われ始めると、中々元の関係に戻るのは難しいものです。
人類の歴史は、平和な時代に、時々訪れる一時の戦争の
時代が有る様に思われますが、実際のところは、戦いの合間に
硬直状態やバランスを保つ、言わば冷戦状態があるとも言えるのです。

私達は、戦争の無い平和な時代を求めるものです。
争いの無い、お互いの事を思いやれる、心豊かな時代に生きたいと
思うのですが、一見平和に見える世の中も、実は、様々な危険な
バランスの元に保たれている事も多いのです。

特に国際関係となると、歴史的に見ても、武力によって自分たちの
主張を行ない、相手の領土を奪い取ってきました。
その後訪れる平和は、戦争の苦しみは消えたものの、実際は
国同士の新しいバランスの元にできた、次の戦いまでの休戦とも言える
外見的な平和であることも多いのです。

私達日本人は、第二次世界大戦の後、戦争放棄を掲げ
世界に平和国家で有ることを宣言しましたが、この私達の考えと
周辺諸国の考えが全く違っているのが現状なのです。
私達日本人は、喉元過ぎれば熱さ忘れる、と言うがごとく
戦争が終わったら、その後は、敵も味方も同じ仲間であるように
思いがちです。

しかしながら、侵略を受けた周辺諸国の人々の気持ちは、未だ
同じように肩を組める状態ではなく、私達の態度如何によっては
また、あの苦いを思いを繰り返す可能性も感じているのです。
一見平和に思える周辺諸国の銃口が、いまだ、日本にいつでも
戦火を交えてもおかしくない準備が整えられている事を考えても
我が国の置かれている状態は、決して安心はできないのです。

かと言って、同じように、私達も、隣国に向かって砲火を向ける
準備をすれば、それこそ、今の韓国と北朝鮮の様な泥沼に陥る
可能性が高いのです。
私達日本人は、ややもすると、平和と言えば、戦わず、お互いが
争いが無い様に気を使う事ぐらいしか思いません。
こちらが戦意を示さなければ、相手も戦いを挑んでこないと言う
言わば、人類皆兄弟的な感情を抱きがちです。

しかし、国が変われば、感情も変わります。
言わば、弱肉強食の様な感覚の国も今だ多く存在しています。
そんな中、我が国が、他国の思いやりを期待しても、同じように
考えてくれる場合は少ないと言えるのです。

ならば、どうしたら良いのか、やはり、根本をしっかりと示す事が
大切と思われます。
他国を侵略したりする意思がないという事を示す事も大切ですが、
自国の考え、国民の思い、どれ程、この国を誇りに思い、人々を
幸せにしてする気持ちが有るのかを、リーダーたちは、私達に
示すと共に、世界に訴え行かなければなりません。

経済的に豊かになれば幸せになるとか、巧く世界と渡り合って行けば
日本の経済は安定して、人々は幸せになると言った、ハード面でのみしか
国民の幸せを考えられない様にも思えます。

第二次世界大戦が終わって、我が国はどん底の生活に陥り
更には、他国の植民地ともなりかねない程の状態に陥りました。
しかし、その後、世界でもまれな程の高度成長を遂げれれたのは
他ならない、日本国民の強い愛国心と、お互いに気遣う強い精神が
あの逆境を乗り越えさせたのです。
その結果、世界トップクラスの経済大国となったのです。

しかし、経済大国であることが、日本の復興とはならないのです。
今の日本の国内状況は、戦後の状態と全く違います。
もちろん時代の違いもあるのでしょうが、根本的な違いは、国民感情です。
豊かな時代に育った人々に、地獄の戦いと生活を耐える力は有りません。
戦いに耐え、日本を守る強い心を持つ若者は殆どいないのです。

例え、世界のトップクラスの軍事力が在ったにせよ、国民は、その力を
支え続ける力も気持ちも有りません。
私達が、求めなければならないこと、それは、世界で一番の平和の意味を
考え、お互いが強い絆で繋がれている国民性を世界に示す事です。

戦いは、勝っても負けても憎しみを生みがちです。
私達日本人は、あれはどの苦しみと悲しみを体験しながらも、平和を貫き
進歩してきたのは、心の奥から、日本の国を思い、お互いに絆を強め
努力してきたからこそなのです。
単なる力関係で平和を保つ国になれば、いずれまた争いに巻き込まれるのは
時間の問題です。

日本経済の低迷、周辺国からの圧力、世界の列強からの重圧に耐えかねて
戦争に答えを見出そうとした第二次世界大戦。
あの時と、近年の日本が置かれている状況は何だ変わりません。
二度とあの地獄を味わあわない為にも、しっかりとした指針を国民に示す事が
求められています。


自分の思いで結婚しよう!

