私の妻の同級生は、今、末期のガンで苦しんでいます。
更に、認知症の激しい母親の看護を自分ひとりで行い
二重苦で、その苦悩は想像を絶するものと思えます。
しかしながら、時々、友と会う時は、そんな日常は全く見せず
いつも笑顔で、楽しいひと時を皆と過ごすと言います。
私達高齢者は、少なからず体調に不安を抱いているのが普通です。
口には出さずとも、何種類もの薬を飲んだり、通院の日々を過ごしている
方々も多いのではと思われます。
特に、自分の体調も生活も思わしくないにも関わらず、自分の家族や
両親の世話をしなければならない人々も数多いと思われます。
今や、日本は超高齢社会へと移行しています。
一見、数字的なものとして扱われがちですが、高齢者が多くなるという事は
自立して生活をしたり、仕事をしたりする事の出来ない人たちが
多くなるという事です。
更には、健康面で言えば、より一層疾病率が高くなり、医療費や
看護費の増大と共に、国の経済を一層傾ける原因ともなっているのです。
この、国全体の高齢者に掛ける費用の増大は、国の将来にも関わり
今や先進国に於いても重大な問題となっています。
いかに医療費を削減するかが、今や高齢化社会を乗り切るキーポイントと
国や地方自治体は考えてますが、もう一つ、大きな問題が隠れています。
数字には表れない介護の場や高齢者を抱える家庭に起こりつつある
心の問題です。
一見、日本経済の低迷で、国民所得が伸び悩み、経済的なものが
高齢化社会の問題の様に思われがちですが、表向きのニュースソースに
余り載せられない、介護される側とする側との関わりが変わり始めているのです。
この事は、命の尊厳と言う、人と人の間に生まれる絆の関わり合いが
壊れつつあるという事でもありです。
ネット社会が蔓延する昨今、私達は、様々な情報の中で生きています。
何を行なうにも、自分の判断と言うより、多くのニュースソースや
ネット情報によって、行動を左右されることが増えているのです。
つまり、働けなくなった高齢者の扱い方も、多くの情報と関係機関からの
働きかけで、どの様に扱ったらいいのかが、ノルマの様に定まって
各家庭の中の介護や、親子関係の介護が、形骸化されてきているのです。
親しい家族、大切な両親に対する心からのケアから、高齢者に対する
社会的なケアに変わってきているのです。
その為、高齢者に対する扱いのハウツウがしだいに出来上がり
国や地方自治体、医療関係者からすれば、非常に扱いやすくなったものの
高齢者は、人としての尊厳や存在を守られると言うよりも、国にとっても
家族にとっても、働けない動けない人間として扱われる様になっているのです。
高齢者も、若い人達や家族に迷惑を掛けない様、出来るだけ負担にならない様
いつも気を使い、話しかける事すら負担に感じている方も多いのです。
人は、幾つになっても自分の存在を認めてもらい、生きている必要性を
感じて居たいものなのです。
一番辛いのは、この世で自分の存在を否定される事です。
ただでさえ、役に立たない働けない年代と自虐的に考えがちなのに、
社会風潮として、自分たちの存在が、家族だけでなく国からも煙たがられる様に
感じると、生きている事すら罪悪と感じる老人も多いのです。
その為、家族や社会に気を使い、長生きをする事に喜びを感じられず
心の中は孤独な高齢者が増えているのです。
この事は、高齢者だけでなく、今の日本社会の問題とも言えます。
相変わらずニュース紙面を賑わすイジメ、自殺の問題は、学校関係だけでなく
会社関係でも根深く存在しているのです。
本来は、弱者を助け守るのが人としてのマナーです。
しかしながら、自分が気に入らない者や弱いものに対して、様々な嫌がらせや
暴行が後を絶ちません。
この社会的な風潮が、実は、老人問題にも深く根を張っているのです。
様々な介護設備、バリアフリー、老人医療は、一見、高齢者を助けている様に
見えますが、実は、若い働ける人との差別化でもあるのです。
高齢者を助ける施設を作ったとか、高齢者が過ごしやすい街づくりをしたから
高齢者は喜んでいると思っているのは、上から目線の人達だけです。
生活が便利楽になったと言うのは、基本的な最低限度の生活が出来る様に
なったと言うのと変わりません。
一番大切な事は、それらの施設増える事で、健常者や若い人たちの
高齢者に対する気持がどうなったかという事です。
今、次第に問題になりつつあることは、高齢者に対する様々な支援体制が
支援側の思い込みで作られている事です。
一定の時間に成ったら餌が与えられ、雨風を凌げる管理が成された部屋で
生かされているブロイラーは、もし人と同じ意思が有ったら
決して、毎日卵は産まず、直ぐに食べる事を辞めてしまうでしょう。
国や家族に生きて行くための完全看護をされたとしても、それは生きているだけで
自分が生きたいと思う環境では有りません。
贅沢な事を言うなと思われるかもしれません。
しかし、東南アジアのベトナムの田舎に見られる大家族の中で生きる高齢者の中に、
私達が日本では見た事の無い笑顔で生活をしているのを見ると、
日本の高齢化社会を取り巻く環境が、高齢者の欲するものとは程遠い
管理者側の発想から生まれた、人肌を感じない上から目線の様に思えて
いかに、高齢者と政府関係者との温度差が大きいかを感じざるを得ません。