めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

決して、戦争は繰り返してはならない!!

2015-08-15 13:10:29 | 戦争

毎年、この時期になると、多くのメディアが
私達の日本が、過去に起こした惨劇を取り上げます。
半世紀以上に渡って、私達は、様々の分野の人々が
この過ちに対して、もう一度振り返る大切な日々として
語る事に改めて向き合います。

すでに多くの戦争体験者がこの世を去り、日本国民の
大半が戦争を知らない世代と成っています。
過去に何度も繰り返した過ちを、勝利と言う名のもとに
正当化し、更に重ねた欲望が国民全体に多大なる
苦しみと悲しみを与えた事を、どれ程私達は理解して
反省をしたでしょうか。

戦いは、いつの世も、勝っても負けても、沢山の人々に
耐えがたい肉体的精神的な苦しみを与えます。
勝ち負けを問題とする方々は、自分たちの欲望のための
単なる勝敗と考えますが、その戦争に巻き込まれた
多くの人々は、家族や友、そして財産を奪われ
その耐えがたい悲しみを背負って生きて行かなければ
ならないのです。

人類の歴史は、戦いの歴史であるとも言われます。
素晴らしい英知を持って、長きに渡って築き上げられた
文明も、戦いで得られた表の部分であり、その陰で
幾多の文明が破壊され、多くの人々が死んでいるのです。

地球上で一番知能が優れた生物とは言え、根本的には
欲しいものを略奪して、邪魔者を排除すると言う
極めて原始的な動物と変わらないのです。

とは言え、私達は、この動物的な生き方の中にも、長きに渡って
弱者の気持ちを考えるという進歩もしてきました。
敗者に対する労わりは、スポーツに於けるスポーツマンシップに
代表される様に、同じ戦いをした者に対する敬意として示されます。

お互いに助け合い、相手の事を考えられる様になり
文明は、より一層高度なレベルへと進化していったのです。

しかしながら、戦争は、その労わりすら受け付けない程の
苦しみを人々の心に植え付けるのです。
例え、勝って力を持ってその後統治したとしても、心に残る
耐えがたい苦しみは、いずれ大きな力と成り、更に反逆と成って
また新たな戦いを生んでいくのです。

この止めどもない繰り返しが、人類の負の歴史でも有るのです。
戦う事の決断は容易に出来るかも知れません。
しかし、戦いで生まれた苦しみは、いつまでも消えることなく
多くの人々の心を苦しめ、また新たな戦いの火種となりかねないのです。

戦争を体験した方々の口から洩れる、その悲惨な情景は
私達の想像を絶するものでは有りますが、それはどんなに悲惨でも
実際の情景からしたら、例え体験者の言葉としても、ほんの
一部の、人に伝えられるレベルのものでしかないのです。

本当の悲惨さは、人々の心の奥底に日々蠢く狂おしい思い出であり、
とても口で語る事は出来ない程のものなのです。
何事も当事者でなければ、本当の事は解からないものです。
まして、戦争は、人間の一番醜い部分が吐き出される場です。

もし、戦いになれば、私達が想像できない、地獄に叩き落された様な
全てを否定される凶悪の世界が毎日続くのです。
お互いに助け合って生きて来た人々が、突然お互いを殺し合う世界に
一体誰が耐えられるでしょうか。

私達は、戦争の是非を語る以前に、戦争で物事を解決しようとする
長年の人類の歴史を根底から否定しなければなりません。
毎回、戦争が終わて、苦しみを背負い、反省をしてても意味がないのです。
戦争は、それまで親しく交流していた友と、突然生死の戦いをする事です。
身近な心を許せる人を殺さなければならないのが戦争です。
そして、その後、死ぬまでその行為に苦しむのです。

戦争は、一部の人間のゲームでは有りません。
上手くいかなかったからと言って、リセットすれば元に戻る様なものではなく
取り返しが付かない苦しみと悲しみを生むのが戦争です。
この時期、確かに、もう一度考える意味は非常に大きです。
しかしながら、答えは常に一つで有る事を、心に秘める事が
私達の将来を、未来の人々を幸せにする唯一の方法なのです。



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