めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

被災すれば、先が見えない日本人

2018-11-05 18:09:11 | 日本人

地震は、忘れた頃にやって来ると言いますが、今年は、次々と自然災害が
日本列島を襲い、各地に大きな被害を与えました。
また、夏の猛暑は、記録的であり、40度に迫る暑さは、日本中の人々を
辟易とさせました。

しかしながら、余りにも次々に災害が襲って来ることから、どれをとっても
衝撃的であるにもかかわらず、人々の記憶からは遠い過去の物と成っています。
いつまでこの暑さが続くのだろうと、日本国民全体が疲れ果ててしまったのに、
秋風が吹き始め、更には、朝晩が冷え込む様に成ると、あの猛暑の記憶も、
豪雨の記憶も、更には、大阪や北海道を震撼させた地震も、殆どの国民の
心から消えてしまいます。

日本は、太古の昔から様々な自然災害が人々を苦しめて来たためか、一つ一つの惨禍に
いちいち拘っていたら、先に続かないのかもしれませんが、熱しやすく冷めやすい
と言われる日本人の性格も、こんな土地柄から生まれたのかもしれません。

とは言いつつも、一体に何が有ったのかと思い出すのに苦労する多くの日本人が
いる中で、災害に見舞われた人たちは、その日から、時計が止まってしまったかの様に
災害の傷跡を引きずって生きているのです。
メディアが取り上げている期間は、復興作業が行われているのだと、多くの国民も
客観的に知るのですが、一度報道が無くなり、人々の話題に上がらなくなると、
どんなに悲惨な出来事で有っても、多くの日本人の記憶から失われて行きます。

過去の歴史を紐解いても、日本人は、何千年にもわたって、様々な自然災害を被り
多くの被害を受けて来ました。しかしながら、幾度となく被災しても、私達の先祖は
逞しく乗り越え、現代の私達にこの日本を伝えて来ました。
毎年の様に訪れる自然災害に苦しめられながらも、大自然の齎す命の糧は、私達が
どんなに苦しめられようと、それに優るほど豊かであったのです。

現代日本に於いて、遠い昔の頃に比べて、人々は、長足の進歩を遂げ、人類の発展と共に
自然を支配する程に豊かな生活を手に入れました。
当然、いかなる自然災害に対しても、私達の生活は守られている筈なのですが、実際は
被災者たちの生活は、いつまで経っても元に戻るどころか、先の見えない日々に喘ぎ
苦しんでいると言えるのです。

かつて、大自然と共に生きていた頃は、災害に見舞われても、しばらくすれば、また、
以前と同じような生活が出来、命の糧を手に入れられていたのですが、何でも手に入る
現代人は、被災した途端、それまでの生活をすべて奪われ、自力では復興できない状態が
長く続いてしまうのです。

この事は、現代人が、たとえ豊かな生活をしているからと言って、自分の力だけで
衣食住を賄っていると言う訳ではなく、社会システムの中で生かされているに過ぎない
と言えるからなのです。
生活の全てが、流通を通じてもたらされているのであって、直接自分の力で、日常の
生活物資を手に入れているのではないのです。

その為、一度、その供給が止められると、自分達で、同じような生活を再現する事は
殆ど不可能であり、経済的に豊かでない限り、殆どの人が路頭に迷う事と成るのです。
こんな時、最も頼りになるのが公共の力であり、国の力でなければ成らないのです。
しかしながら、いくら近代国家と言え、日本社会は、国民の為に有る社会とは言えず、
殆どの国民が、社会的に豊かな人達に奉仕するように作られています。

経済は、国民を豊かにすると言うより、国民を利用して、豊かな人達をより豊かに
する為に発展して来たのです。
一見、先進国として豊かな生活をしている様に見えますが、私達が常に求めるのは
消費経済で有って、自分自身を本当に幸せにする為に生きているとは言えないのです。
幾ら便利な生活をしても、その事で、個人個人が幸せに成るとは言えず、膨大なる
消費を強いられる事で、どんなに働いても余裕と安全が得られないのです。

特に不慮の事故や災害に遭った時、殆どの国民は余裕をもって対処する事が出来ず
生活再建をするにも、自力では出来ない場合が非常に多く、日本社会で生きて行くには
病に伏すことなく、災害に見舞われないで、死ぬまで元気でいなければ成りません。
本来ならば、いかなるアクシデントや災害の於いて、更には、個人的な病に関しても
国は、全面的にバックアップする事が義務と言えるのです。

しかし、今の日本社会は、国民から不安を取り除く事が出来ず、全ての世代に於いて
将来に大きな不安を抱え続けて生きて行かなければ成らないのです。
国民が遭遇する災害や病に対して、国が責任をもって対処すると言うのでは無くて、
一時的な援助をするとは言え、それは、決して、国民が将来に渡って安心の人生を
歩む事が出来ると言う保証ではなく、本当に、元の生活に戻れるには、普段から
かなり裕福な生活を送っていなければ成りません。

その為、多くの方が、自分の生活全般、健康に感じても保険を掛けなければならず、
災害に遭った時の付け焼刃の国の援助では、とても安心して生活が出来ないのです。
人生を送る間に遭遇する様々な障害に対して、安心して対処できる国民は、ほんの
一部の富裕層であり、殆どの国民は、如何に一生健康で居られるかが、日本で生きる
最大の目標と成っているのです。

高齢者のみならず、若い人達も、国民の殆どが、生きる事に不安を抱え、安心した
生活を送る事が出来ないのが日本の現状です。
しかも、安心安全を求めるならば、殆どの人が応じられない程の経済力の高さが必要で
外見的な豊かさは有っても、日本人の心の中から生活不安が消える事は無いのです。

