めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

思い通りにならない理由

2018-11-22 11:03:45 | 社会

過去50年に渡ってスポーツに親しんできましたが、
人生の末路が近づくに連れて、自分の身体が、確実に
衰えてきている事を感じます。
過去の記録を見ても、20代の頃の体力の半分も無くて
当時は、スポーツを仕事の主体としていて、周囲の人から
一目を置かれていたのに、今では、ただの元気な高齢者の
一人に過ぎません。

若い頃に行っていたメニューを熟そうにも、一生懸命
身体を動かしてどうにか付いて行ける状態です。
唯一勝っているのは体重だけで、外見は大きくなっても
筋肉量が激減していて、当時、履こうとすれば、太ももが
パンパンに張っていたズボンが、何の苦もなく入ります。

まずは、体力を戻すと言うより、身体のバランスを取り戻し
全身の筋肉の繋がりを作る為に早朝ウォーキングから始めました。
高齢になってくると、体力と言うより、身体を動かすための
バランスが失わなわれて、いわゆる、頭と肩が前傾した
高齢者の体形となって来ます。

かつて、高齢者にアドバイスしていたことを、自らの身体で
再確認する事になるとは、改めて、自らの年齢を知らされ
思い通りに動かなくなる身体にため息がもれます。
早朝に歩いていると、私と同じように、高齢者が多いものの
猛スピードで駆け抜けていく若者や、中高年と思えても、
しっかりとした足取りで風の様にすれ違っていく人もいます。

身体の機能や運動原理を長年仕事で追及してきたことも有り
人々の歩き姿を見ただけで身体の状態が解るのですが、
それ以上に、自分の身体の問題点がはっきりと解るのは辛く
かつての自分の姿と比べて、若い頃の運動機能に戻すには
どれ程大変な事か、修験者並みの生活を行わなければ
老化を止めることは出来ません。

しかしながら、問題は、体力が衰えたこと以上に心が
気力が衰えている事です。
高齢になったという理由で、様々な事に対して、甘えが
出て来ているのです。
何十年も働いてきたのだから、年を取ったのだからと言う
もっともらしい理由で自らの身体をなまけさせているとも
言えるのです。

高齢者だから許されるという我儘が、自分の身体と脳の
機能を衰えさせているのではと思います。
若い頃は、確かに体力も有りましたが、それ以上に、
目的に対しては、果敢に挑戦し、歯を食いしばって頑張った
日々が有ったからこそ様々な利益が得られたのです。

たとえ体力が落ちたからとは言え、全てが出来なくなった
と言うわけでは有りません。
長年の経験もあり、若い頃以上に様々な事に挑戦が出来るのです。
身体が若い頃の様に自由に動かなくなったとしても、出来る事は
探せばいくらでもあるはずです。

しかし、若い頃は、すぐに挑戦したり触手を伸ばしたのに、
今や、目の前に、手の届くところに有っても触れてみようとも
しない事が、心の老化と言えるのです。
人の身体は、思ったように反射的に動くように出来ています。
思わなければ、どんなに素晴らしい肉体を有していても
どんなに若くとも、目的を達成することは出来ないのです。

現代社会は、一部の人達は非常に豊かな生活をしているものの
多くの人が日々の生活に苦しんでいます。
思うような仕事につけなかったり、仕事をリタイアしたものの
老後の生活に苦慮している人も多くいます。
其々の問題を抱えているとは言え、多くの人達が、自らの身体の
不自由さを感じています。

思い通りにならない生活に身体に苦しんでいるのです。
お金がないから仕事が無いから、生活が思い通りにならないからと
今の時代に誰もが抱く問題が山積しています。
お金が有れば仕事が有れば、もっと幸せになれると思いながらも
一向に道が開けず、日々の暮らしに四苦八苦している人が多いです。

時代が悪いと原因を時のせいとしたいものの、改善しない日常に
あがき苦しむ人々は少なくありません。
国が何とかしてくれなければ、自分たちの生活はどうにもならないと
思っている人も多い事でしょう。

しかし、これは、私が抱いている心の苦しみと何だかわりません。
年を重ねたから身体が動かなくなって何もできないという、
老化を理由に自分の怠惰な生活を正当化している現実です。
若い頃は、可能性はともかく、自らが動く事で、様々な目的が
達成され、周囲の人達も動いてくれたのです。

まさに、年を取って何もできなくしてしまっているのは、間違いなく
自分自身であり、年齢のせいにしたり、周囲の環境のせいにして
来た事に因り、より不自由な生活を創り上げて来たと言えるのです。
人は、生まれてから死ぬまで、身の回りの人々や環境に反応し
生きて行くものです。自分の人生は、誰のものでもなく、自らが
作り上げて来たものなのです。
不平不満は、自分が招いてきた結果であり、いい悪いを別にして
自分の選んだ道と言えるのです。

自分がどの様な生活をしたいとか、どの様な身体になりたいと思えば
誰もが叶えられる可能性が高いと言えます。
当然、その人の能力や努力の程度によって叶えられないことも有ります。
だからこそ何度も挑戦できるように、世の中には様々な道が容易されて
いるのです。

自分自身を省みて、いかに人のせいにしたり環境のせいにして
自らの努力を怠ってきたかが解ります。
今年の暑い夏の頃、体調が非常に悪くなり、身体の衰えを自覚し
危機感を感じてようやく自らを鞭打つ事に成りました。
しかし、体つくりをしようも、怠惰な生活は、いつの間にか
自分自身の身体が嫌になるほど、見苦しいものと成っていました。

まずは、歩く事から、そして走り、筋肉トレーニングを行いました。
ともかく自分に負けないよう、間食夜食を止め、早朝から3か月
殆ど休む事無く続けてきました。
といっても、体力の無さは、20代の頃の半分のノルマも果たせません。
それでも今しかないと言う危機感は、自らを突き進める事に成りました。

ようやく体重だけは30台前半と成り、20代の頃履いていたズボンも
ウエストに収まるようになりました。
ただ、体重を減らしただけの事ですが、それでも心の中の達成感は
大きな自信と成っています。

かつて高齢者やスポーツが苦手な人達の基礎体力とバランスを作る為
アドバイスをしていた事をしなければならない身体に成っていたのです。
この次は、新たなるトレーニングメニューを足して、更なる復活を
目指そうと思っています。

例え年を重ねようと、自分の思うような生活を送りたいものです。
特に健康に関しては、年齢のせいにしないで、気が付いたらすぐに
対処する習慣を付けたいものです。