災害は忘れた頃にやって来ると言いますが、忘れているのではなく、
今興味のあることや、取り組んでいる事に意識が有って、いつ来るとも
解からない事を常に考えている事は、生活をするにあたって合理的でなく
更には、機能的ではないのです。
しかしながら、日本人にとって、気にしなければならない大きな災害は
やはり地震であることは否定できません。
数年前の衝撃的な東日本大震災だけでなく、過去二十年の内でも、大きな
地震が各地を襲っています。
私達にとっては、長い年月かも知れませんが、地球の歴史からすると、極めて
短い周期で頻繁に起こっている事でもあります。
そのため、近い将来確実に訪れる大災害に対して、何だかの対策を各人で
行なって行くのが大切なのは解っています。
部屋の各隅には、埃を被った水入りのポリ容器が供えられ、山に登る時の
炊飯グッズを揃え、懐中電灯や保存食はどうにか準備されています。
でも、反面、こんなことで本当に備えられているのか、さらには、これらを活用し
無事災害から逃れられる場所で被災するかと言えば、地震がいつ起こるかと
いうこと事は非常に曖昧な事と言えます。
災害には常に想定外と言う言葉が当てはまり、様々な責任回避の言葉に
利用されています。
安易な言い訳の様な言葉ですが、実際のところ、私達の想像を超えた所で
大災害は発生しているのです。
先日、地震探査科学機構というところから、近い将来巨大地震が起こる兆候が
得られたとい発表が有りました。最近の震度5以上の地震を予知してきた
民間の組織ですが、かつて関東大震災が在った時と同じような地殻の変動が
観測されたとの事です。
ニュースで流れたものの、それ程取りざたされる程でもなく、他のニュースと紛れ
人々にどれ程危機感を持たせることが出来たか、今のところ定かでは有りませんが、
もし、予測通りの規模の地震が起これば、それこそ、日本の将来を揺るがす
大災害となる事は明らかです。
しかし、それ程までの恐ろしい事であっても、不確実な未来の事に対しては、
人々はその瞬間まで対処できないのが現実なのです。
備えあれば憂いなし、と言いますが、いくら準備を完璧の行っていても
その備えが100%行かされるとは言い難いのです。
私達の生活は、全てが想定外の中で進んでいるのです。
大切な事は、その瞬間に、どれ程的確な判断を行ない、被害を最小限に止め
怪我をしないで生き延びるかという事です。
確かに準備された環境で災害に遭えば、被害は最小限で抑えられるかも
知れません。
しかし、絶体絶命の環境にいて被災する可能性も十分に有るのです。
つまり、大震災で被害を被らない確率の半分は運であり、半分はその時
いかに冷静に対処できるかと言う事です。
大災害に成ればなるほど、冷静に、五感を屈指して、周囲の状況を見極め
その時何をする事がベストなのか判断できる心構えが、本当の備えであり
生き延びる術であるように思えます。
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