国民の多くが相変わらずの苦しい生活が続き、一部の人達が豊かに成って
人々の不満が次第に膨らんで来る状況は、社会が大きく動く前兆とも言え、
注意をしていないと、突然大きな力に巻き込まれたり、生活が一変して
ますます窮地に立たされる事が有ります。
更には、人間の力ではどうしようもない天変地異が続くと、人々は、疲弊し
何か大きな力に携わりたくなるものです。
この傾向は、かつて日本に於いて何度も有った状況であり、その後に始まった
国民全体を巻き込む最大の不幸に移行してしまいました。
何時の世も、自分の生きている時代は、決っして不幸な事は起こらないと信じて
疑わないものですが、人々の不安は、その不幸の足音を呼び込んでしまうのです。
近代国家と言われる世界の先進国が、過去100年程の間に、どれだけ多くの
人々を奈落の底に突き落として行ったか、歴史を紐解けば、その蹉跌を踏み続ける
国々の足跡が見えてきます。
今や日本は、またしても、と言いたくなる程、世の中が不安に満ち溢れ、多くの人が
自分の生活に疲れ、自らの未来を感じられなくなっています。
増々二極化する生活環境は、自力ではどうにもならない人々の不満を高めるばかりで
世の中を牛耳っている一部の人々の足元は、まるでシロアリに食われている様に
次第に崩壊のシナリオを呈しています。
第二次世界大戦の前も、日本の状況は、あまり良いものでは有りませんでした。
東南アジアや東アジア諸国に進出し始めた日本を案じ、列強の国々は、まるで
兵糧攻めの様に日本を取り囲み、経済制裁を強烈に行う事に因り、日本は、
様々な物資が枯渇するようになり、更には、大震災、火山噴火と人々を不安にさせ
世の中を動揺させる出来事が度重なり、抑圧された国民は、ただ、耐える日々を
送らざるを得ませんでした。
こんな時、いつの世も台頭するのが、力で物事を解決しようとする軍事力に訴える
人々の国粋的な思想です。
不満を海外に向け、その力を利用して一気に他国を支配して、国内の問題を片付け
国民の抑圧を解放しようとします。
しかし、この安易な手段は、太古の昔から人類が行ってきた常套手段であり、
勝っても負けても、多くの犠牲を強いる事となります。
戦いに駆り立てられた多くの国民を犠牲にして、また、一部の先導者や資本家が
莫大なる利益を得るのです。
このカラクリは、どんなに科学が進歩しても、同じ惨禍と積年の怒りと憤りを生み
その後何年も何十年も人々の心を苦しめて行くのです。
戦後半世紀以上になって、あの苦しみ悲しみを忘れ、己の私欲に溺れて、また
不幸な手段に手を染めようとする人々が台頭してこないとも限りません。
世界をリードするアメリカと言え、世界から莫大な利益を得る為に軍事力を行使し
戦いを支える国内産業を育っている限り、世界中から不幸は消えず、更には
自国民の身体と心を傷付ける歴史から逃れる事が出来ないのです。
人類の歴史は、いつまで経っても、私欲を満たす事で作られてきました。
個人的にも、例え国家レベルであっても、根本は全く同じ次元なのです。
しかし、この欲望を満たす方法を変えない限り、決して、人々を幸せにしたり
不安を取り除く事は出来ないのです。
とは言え、国家レベルの欲望と言うのは、決して国民全体が望んではいないのです。
殆どの国民は、多くの人々と平和に楽しく生活して行きたいと思っているのです。
ほんの些細な幸せで生きて行けるのです。
人が羨ましがる様な生活をしたり資産を持ちたいと心から思っている人は
国民のほんの一部に過ぎません。
確かに少しでも豊かな生活をしたいとは思っても、他人を傷つけたりしてまで
手に入れたいと思う人は、国民の中では、本当にごく少数と言えるのです。
しかしながら、その気持ちを持つ人が国を引っ張っていくと成ったら、
これこそが、独裁者と言うべく、不幸を呼ぶ国民の敵と言える人なのです。
昔から、国民生活レベルが低くなったり、人々が疲弊して来ると、その不満を利用して
自らの欲望を叶えようとする人が出てくるものです。
自分たちの気持ちを代弁してくれると国民が信じた途端、世界中に脅威が走ります。
歴史的にも、その末路は、独裁者にとってもそれを支持した国民にとっても
