めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

謙虚で実直と言われる日本人の曖昧さ

2015-08-29 13:21:48 | 日本人

私達の人生において、幸福と不幸は、次々にやって来ます。
諺にも有る様に、幸福の後には不幸が、不幸の後には幸福がやって来るので
その都度、必要以上に喜んだり悲しんだりしない様に、戒めの言葉として
古くから語られています。
しかしながら、この幸福と不幸とは、何を持って定義しているのでしょう。
普段、私達は、簡単に言葉として使っていますが、改めて考えてみると
いかに曖昧でいい加減な言葉である様に思えます。

人の心は、自分で支配している様で、意外と周囲の環境や人々によって左右されます。
現代は、ネット社会に在って、世界中からあらゆる情報が入って来ます。
しかしながら、人々の心には、意外とそれらを正しく判断する基準が有りません。
その為、他のニュースソースから得られる情報によって、判断するしかありません。

余りの情報の多さに、自らその真偽を確かめる事が出来ず、社会的な判断基準で
自分の考えとして納得させています。
その為、一見、自分の考えや意見である様に思える事も、ほとんどの場合、
ネットやマスコミなどの情報から作られている事が多いのです。
自分で調べたりする時間や労力が格段に減ったものの、その情報が自分にとって
本当に必要なものか、自分の考えとして利用して良いものか、常に判断され難く
時に、正確な意思や行動を要求されたとき、迷ったり、周囲に流されたりしがちです。

つまり、自分の考えの成熟度が常に悪く、いつも消化不良の状態が生まれているのです。
一つの問題に対する答えも、これと言った判断がし難く、かろうじて数字的な判断でしか
示す事が出来なくなっているのです。

しかし、私達の心は、なかなか数字的に割り切って考える事は出来ず、その事が
いつも安定しない不安な現代人の心を作っているとも言えます。
自分の答えや、考えは、いつも情報の中や、自分の外にあり、
常に、自分の行動や考えが、周囲の変化によって、簡単に変わってしまうのが
現代の恐ろしい所です。
中でも、数値化された事は、絶対であり、一度、基準値を定められると、その数字に
全ての生活が囚われ、一人の人間としての意思が、次第に失われがちとなります。

コンピューターの発達により、あらゆることがデーター化数値化され、私達の生活は
一見、便利になったかの様に思われがちですが、この数値は、便利そうで、実は
数字を扱う側からすると、極めて、独裁的に世の中を動かす事が出来る、
一部の人達の単独支配の技でもあるのです。

今の日本の社会は、長い不況の中にあると言いながら、多くの国民は、強い反発もせず
他国の様に暴動すら起こりません。
これを、日本人の謙虚な実直な国民性と判断する方もいますが、実は、今の日本人は
自分の意見を持ち続ける習慣が無くなっているのです。

この原因には、情報の発達を促進したネット社会の力が大きいですが、私達の心の
基準が、白黒をはっきりしない、周囲の動きに任せる、曖昧な性格に在る事も
考えられます。
簡単に物事を決定しない、民主主義的な性格と捉える事も出来るのですが、
自分の決定した事に自信が持てず、常に、別の答えに変えられる優柔不断な
性格とも言えるのです。

それは、自分の意見や行動が間違っていると判断した場合は、すぐさま変更をして
心に大きな傷を残さない為でもあります。
つまり、上手くいっている時も、その方法が間違いで有る事を前提とした考えや
行動が常に頭の中に在るのです。
更には、間違った事態になった時も、直ぐに新たな手段を講じる体制でいると言うのが
私達日本人の多くが持っている心情でもあるのです。

その為、諺に在る様な、戒め的な事ではなく、常に、複数の可能性を考えているのが
現代日本人と言えます。

長引く不況に苦しみながらも、貯蓄高は増え、保険料は増大しています。
高齢者の中には、十分すぎる所得で、悠々自適の生活をしている人も多くいます。
しかし、それ以上の楽しみを求めるより、更なる貯蓄、保険料の増加に力を入れ
裕福な生活よりも、安全安心を求める生活を選んでいる場合が多いのです。

一見、非常に安定して、人生設計がしっかりした日本人のようにも思われますが、
多くの方がこのような思考になると、市場経済的にはじり貧となり、大きな
経済発展にはならない傾向が有ります。

お金の流れが滞り、中々市場が動かず、その結果、長い不況から脱却が
難しくなっていくのです。
曖昧な判断基準で人々が動くと、社会は大きな力を得る事が難しくなります。
1人1人の考えがまとまらなければ、会社も、社会も力を失って行きます。

世の中は、大きな波によって動いています。
不景気に成れば、その反発により、次なる好景気が生まれて来ます。
人の気持ちも、苦境に陥れば、そこから抜け出ようと大きな力を作り出します。
落ちる事も、上がることもない状態は、人にとっても世の中にとっても
余り良い事では有りません。

人によって不幸、幸福と考える基準が違うと言うのは、考え方でどちらにでもなり
不幸や幸福が自分にとっての基準ではないという事です。
つまり、幸福や不幸は後から考えればいい事であって、先ず、自分が何をしたいのか
何を訴えたいのかを明確にし、目的に向かってまい進する事です。

多くの情報は、自分の知識を増したり判断力を助けたりはしますが、自分の生き方や
行動を決定するものでは有りません。
情報量ではなく、自らの決定を信じて、自分が何をしたいのかを周囲にはっきりと
示していく事が大切と思えます。