めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本の政治家の怠慢と無能

2018-11-27 17:04:11 | 日本人

抽象的でのらりくらりと質問に的確に応えられない首相やその取り巻き、
重箱の隅を突っつく様な、確信を捕まえられない、攻め手に欠ける野党の面々。
最近の国会中継は、本当に詰まらなくて、じっくりと耳を傾けようと思えません。
各自のノルマは果たしているのでしょうが、国会の質疑応答が、国民の為に成っているか
と言えば、無駄な税金を多く使っているとしか言いようが有りません。

審議しなければならない懸案は山とあるにもかかわらず、まるで牛歩の如く、たとえ
審議を尽くしていると言っても、その内容は余りにも一人一人の意思が感じられず、
多くの質疑が、誰かに言わされている様な、代弁させられている様な内容であり、
常に、各議員のその場に於ける社会的地位を失わないが為の、当たり障りのない
意見交換会に過ぎません。

政治家と言うのは、多くの国民の気持ちを代弁し、より人々の幸せを目指す為に
孤軍奮闘すべきなのですが、近年の政治家は、いずれも、自分の身が可愛いのか
常に保身的な態度が見られ、如何に、政治家としての地位を失わないかの為の
姑息な政治活動が目立ちます。
この事は、一国の長と言えども同じ匂いがしていて、昨年から多くの疑惑を取り沙汰され
マスコミを通じて、国民の前にその実態を暴露された時も、のらりくらりと言い訳三昧で
その姿は、現在の国会審議の場と何だ変わりません。

国の代表として、国民に対してしっかりとした国家の指針を示す事が出来ず、常に
親方アメリカの顔を伺いながら、かつ、自分の地位を保持する為のパフォーマンスは
本人だけが納得していて、国民の多くは、うんざりとしているのです。
しかしながら、彼らのバックには、巨大な国内産業の実力者が控えていて、正に
虎の威を借りるキツネの如く、周辺を煙に巻いているのが実情と言えるのです。

毎年の様に繰り返される大災害に対しても、国の立場を国民第一主義と言わんばかりに
力説しますが、現実では、東日本大震災以来から変わらず、被災者たちの本当の気持ちが
解っていなくて、ただ、天に向かって、自分達は救世主の様な主張を繰り返すだけです。
なぜ、多くの災害に苦しめられる国民が、一向に心も身体も元の健全な状態に戻らず
いつまで経っても、苦しい生活を強いら得るのか、それは、成すべき人たちが、
自分達の勝手な考え方で行った復興計画に酔いしれているからなのです。

災害に見舞われた人たちが、本当に欲している事は何なのか、その答えを被災者から
直接感じるのではなく、復興計画を行う事業者や企業との話し合いを主体にして
利益を目論む復興計画を行う事に依って決めている事から、何時も空回りの
国民の気持ちを逆なでする結果と成っているのです。

この事は、消費経済社会の勝利者としてトップとしての驕りが常にその様な国民との
スレ違いを生んでいるのであって、災害復興だけでなく、多くの国内事業が、その地で
住んでいる人達にとって本当に利益と成る方向に進んでいない事が多いのです。
常に、自分達の利益と、それを齎してくれる更なる豊かな人達の方に心が向いていて
国民の代表と言いながら、それは単なる肩書きであり国民にとって、的外れの政策を
実行する事で、多くの無駄な税金を使い、作られたものは、国民の意としない、単に
リーダー達と企業者達の自己満足を生むだけなのです。

日本は、世界的な高度経済社会と言えますが、それは、外見的な豊かさであって、
それは、国民を豊かにするものではなく、一部の社会を創り上げている人達の作った
我儘な作品でしか有りません。
天をつく高層建築も、近代的な巨大都市も、それらを創り上げた人達の満足で有って
それによって多くの利益を得るのはほんの一部の人達であって、多くの国民は、
その施設を使う事に依って、まるで働きアリの様に、豊かな人達をより豊かにしている
と言えるのです。

華やかな都会に生きていても、その殆ど全ては自分の作り出したものではなく、
美しい巨大な他人の庭にお邪魔している様なものです。
その為、国民は、そこで消費する事は有っても、多くの利益を得る事は出来ないのです。
人は、視覚からの情報が90%以上を占めると言われ、目に飛び込んでくる華やかで
驚愕な世界に居ると、あたかも自分がその世界に生かされている様な錯覚をするもので
その魔力は、いつの間にか、膨大なる消費を行う事と成るのです。

もちろん消費経済社会に生きているのですから当然とも言えるのですが、問題は、
その華やかな都会で消費する為の資金が得られない国民が非常に多いと言う事です。
大都会に在って、自分の欲しい物を何でも手に入れられる人は、ほんの僅かな富裕層であり
殆どの人々は、欲しくとも指を咥えて見ている事しか出来ないのです。