悲惨なものとなった事は誰もが知る事です。
我が国には、決してそのような事は無いと人々は信じたいものですが、
その様に思っていても突然そんな社会になってしまう事が今まで何度も有ったのです。
そう、突然大地震が訪れるかのように、寝耳に水の様にその日はやって来るのです。
過去の蹉跌を踏むと言う事は、誰にとっても不幸と成るのです。
今が不幸の真っただ中と思われる人でも、一度、世の中がキナ臭くなってしまうと
今の時代がいかに幸福であったかと思う程なのです。
私達は、いつか、誰かが何とかしてくれると思い、世の中に関心を持たず、
ただ、自分の欲の為に毎日を過ごしていると、いつの間にか足をすくわれ
とんでもない不幸に見舞われる事も有るのです。
科学が進歩して、様々な情報を誰もが手にする事が出来る時代になりました。
しかしながら、その情報が本当に信じていいのかと言えば、例え、もっともらしく
国のリーダーが唱えたとしても、間違っていたり歪曲されて報道される事も
有るのです。
国民が出来る事、それは、あらゆる事に目を凝らし耳を大きく広げて、正しい情報を
いつも選択できる冷静な判断力を養って行く事です。
情報の中でも、多くの方がいつも目にするテレビであっても、その内容は製作者に
自由に操られ、更にはスポンサーサイドの要求で作られているのです。
そのため、作品として作られる番組は、増々つまらなくなり、誰もが刹那的に喜ぶ
バラエティばかりに成っている事からも、私達国民は、正しく平等に情報を得られて
自分の意思で毎日生活している様に思っていても、テレビ制作者サイドの意向で
様々に操られている事を知っていなければなりません。
日常的な事を操られている場合はまだしも、いつの間にか思想的に洗脳され
思いがままに動かされる様になると非常に危険です。
そんな時、争いを好む独裁者が台頭したとき、また新たなる不幸の歴史が始まり
多くの国民が傷付き悲しむ時代と成って行くのです。
平和とは、戦争の合間という人もいます。
それ程にも私達は戦いの歴史を作って来ました。
しかし、この負の連鎖をいかに無くすか、更には、例え戦争の合間であろうと、
その期間が少しでも長く続く様に努力する事が、私達の使命と言えるのです。
私の友が多く住む熊本は、日本でも有数の湧水の宝庫であり、水道の水は
殆どが地下水から導かれていました。
街も、端正な熊本城を中心に、落ち着いた本当に住む人に優しい姿でした。
でも、今や、その面影は有りません。各地の水源は湧水が枯れ、街の姿は
原型をとどめない家から、一面青いビニールシートで覆われた、あまりにも
みじめで悲惨な光景と変わってしまいました。
前の日まで、決してこのような事が起こるとはだれも思っても見なかったでしょう。
国の未来も、大地震と同じく、不幸を呼ぶ事が今まで何度も有ったのです。
明日はまた同じ時間が続いていくと誰が言えるでしょう。
私達日本人は、戦争で、高度成長期の日本列島改造計画で傷付いた故郷日本を
これ以上痛めつけていいのでしょうか。
東日本大震災から次は東海沖のプレート大地震と、誰もが想像していても
地球は想像もしない災害を、想像もしない地で起こすのです。
今や、日本人は、力を合わせて、日本全体を復興して行く事に目覚める事です。
これからも更に大地震が訪れるでしょう。
次は何処に、と言う事ではなく、自分の身体が傷つく様に痛みを感じ、労わり
助けて行かなければなりません。
世界の先進国に肩を並べると言うより、自国の復興のために、人も自然も
日本の大切な財産として育て進歩させていく、国民の幸せを世界一考える
人類として最高の国民を目指す事が大切であると思います。
最新の画像[もっと見る]
-
空しい緊急アラートの音 7年前
-
何故、失言暴言を悪びれないのか 8年前
-
散って、なお美しく 9年前
-
散って、なお美しく 9年前
-
華やかな春の喜びに水を差す目黒川 9年前
-
春はそこまで、桜と富士と、インコ!? 9年前
-
春はそこまで、桜と富士と、インコ!? 9年前
-
諦めていた天体ショー 13年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます