めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

本当に使い辛そう

2018-11-10 17:53:17 | 東京

さんざん揉めた挙句、沢山の問題を棚上げにしたまま、豊洲市場の歴史が始まりました。
築地市場の老朽化に伴い、見つけた広大な干拓地は、築地市場からも近く、絶好の候補地
と成ったのですが、いざ、移転の為に調査すると、次々に問題が出て来ました。
干拓地特有の地盤の悪さも有りますが、何といっても地下深く隠されていた有毒物質は、
高度成長期の負の遺産として、またもや人々を苦しめる事と成ったのです。

しかし、この問題は、東京が次第に巨大化し、湾の埋め立てが本格的に成って来た頃から
将来大きな問題と成る事は解っていたのですが、学者も政治家も都民も、自分達の廃棄物の
処理の場を干拓地する事に何の異も唱えなかったのです。
今更ながらとも言える問題なのですが、東京湾に出来たゴミの島、いわゆる、夢の島が
マスコミに取り上げられた頃から、将来の環境問題が解っていた事なのですが、見えなければ
見つからなければ悪い事をしても構わないとする戦後の日本人の感覚が今の問題を生んだと
言えるのです。
住宅地の土壌から、六価クロムが見つかったりしても、しばらくニュースに取り上げられた
としても、月日が経てば、話題にすらならないのが日本の現状と言えるのです。
喉元過ぎれば、という感覚が有るのか、しばらく頭を下げて我慢していれば、嵐が去るのを
待っていれば、また復活できるとする悪癖が日本人の心に在るのです。

この事は、政治の世界や社会的に人々の注目を集める世界を見れば一目瞭然と言え、
国民を震撼させた事件を起こしたり、度々国民の期待を裏切り、私欲に走って言い訳に
しどろもどろするリーダー達が後を絶たないのも、彼らが、ほんのしばらくの間、
マスコミから消えていれば、いつの間にか元のポジションにもどって、ゆったりとした
議員席でふんぞり返っているのを見れば、如何にこの国のリーダー達は、国民を愚弄し
国民は、そんな彼らを認めてしまうと言う、どんなに経済発展を遂げたとしても、日本国民は
人間として成長していないと言えるのです。

外見的な美しさや経済的な豊かさが有ればよいとする感覚が、如何に自分達の生活を苦しめ
日本人としての心の豊かさを失っているかが解っていません。
たとえ、他人より秀でた生活をしたとしても、他人を信じられないで自分の事しか興味がない
我儘な日本人が、リーダーと成っている事は、いかなる社会に於いても不幸と言えます。
自分の事しか考えられない人が多く成れば、当然、対人的トラブルが増える事は当たり前であり
あらゆる職場に於いて、上になる人達が自分の欲望しか考えられなくなれば、当然、下に付く人は
様々なストレスやハラスメントを被るのであり、具体的なトラブルだけでなく、日常的に、
人間関係がギスギスしている職場がいかに多いかが解ります。

人の思いを理解できなく成れば、社会生活だけでなく、被災地で有っても、様々な現場における
苦しむ人達や助けを求めている人達の本意が解らず、勝手な思いで救援活動をおこない、
人々を助けたと自負している困った人達が増えるのです。
苦しむ人達は、助けてもらっているからと我慢していても、その後の生活は、自分達の求める物とは
全く違ってしまい、以前よりも経済的に豊かな暮らしと成っても、一向に幸せではないのです。

築地市場に代わって、近代的な豊洲市場が動き始めましたが、見た目の素晴らしさに反して、
そこに働く人達も、全国から集まる人達も、至る所で不都合や不自由を感じているのが現実です。
明かに、建築関係、設計関係に関わった人達が、市場の人達の気持ちを理解しないで、自分達の
仕事として都合の良い様に作られた市場と言え、使い勝手の悪さは、多くの不平不満を呼んでいます。

市場は、ある意味売買のやり取りを公正にする為、オープンスペイスで、誰もが全てを見通して
行われるべきなのですが、現状は、無粋な柱が立ならび、魚や市場関係者のやり取りが隠れていまい
明かに、市場に対する素人が作った建築物である事は明らかです。
また、流通を考えて、トラック搬入経路や市場関係者の動線を考えての構造と思っているのですが
それは、頭の中と机の上で創られた、市場関係者の思いを全く理解していない、ただ、自分の仕事の
世界だけに生きて来た我儘な考えと言え、いつの日か負の遺産に成る条件を兼ねているとも言えます。