日本社会で経済的に豊かに暮らせる人はほんの僅かであるにもかかわらず、
リーダー達は、より消費を高めれば世の中は豊かに成ると言いますが、この本意は、
自分達が陶酔する豊かな人達の生活が豊かに成るのであって、多くの国民は、
必要以上の出費を強いられ、社会と国に生活を管理されて、幸せとは程遠い生活を
送らざるを得ないのです。

本当に幸せで、心に余裕がある人は、周囲の人に対する思いやりや労りが有ります。
しかし、現代日本に於いて、経済的に豊かと思われる人であっても、身の回りの人や
惨禍に見舞われた人に対して無関心な人がとても多いです。
彼らの多くは、人としての思いやりに欠けると言うのではなく、人に構っていいられない
自分の生活を守る事で精一杯の人が多いのが問題です。

例え経済的に豊かとしても、自分の生活を守る為の出費が多く、人の苦しみや悲しみに
同情する程の心のゆとりがない人が多いのです。
つまり、日本経済社会に於いて、日本人の生活目的の全てが、経済的な豊かさに在り
人との関わり合いを大切に育てていく環境にない人が多いのです。
その為、自分に関係が無ければ、あえて手を差し伸べる事もなく、人の心の痛みは、
自らが体験しないと感じられなくなっているのです。

しかしながら、近年、日本を襲う大災害は、年々頻度を増し、しかもその規模は、
想定外と思われる程大きく拡大しています。
今や、日本人全てが被災すると思われる程の大災害が想定される様に成りました。
様々なハザードマップが作られ、国民の安全を図る準備が成されていますが、
過去の例を見ても、人間の思惑通りことが進む事は殆ど有りません。

人災である異常気象は、益々、地球規模で被害を大きくしています。
最早、人知を超えた大災害が、地球上何処にでも起きる可能性が高まっているのです。
一部の国では、火星移住計画が進められ、将来、地球が生き物にとって生活繁殖が難しい
環境と成る事が予想されています。
人類の中でも、選ばれた人間とする一部の富裕層が、真剣に未来への脱出計画に
膨大なる資産をつぎ込んでいると言うのは、夢物語ではなく、既に現実のものと成って
着実に人選が始まっていると言われています。

正に、現代社会は民主主義とは程遠い、一部の経済的に豊かな人達の為に有り、
国民全体が潤う社会ではないのです。
バブル崩壊後、25年程に成りますが、一向に社会全体の景気は良くならず、その反面
一部の大手企業や主要産業は、確実に経済成長を遂げ、今や、日本経済の殆どを
それらほんの一握りの富裕層が支配していると言っても過言では有りません。

何十年に渡って、国民経済を高める為にリーダー達は努力して来たと言いますが、
実際は、一部の限られた企業に対する底入れを行うものの、殆どの中小企業に対しては
抜本的な対策を講じる事無く、いまだに、倒産する中小企業は後を絶ちません。
その結果、日本経済は、かつてない程の産業構造を示す事と成り、日本経済を
ほんの一部の企業や経済団体が支配する事と成っているのです。

何故、この様な変則的な社会になったか、と思うのは、多くの一般国民であり
これこそ、長年目指した富裕層たちの望む社会で有ったのです。
一部の選ばれた者達が、大多数の消費者を支配する社会、それが現代なのです。
彼らの望む社会を作る為に選ばれたのが、多くの政治家達であり、彼らは、
国民から選ばれたとはいえ、いつも顔を向けるのは、富裕層の人達です。

何故、バブル崩壊後,20年以上も経っているのに、いまだに国民生活は
汲汲としているのか、その原因は、国民生活を豊かにする政策が成されず、
富裕層を豊かにする為の政策がとられて来た事に因ります。
大手企業は、日本中の中小企業を傘下に置く事に依り、より巨大化し
膨大なる利益を得ているのです。

つまり、親方日の丸、そして巨大企業の僕として多くの国民が消費者として
生きる事が、リーダー達の目的で有って、国民が豊かに成ると言うのは
単なる口実に過ぎず、何十年もだらだらと国民を無視した政治が行われ
経済大国と言われながら、日々の暮らしに苦しむ事と成ったのです。

こんなぎりぎりの生活を強いられている国民が、異常気象や震災で
生活の基盤を失ったら、当然、自力では生きて行けないのが当たり前です。
しかし、この期に及んでも、被災者達に寄り添って援助できないのが
今のリーダー達と言えるのです。
見た目の災害復旧を行った後は、生活力を失った被災者達を見捨てるのです。
そう、次なる被災地に対するパフォーマンスを行う為です。
具体的に対策が出来なければ、想定外と言ったり、数十年振り、数百年振りと
災害の大きさを理由に自分達の無能ぶりを覆い隠します。

日頃から、一般国民を中心に考えて来ない事から、全ての対策が後手に回ったり
的外れであったりと、その場限りの目先の復興計画が目立ちます。
全ての国民が、いかなる災害に見舞われようと、命と生活を守る政治を行う事が
政治家の役割であり、その支援を行うのが、大企業の義務と言えるのです。
国民から利益を吸い上げる事にばかり策を練り、今や、国民の殆どは、生活する事に
苦しむばかりです。

自分達の地位や名誉を守る為に無駄な討論を重ねたり、新たなる内閣を作っても
国民の殆どは、何の期待もしていない事を知らなければ成りません。
話題になるのは、詰まらない内輪揉めと派閥闘争ばかり、自己満足を求めるだけでは
渋谷のハロウィーンで暴れる若者と何だ変わりません。
夏の猛暑が去り、台風が日本を逸れる様に成って、静かな秋の日が続いています。
しかし、平和が戦争の合間である様に、次なる大災害が待っている事を忘れては
成らないのです。本当に国民から信頼される政治家、起業家になる為には、
国民一人一人を幸せにすることが出来てからと言えるのです。