めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人生残り少なくても、捨てたもんじゃない!

2018-11-18 15:19:33 | 日本人

人生の末路というものは、本当に寂しく悲しいものです。
人間は生き物ですから、生まれたからには、いずれ死を迎えます。
しかし、若い頃は、頭の中では解っていても、実際に、その頃を
感じる事は殆ど無く、というよりも、日々生きているのが当たり前で
自分自身にそんな時が訪れるなど、考えもしないのです。

しかしながら、仕事をリタイアしたり、高齢と成って来ると、
誰もが、残りの人生を意識し始める者であり、気にしないと言っても
日常的に、自らの身体が訴え始めるのです。
若い頃には考えもしなかった身体の変調が常に感じられる様に成り
まるで、ギターの弦がしっかりと調律されないで演奏をしている様です。

五感が、反射的に働かなく成って来ることを実感し、何をするにしても
改めて集中しなければ、思い通りの感覚が得られません。
まず、多くの方が、日常の情報の殆どを得る為の視力に異常を感じ始め
外見的には、若々しさを保とうも、何か至近距離の物を見ようとすると
すぐさま情報が得られないのに戸惑います。

それと共に、反射的に身体が応じられなく成り、次第に、誰もが感じる
高齢者の立ち振る舞いと成って行くのです。
この事は、人間が生き物である限り、避けられない運命であり、
太古の昔から、人々の最大の希望は老化しない事であり、いつまでも
若く有りたいと言う願いでした。

どんなに財を成そうも、どんなに人々の頂点に君臨して思うが儘の
生活が出来たとしても、最後の日への道は避ける事は出来ないのです。
その為、多くの人は老いを憎み悲しみ、死を恐れる事と成るのです。
しかしながら、努力によって、多少なりとも延命する事は有っても
誰もが驚愕する程の長命を得られる事はなく、同じような最期を
迎える事と成るのです。

とは言っても、中には、病に倒れたりアクシデントに遭ったりして
予想もしない短命に終わる方もいて、人生の長さは、人の力では
どうにもならないのが現実です。
今日元気でいても、様々な災害に見舞われて、次の日には、命を
落としてしまう人は必ずいて、自分の人生を考える様に進めるとは
誰も言えないのです。

また、人には後悔がつきものであり、先が長いと思っていると
突然、道が断たれる事も有り、自分の歩んできた道を悔いる事も
少なく無くて、本当に、人生を悔いなく生きると言う事は難しいのです。
しかしながら、一喜一憂とも言える人生は、自分自身が創り上げている
と言う事を知っていなければ成りません。
誰かに決めれれてノルマを果たしている様なものではなく、少なくとも
自分の考えで推し進めている事実を忘れては成らないのです。

つまり、人生を楽しくするのも苦しくするのも、自分なのだということです。
何か失敗したりつまずいたりすると、何か方法を間違えたかのように思ったり
誰かの所為にしてしまったりと、原因が他にある様に考える人がいます。
本当は、思い通りに進んで行くはずが、何か他の原因で者進め無く成ったと
反省する人も少なく在りません。

確かに、人は失敗をしても、反省をして学習をする事で新たなる方法や
目的を見つけるものなのですが、生き方の良し悪しは、自分が決めていて
もし他の人が判断したら、自分の考えと全く反対である事も多いのです。
物事の判断は、人其々であり、価値観に至っては、千差万別と言えます。

自分では失敗と思った事が、別の人からすると大成功と思われる事も有り
結果にいちいち一喜一憂した所で、差ほど、影響は無いと言えるのです。
問題は、自分の行った事を否定する事で、自分自身の心にプレッシャーを
与え、心身共にストレスを受ける事です。

高齢に成って来ると、特に、自分自身を反省したり、不安な状況を確認して
常に、心に圧迫感を抱き続けている人が少なく在りません。
若い頃と比較して、衰える心と身体に日々落胆している人も多くいて、
常に、現状を否定している様な生活を送っている人が目立ちます。
その頭の中は、若い頃の自分が正しく、現実の自分は、間違った生き方を
しているかのように自らを否定しがちです。

しかし、私達は、若かろうが歳をとっていようが、常に、日常的に思い通り
物事を解決している訳ではないのです。
若い頃は、若さは有っても知識や経験が少なく、常に、自分の能力の至らなさに
苦しんでいる人が多くいます。
他人よりも豊かな生活を送っていたとしても、自分より遥かに経済的に豊かな人が
身の回りにいれば、常に自分の社会的地位の低さに苦しみます。
しかし、日々の生活に苦しむ人達から見たら、そんな自分が、理想的な生活を
行っているかの様に見えている事も有るのです。

人は、比較する事で、多くの場合、自分の立場や考え方の是非を判断します。
他人よりも優っていると思う時は、心が穏やかであり、他人よりも、生活レベルが
劣っていると思うと、途端に心が不安で包まれます。
この、比較して経済的な地位を確認する多くの日本人は、いかなる生活をしていても
一喜一憂の人生から逃れられず、特に、人生の末路が近づくと、自分自身の生き方を
否定したくなって来るのです。

この他人との比較と言うのは、本当にいい加減な物であり、答えが無い物であり
そこに自分なりの答えを作ってしまう事から、苦しみから逃れられないのです。
安心した人生を送るには、自分自身が、他人が自分より優れているという判断をしないで
自分の生き方全てを肯定する習慣をつける事が大切です。

失敗は成功の元、と言う様に、全ての行いは、成功するために在ると言えるのです。
目先のアクシデントやその時々の自分のマイナスの考えに囚われない事が大切です。
大切な事は、苦しめる原因は、全て自分に在り、幸せにすることが出来るのも
自分自身だと言う事なのです。

私達は、生きている間に、様々な窮地に立たされたりアクシデントに見舞われたりします。
この、ある種不幸とも言える出来事は、一時心を痛める事は有っても、その事が
自分自身の人生を変える事ではないのです。変えてしまうのは、その時動転して
自分自身が人生を変えてしまうからです。

上手く行かない時や、突然の不幸も、自分自身の生きる道を閉ざすものではなく、
歩みを止めなければ、自分自身の力と成り、先へのエネルギーと成る事が多いのです。
人生は、絶体絶命とか、これ以上は何も出来ない、とか思う事が何度も有りますが、
その言葉通りである事は、殆ど無いのです。

それは、自分がそう思っただけで、もし不幸に成って行くとしたら、自分自身が
その方向に自分の道を作ったからなのです。
全ては、自分の望む様に成って行くと言っても過言ではなく、自分の道を進む事を
諦めなければ、足りない部分は、誰かな助けてくれるのが人生なのです。

一番大切な事は、自分自身で道を閉ざさない事と如何る時も自分の思いを失わず
自分自身を信じ続ける事です。自分が信じられなくなると、人生を生きる力を失い
そんな人を、周りの人達は助けようとは思わないのです。
病に伏したり、高齢と成ったりすると、ややもすると自分自身を否定したくなります。
然し、人は、自らを否定する事も認める事も出来る生き物なのです。
どちらを選択して生きるか、それこそ比べて見れば一目瞭然と言えるのです。