高度成長期に、環境の事や人体の影響など全く考えないで、東京湾にゴミを捨て続けた関係者や
それを認めたリーダー達と頭の中は全く同じであり、対人的な成長も環境に対するセンスも無い、
ただ、自分の欲しい物だけを手に入れる事しか考えない、大人に成れない社会的地位だけの人達が
社会を動かしている弊害と言えるのです。

いまや、日本人は、自分より年齢や社会的地位や外見的上の人に敬意を払う事は殆ど有りません。
特に子供達は、大人に対しても、横柄な態度を取る事が多く、昔の人達に、口の利き方や態度を
指摘されるも、それを改める事無く、対人的に自分が利益を得たい人や利益を失うかもしれないと言う
欲望の天秤が働く時だけ、言葉や態度を気を付けているのが現状です。

学校の先生や社会人、更には、家族の両親や叔父叔母に対しても、悪態をついたり、口が悪く無くても
心の中では全く敬意を示していない子供がとても多いのです。
ただ、口に出したり悪態をついたりする子供はまだしも、その様な気持ちが有っても、外見的には
大人たちに好かれる様に演じている子供もとても多く、この事は、社会に於いての上下関係で
普通に見られる事と言えます。

心から信頼を寄せられる上司やリーダーがいない事は、とても不幸な事であり、多くの人達が
大人に成る術を習うことなく、我儘なまま社会的な地位を得て行く事が問題と言えます。
今や社会的に地位が有るとしても、人間的に優れていると思われる人は、政治家だけでなく
多くの職場に於いてとても少なく、上司も部下も、自分の欲望を満たす事しか考えない事で
いつまで経っても、人間的成長が成されず、大人に成れないリーダー達は、日本人の生活も
日本の自然も、豊かにすることは出来ないのです。

高度成長期に、経済的に豊かな商品を多く手に入れた日本人は、他人よりも経済的に豊かな物を
手に入れれば、他人よりも優ると言う教育を受け、より日本経済の発展に尽くしてきました。
しかし、国民は豊かに成ったとは言え、その為に、多くの日本の富を失ってしまったのです。
日本国土は公害で荒れ果て、自分の欲望を満たす事で他人と争う事を良しとした日本人は、
穏やかな心と思いやりを忘れ、他人に対して経済的な価値観でしか関われなくなってしまいました。

人間性を失った、ただ経済的に豊かに成っただけで、人は、幸せを感じる事が出来ません。
物の豊かな生活は、人々の心をより人間として豊かにする為に有るのです。
身に付けた地位や財産、そして買い求めた消費物資の豊かさで自分の価値を考える様に成れば、
対人的に争いは生まれても、お互いの尊敬尊重は決して生まれません。

誰かに経済的に勝る事を常としている生活は、自分より多くの豊かな物を持っている人に対しては
完敗と言え、持っている人に対しては、妬みや誹りと言った負の感情しか生まれません。
しかし、もっと大きな問題は、自分の欲望によって、他人の心を傷つける事です。
しかも、他人を豊かにする様に見せて、裏で傷つける事が許せません。

多くの公害も、負の遺産も、国民を騙す事で膨大なる利益を得た結果なのですから。
人にだけでなく、環境に対する様々な汚染は、便利で豊かな生活を全面に押し出す事で
人々からその悪行を隠しているとしか言えません。
毎日、テレビに流される強力で便利な洗剤や薬品は、下水と共に流された後、環境中に全く
流れ出ていないと思って言る視聴者が殆どなのが問題です。

益々強力な洗浄力を持った薬品は、浄水池に於いては、全て回収する事は不可能であり、
日夜、大量の化学物質や薬品が垂れ流しになっているのを、殆どの国民は知りません。
環境省や工場関係者たちは、法律に則て処理をしていると言いますが、100%薬品を
回収しているのではなく、環境中の一部の生き物達が生きられる汚染基準で垂れ流している
と言う事を一言も述べていません。

