めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

復興と言う名の思い込み

2015-03-11 17:45:05 | 自然災害

遂にまた、この日がやって来ました。
毎年の事ながら、あの言いようのない恐ろしい時間です。
仕事の最中に、突然部屋全体がゆっくりと揺れ始め
次第に不気味な大きな揺れとなって来ました。
お得意さんと部屋の一番安全と思われる場所に移り、
これ以上大きくなったらどうしようと言う、初めて感じる
恐怖の長い時間でした。
しかし、その時、東京で感じるより遥かに巨大で恐ろしい揺れが
東北地方を襲っていたのです。
あの日、次々に映される信じられない光景は、とても信じがたく
想像を超えた惨状は現実とは思えない程でした。

あれから4年、私達日本人はどの様に変わったでしょう。
被災者のみならず、日本国民全体に与えた影響は
震災以前とは大きく変化して来た様に思えます。

それまで、何度となく、近い将来訪れるであろう大地震について
多くの番組が作られ、予想される地域では、もしもの時に備え
様々な準備が成されてきました。
しかし、それは、人々にとって、架空の世界であり、けっして
現実では起こらないであろうと言う安心感の元にありました。
歴史的に見ても、災害列島と言われる程、多くの天変地異があり、
その時々の悲惨な状況も多くのメディアが伝え、学者たちも
頻繁にもしもの状況を伝えていました。
でも、この日が来るまで、誰もが、絵空事と心の中では思っていたのです。

しかしながら、4年前、多くの人がその惨状を体験し、日本人のほとんどが
連日伝えられる信じられない光景に目を疑ったのです。
そして、その疑いは現実となり、人々の心に強く焼きつく事となったのです。

現代人の心に、人の力ではどうにもならない大自然への恐れが生まれたのです。
戦後、様々な自然災害や人為的な災害が多くあったものの、
これ程にも重く心に残った恐怖は有りませんでした。
日本の古くからある言い伝えに、地震、雷、火事、親父と言うのが有ります。
親父を筆頭に、恐ろしくないものの例えになる程、最近では死語と言えるものでした。
しかし、この筆頭に書かれた地震は、やはり、人々の心を震え上がらせる
最強のものでした。

私達は、この災害に対して、正面から戦うべきなのでしょうか。
余りにも巨大で、逃れる事しか出来ない事に、どれだけ対応できるのでしょう。
もし、どんなに巨大な地震にもビクともしない街や家を作るとしたら
それこそ人が住む事すらできない頑強で巨大なコンクリートで囲まれた
刑務所の様な生活環境を作らねば不可能でしょう。

私達が、このどんなに頑張っても太刀打ちできない大自然の驚異に相対した時、
戦う事がいかに無力で無意味であるかを知らなければなりません。
先人の教えの様に、いかに逃れるすべを身に付けるか、いかにその脅威を
受け流すかにあるのです。

何故なら、私達は、自身も含めて、この大自然の中で生かされているからです。
単なる衣食住として関わっているのではなく、自然の一部として心を通わせ
生きているからです。
東北の沿岸に、巨大な堤防を築き、土地をかさ上げして、新しい街を作ったとしても
それは大自然と人々を分断して、ただ衣食住をする為だけの街を作ったに過ぎず、
言うならば、ベルリンの壁を作っているに過ぎません。
もし、自然が本当の力を出せば、そんな壁は一瞬にして破壊されるのは
目に見えています。

かつて津波の為に作られたと言う、巨大なスーパー堤防が、この大地震でどうなったか、
私達の浅はかな考えがいかに無意味で有るかが良くわかります。
東北の人達を育てたのは、東北の美しい大自然と豊か海です。
海と人々を寸断する事は、人々の心を踏みにじり、故郷に戻るどころか
巨大な堤防の監獄に閉じ込める事にもなるのです。

私達の未来は、自然の豊かな糧が有って成り立ちます。
その大自然の中で、いかに共存し、お互いに命を繋いでいくかが大切です。
私達が、大都会を作るのと同じく、大自然に対していかに共存していくかを
考える事が必要と思われます。

一日も早く故郷を安全にして、人々をもう一度そこに住まわせようとしても、
東北の街とは違った街を作ってしまっては、人々の心も萎えてしまうのです。
羹に懲りて膾を吹く、と言う諺が有ります。
余りにも用心深くなったことにより、不必要な事をしてしまう事を言いますが、
私達が生きて行くという事は、衣食住が満たされれば良いと言うものではないのです。

支援を受けているから贅沢言うものではないと、反発を受けるかもしれませんが、
その地に住む人々が、心から喜べる事は本当な何なのかを考えて行かないと、
支援が余計な行為になって、挙句の果ては、人々に新たなる心の苦しみを
与えかねない事を考えなければなりません。