しかし、高価な品物ならまだしも、一般庶民が日頃消費するものであっても、経済的理由で
簡単には手を出せない多くの国民がいる事を国のリーダー達は知っていません。
何しろ、自分達がその様な場を訪れれば、目に入る物の殆どが手に入る地位にいるからです。
経済的に豊かな一般の職種に就いている人ならともかく、国の政を行う地位であるならば、
その様な華やかな場に在っても、その華やかさを身に付ける事も手にする事も出来ない
多くの国民がいる事を感じられなければ、国民の代表としての資格は無いのです。

選挙の時ばかり、国民に顔を向け、さも悩み苦しむ国民の見方の様な顔をしていながら
一度、政治家としての地位に付くと、そんな気持ちはいつの間にか失せてしまい、目指すは
より地位の高い椅子であり、その為には、自分の利益を満たしてくれる人に笑顔を見せ、
忖度を計ると言うのが現実なのです。

官僚が作った文面を読み、各地のリーダーに任る議員からその地の説明を聞き、客観的な
知識ばかり詰め込んだ政治家が、国民の真の思いや苦しみが解る訳ないのです。
如何にその場を凌ぎ、自分の地位を不動のものにするかのパフォーマンスを見せられても
何の感動も生まれず、直ぐにチャンネルを替える国民が殆どと言えるのです。

今や、経済的に豊かな人も増えて、この豊かな社会で楽しく生きている国民もいるのですが、
いまだ大多数の国民は、生きて行く為に必至に働き、身を削って生活しているのです。
特に、社会に出て、これから日本の社会を支えて行こうとしている多くの若者達が
自分達の能力を生かす場を与えられず、高学歴を得たとしても、日々の生活すら困窮し
未来を夢見られない現状を、審議は出来ても、具体的に改善できない無能ぶりが、
現代の日本の政治家の実態と言えます。

もちろん、毎年増える一方の高齢者問題、日本国民として生まれても、その後の心と身体の
成長を守れない教育対策、子供を産むよう薦められようも、生んだ後の生活教育が不安で有れば
当然、多くの若い人達は前に進む事をためらってしまいます。
問題は山積しているのに、知識が有っても、具体的に結果を出せない優柔不断の社会政策は
日本社会の抜本的な改善が行われない限り、常に、国会審議の様に堂々めぐりと成るのです。

今や、親方アメリカのトランプ大統領は、自分の身勝手な考え方を貫いて、強引にアメリカ社会
自分が思うが儘に動かしていますが、日本は、その顔色をうかがう事は有っても、リーダーとして
具体的な国策に踏み出す人がいません。どの面々も、自分の事しか自分の欲望しか考えられず
社会的地位を守る事に必至です。

トランプの様に国民を置き去りにするような行動言動はもっての外と言えますが、日本人なら
国民全体の為なら英断を行っても大丈夫と言えます。
日本人は、大自然に生かされ大自然から学んだ豊かな心で国民全体を繋いできました。
和をもって尊し、と言う様に、全ての人と繋がる幸せを求める国民と言えるのです。

資本主義社会と成って、経済的豊かさを自分達の幸せの基準としてしまった事から
様々な問題が生れて来たのです。日本人同士がお互いに傷つけ合い、足を引っ張りながら
自分の事だけを考える生活に疲れているのです。
人の事を考えられないから、他人から常に報復を受ける可能性を考える様に成ってしまい
常に保身を前面に打ち出したおく病な日本人と、そのプレッシャーを耐えられないで
暴発して人々に苦しみや悲しみを与えてしまう日本人が多くなっているのです。

国民の代表と成ったならば、国民が目指す事望む事を自信をもって審議して欲しいものです。
官僚の作り上げた原稿を、ただ、棒読みして意見交換をしている様なつまらない政治家は
これからの日本を担っていく事は出来ません。
世界は、ネットの広がりと共に日々進化しているのです。
なのに、日本の中枢である国会は、いまだ、前世紀の遺物の様に、遅々として審議は進まず
国民のいら立ちを増すだけと成っています。

一体、今の政治家は、何を怖がっているのでしょう。自分の周りの政治家からの圧力?
自分を守り育ててくれる陰の富裕層?、はたまた、リーダーと成れば親方アメリカのトランプ?
ほんの少し周りの考えと違えば、突っ込まれて自分の未来が危うくなるから?
いやいや、一番の問題は、自分のその様な保身でしかない考えで、のらりくらりと政治家を
務めているからにほか有りません。
政治家は、一体何のために存在するのか、本当の政治家としての価値は何なのか。
日本国民がいつまで経っても不安から抜け出せないのは、日本を変える立場にある人達の
我儘な自己満足にある事を、詰まらない国会中継を見せている責任を痛感して欲しいものです。