オリンピックのトライアスロンの会場と成る東京湾奥は、顔を付けるだけでなく、海水を口に
含む事すら禁じられている現状で、何の問題も無いと押し切られている事に、日本人として
世界中から訪れる選手に申し訳なく思ってしまいます。
私達人間が、自分達の生活の為に取り込んだ水は、環境中に戻す時は、取り込んだ時以上に
安全な状態で排出するのがマナーと言えます。
海の中も大気中も、人間はそのマナーを守らず、環境を汚し続けた結果が、多くの食料を失い
異常気象を招いているのです。

極端に言えば、地球上に人間が現れなければ、現在生きている生き物の何千倍もの生き物が現存し
少なくとも、地球環境は、生き物にとって最適の状態が保たれていたはずです。
人間の身勝手な欲望が、地球環境を破壊し、多くの生き物を絶滅させるだけでなく、私達人類も
年々酷くなる異常気象に苦しむ事と成っているのです。

私達は生物であり、地球環境に生かされている事を忘れては成らないのです。
人類が作り得た全ての文明も社会も、地球の資源や食料が無くしては成立しなかったのです。
この事は、過去も現在も未来も同じなのです
しかしながら、今や、人間社会に於いても、一部の人達の独占と身勝手な考え方で、環境だけでなく
人間の生活すら危うくなって来ているのです。

お金さえあれば、資産さえあれば、何でも手に入り、自分達は幸せに生きて行けるとする驕りが
地球上全ての生き物を苦しめ、人間の未来すら暗くしている事実が解っていない人が多いのです。
目先の欲望に溺れ、安易な考えで利益を得る事だけを考えていると、多くの人に迷惑が掛かり
挙句の果ては、大衆の面前で吊るしあげられるのが人類の歴史でも有ります。

近代国家と成り、人々の自由が尊重され、誰もが幸せに生きられる豊かな社会と成った様に見えるのは
外見だけであり、豊かなのは、ほんの一部の人達だけであり、彼らの多くは、自分の事は考えれても
自分より経済的に豊かでない人の事は全く考えられないのです。
まるで、スポーツに於いて勝ち負けだけしか考えられず、対人的に成長できない人と何だ変わらず、
その勝利は、お相手がいてこそ成り立ち、勝者に対する敗者の敬意が有ってこそ価値を持つ事を
知りません。勝者に対して、憎しみやリベンジと言った否定的な言葉しか浮かばない様では、
例えスポーツをしていたとしても、それは、単なる喧嘩に過ぎません。

人と関わると言う事は、関わった事で、より自分の生活が豊かに成り心が成長できる事が大切です。
豊かさとは、外見ではなく、人間的な中身であり、その部分を認められてこそ地位や成績の
価値が生れて来るのです。
戦争の様に、負けた国の人々に、心から憎まれ罵られる様では、たとえ欲しい物を手に入れても
勝負に勝っても、その後の人生はわびしいものです。

豊洲市場を作った人達を市場関係者が、心から感謝の気持ちを表す事が出来ず、次々に不満が
生まれていると言う事は、ただ、建物を自分達の考えだけで作ったと言う、利益を得る為の
仕事をしただけとレッテルを張られたと言えるのです。

私達の人間関係は、常に、他人から感謝される関係で有りたいものです。
その為に、お相手が、一体どの様に考え感じているのか、対人的に常に考える事が大切で有り、
人の気持ちを解して自分の心を成長させる事が重要です。
日本人は、繊細な心を持ち、他人に対しても自然に対しても、深い理解を持っていたものです。
経済的に豊かな生活を基準とした時から、人々の苦しみが始まったと言えます。

かつて他人は、自分を成長させる大切な存在であり、自分が大人として成長して行く為には
如何に、自分とは違う考えや行動を理解する事が出来るかが大切でした。
その為、他人に対して敬意を払い、生きる為のお手本として人に接する様に成ったのです。
今や、人を見たら泥棒と思い、他人は自分に危害を加える可能性が有るとする考えが
多くの国民に有ります。

他人を信じられなく成れば、自分自身の心は常に広がる事無く成長は望めません。
人は人によって育てられ、自然によって地球の生き物の1つとして認められるのです。
人類の驕りは、全ての人類を苦しめ、地球の自然を破壊してしまうのです。
身の周りの人達に、そして自分が生きる環境に対して、自分が如何に対しているか
改めて考えてみる事はとても大切と思えます。