2015-08-21 19:46:41 | 結婚

今、日本の社会は、超高齢化社会へと向かっています。
出生率が下がり、子供たちの数が減り、未来の日本に暗雲が掛かっているのは
周知の通りです。
このままでは確実に就労人口が減り、国内生産力も低くなり、働けない老人ばかりの
斜陽の国家に成ってしまうのも時間の問題とも言えます。

その為、国は、若者たちの結婚、出産を盛んに奨励するようになりましたが、
実際のところ、若者たちに、それ程結婚願望が無く、さらには、社会の情勢から
結婚する事のメリットよりも、一人でいる事のメリットを感じる傾向がしだいに
強くなっています。

若者たちも、決して、結婚したくないのではなく、出来ない条件が多い事にも
二の足を踏む理由の一つと成っています。
近年の、出生率の低さに対し、私達高齢者以上に敏感に感じているのが
今の若い人達です。
子供達が少なくなるという事は、自分たちが高齢になって来たときには、
更に厳しい条件が課せられる可能性が有ることを、心の中では感じています。

その為、個人的にも社会的にも、結婚に対する願望は非常に強いものです。

しかしながら、彼らにとって、結婚をする相手がいない訳ではないのです。
条件は様々ですが、今の社会はネットで繋がり、極端に言えば、世界中の
誰とでも付き合える可能性は有るのです。

昔の様に、お見合いで親や親せきが相手を探すという必要も無く、

その気になれば、異性と顔を合わせる機会は、昔に比べ、格段に多いのです。
しかし、それにも関わらず、中々、結婚までに至らないのは、
一つには、結婚に関する情報が、あまりにも多くなった事に因ります。

多くの出会いがあるにもかかわらず、結ばれる可能性が低くなっている原因に

求める条件が、若者たちの間で定着固定されつつあることに有ります。
それは、理想の相手に求める条件が、事細やかに、ネットやメディアから
特定され、その条件にあてはめようとする意識が、多く働いているからと言えます。

かつて結婚は、我慢をする事を求められました。

自分の相手に対する条件は、お互いの家同士の条件が前提にされていたり、
結婚するまで、表向きの少ない情報の元での見切り発車の様な場合が多く
結婚してから二人でその溝を埋めて行くような場合が普通でした。

ところが、最近は、情報がネットやメディアから溢れる程集まって来るようになり、

自分の条件と世間の理想の条件が錯綜し、いつの間にか、条件に合う人しか
一緒に成れない様な風潮も増えてきました。
男女とも、憧れる異性の条件は重なり、しかも、理想にあう相手は極端に少なく
多くの男女が相手のみならず、自分自身に対する自信も失っているのです。

とは言え、問題は、情報が増えた事だけでは有りません。

どんなに情報が増えようと、それをどの様に感じ利用するかは、本人の問題であり
実際の問題は、男女が、相手をしっかりと見て感じる力が無くなっている事に在ります。

どんな人も、この世に一人しかいません。

1人1人が、独自の個性を持ち、その人だけの考えを持っているものです。
外見的には、社会生活に適応する為に、誰もが同じ行動をとりがちですが、
実際の心の中は、全く外見と違っていて、極めて特殊特異で有るのです。

その、自分だけにしかないものを、認めて欲しいのが人間であり、また

その自分だけのものに不安を感じているのも人間であるのです。
つまり、誰もが、自分の存在を認めて欲しいものであり、自分の心を
癒してくれることを望んでいるのです。
その究極が恋愛から結婚であるのです。

単に、男女が結ばれて、家庭を築き、家族を増やして行くのでは有りません。

様々な境遇、環境の中で育った、全く考えも行動も違う二人が結ばれるのは
単に男女だからでは有りません。
根本は男と女の違いを深く認め合う事、そして、人として世界に一つの
特異な人格を理解する事なのです。
その理解できる力が有ると、結婚まで結びつき、幸せな家庭が築けるのです。

