ベラルーシの部屋ブログ

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愛知・新美南吉ゆかりのピアノ修復 110年の時を超えた音色

2015-11-16 |   新美南吉
 11月16日のTHEPAGE愛知のニュースです。

愛知・新美南吉ゆかりのピアノ修復 110年の時を超えた音色

愛知県安城市の安城高等女学校(現県立安城高校)にあった、約110年前に製造のロシア製グランドピアノがこのほど修復を終えた。同校には童話「ごんぎつね」が代表作の童話作家・新美南吉が教員として1938年に赴任。そのピアノについてとされる俳句を南吉が残していることから、「南吉ゆかりのピアノ」として市民から注目を集め、修復完了に喜びの声が上がっている。このほど、同市歴史博物館でお披露目コンサートが開かれ、約170人の市民らが、よみがえったピアノの音色に耳を傾けた。


9割の部品再利用でオリジナル損ねず

 同館によると、ピアノは1905年頃製造で、ロシアのピアノメーカー・ベッカー社製。作曲家のチャイコフスキーたちから高い評価を得たという記録があるが、日本ではほとんど知られていないメーカーで、現在同社は存在しない。日本国内で演奏できる状態で現存する同社のピアノは、同館にあるピアノが唯一とされる。

 安城高校の英語教諭だった故・大岡幸雄さんが譲り受け、同市内の実家の納屋で保管していたが、2年前に妻の雅子さん(77)が市に寄贈。1年8カ月かけて修復され、今年10月に同館のエントランスホールで展示が始まった。

 修復は、古いピアノの修復実績がある小野ピアノ工房調律センター(栃木県真岡市)が行った。ピアノは約50年の保管中に雨でぬれたこともあったという。その影響でピアノの音の心臓部で、弦の下にある響板の一部も痛んでいたが、同時期のピアノに使われていた響板を移すなどして補修。全体の8~9割の部品はそのまま再利用し、オリジナルを損ねないようにした。
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亡くなった主人も喜んだことでしょう

 コンサートでは、南吉が好きだったショパンの曲など9曲が披露された。演奏したピアニストの山本千秋さん(27)は「現代のピアノと比べて音は柔らかく、まろやかな感じ。鍵盤は反応が良く、繊細」と話した。

 最前列で演奏を聴いた雅子さんは「修復は無理と思っていたが、きれいに直していただいた。亡くなった主人も、この場にいたらとても喜んだことでしょう」と、感激した様子だった。

 同館によると、今後ピアノは同館で展示を続けるが、演奏会や一般来館者が触ることができるような機会は、今のところ予定にないという。しかし、天野信治学芸員(50)は「コンサートのリハーサルのときより、本番の方が、音が良かった」と感想。「使っていけば状態が良くなっていくことを確信した。演奏会に使うことなどを、考えたい」との意向を示した。

 南吉は教員時代に「講堂に ピアノ鳴りやみ 秋の薔薇」という俳句を残した。ピアノをよく見ると、家具を思わせるデザインの脚や、譜面台に施された彫刻など、100年の時を感じさせる。復活したピアノは、南吉のいた時代を思い起こさせるとともに、現代でも人々を魅了し続けていく。
(斉藤理/MOTIVA)

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 ほっとするいいニュースですよねえ。
 新美南吉はピアノを習ったことがなかったので、演奏はできなかったと思いますが、楽譜が読めたので、安城高等女学校の音楽の先生がピアノを弾いていたときに、楽譜をめくる役をしていました。
 そのピアノが修復されて美しい音色が戻ったとは・・・

 しかもロシア製というのが、気になるところですよ。
 でもJ.Beckerというブランド名はロシアらしくないので、調べたところ、ヤコブ・ベッカーはドイツ生まれでした。
 1811年にドイツで生まれ、ピアノ職人となり1841年にはロシアのサンクト・ペテルブルグにピアノ工房を創立。ロシアの音楽文化の発展に貢献しました。1879年に亡くなるまで、ピアノの構造上の発明を繰り返し、5種類の特許を取ったそうです。
 ベッカーの死後も工房は後継者によりピアノの製造を続け、著名なピアニスト、作曲家が愛用し、ロシア皇帝一家の邸宅に献上されたことも。
 しかし第1次世界大戦が始まった頃からドイツとロシアの関係が悪化したこと、また1917年に起きたロシア革命の影響などにより、1918年に工房は閉鎖。ベッカーのピアノは造られなくなってしまいました。
 
 こんな貴重なロシア製のピアノが日本に1台だけだそうですが、現存していて音も出るようになり、しかも新美南吉が聞いていたなんて・・・ロマンですねえ。