しかしながら、メディアからの提唱は、外見であったり、生活力であったり

環境であったりと、見た目の差を結婚の条件としています。
これでは、増々、若者たちの心は動かなくなってしまいます。

人は、どんなに若くとも、いずれ衰え死へと向かいます。

何でも出来た事が、一つ一つできなくなり、いずれ人の手を借りなければ
ならない時代がやって来ます。
結婚したときは、理想であっても、そのまま一生同じ条件であることはお互いに不可能です。
そんな時、いつも支えになるのは、唯一無二の相手に対する愛情と尊厳です。
結婚する時も、死が二人を分かつ時も、いつも二人の心の基準が不変であることが
素晴らしい結婚生活を送れる大切な条件とも言えるのです。

若者たちに言いたい、今、目の前にいる人を、心の目で見ているか!
いついかなる時も優しく見続ける事が出来るか!
自分にとって一番の相手は、君の心の目が見つけるものだよ!
愛されることも大切だが、愛し続ける事が出来る相手を見つけよう!


都会を走る大災害のリスク

2015-08-21 15:18:51 | 災害

先ごろ、中国の天津浜海新区倉庫で、想像を絶する大爆発が有り
多くの人々が傷付き亡くなりました。
その爆発現場は、まるで巨大爆弾が落ちたかのような大きなクレータに
真っ黒に焼けた工場や車の残骸が折り重なり、まるで、戦争の後の様な
凄まじい光景でした。

お隣の国の事とはいえ、同じような事が日本でも起こらないとは限りません。

東日本大震災の時も、津波で流され発火した石油タンクが幾つも爆発炎上し
想定外とは言え多くの被害を出しました。

日本は世界でも有数の工業国であると共に、大都市近辺には需要を補うため

巨大な工業地帯が隣接しているのが普通です。
東京湾を見渡しても、沿岸の多くの部分が工場地帯で占められ、日常的に
世界中から沢山の原料が、大型のタンカーや機械船に乗せられてやって来ます。
多くは海上から直接工場に移送されるため、私達の生活圏からは離れたところで
殆どの作業が行われ、私達への危険性は極めて低いと言われています。

しかしながら、いつも、安全と言われたことが、簡単にひるがえり、想定外と

言う言葉に置き換えられて、多くの人的物的な被害を生んでいるのが問題です。
私達が、一般に目にしないところで危険な作業が行なわれ、危険物が運搬されて
いる事も有って、私達は、ほとんどの場合危機感を抱く事は有りませんが、
大都会の人々が住む場所を、非常に危険な薬品などが運搬され
その事をマスコミも中々取り上げないのが気になります。

なかでも、東京の湾岸の道路を、連日運搬されている化学薬品の中に、

アルキルアルミニュームと言う極めて危険な薬品が有ります。
10年程前にテレビで取り上げられた事も有りますが、今では、殆ど誰も
その事実を忘れていると思われます。

このアルキルアルミニュームとは、ポリエチレン、ポリプロピレン等のポリオリフィン

更には、合成ゴムの重合に必要な触媒として知られていますが、この薬品は
極めて不安定で、空中に出たり、水に触れただけで発火します。
しっかりと外部と接触を立つことにより、安全を謳ってはいるのですが、
問題は、それを運搬するタンクローリーが、東京湾の湾岸道路を、一般車に混じり
毎日走っている事です。

渋滞しない真夜中を狙って輸送されている様ですが、もし、事故でも起こったりして

少しでもタンク内のアルキルアルミニュームが空中に排出されれば、どれ程の
危険性が有るか、それこそ想定外の被害が予想されます。

私達の生活は、あらゆる面で、安全を期し、特に人々が多く住む都会部に於いては

危険と言う文字は、殆ど思い浮かばないのが現実です。
しかしながら、一度想定外の事が起これば、代表とされるのは大地震でしょうが、
どれ程の被害が及ぶのか、予想すらできないのです。

私達が考える安全基準と言うのは、ほとんどの場合、過去の災害のデーターや

都市生活における現実の危険リスクの元に作られています。
しかしながら、この想定は、いつも破られるのが、昨今の事実でもあります。
中国で起きた大参事が、他山の石でない事は明らかです。

近年の地球温暖化により、様々な想定が用を成さず、今までのデータだけを

基準にしていては、これからの様々な災害に対処できないと思われます。
人為的な事故も、自然の災害も、かつての経験の元だけの予想でなく
想定外の事を常に考えられる体制が求められる時代と思われます。