ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第79回」

2008-09-26 |   ビタペクト配布活動
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第79回」

 9月11日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第79回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を13個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1518個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1170部となりました。
  
 今回で通算89目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1518人分のビタペクト2、そして1170家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


今回、2家族が保養のためSOS子ども村に滞在しており、お話を伺いました。

(家族A)

 ゴメリ州ベトカ(チェルノブイリ原発から約150キロ)から来た家族。お母さんが2人の実子、2人の養子(1人は姪)、ポコリュビッチ村に住んでいる女の子を1人、引率してきていました。
 この家族には子ども全員に1個ずつ、合計5個のビタペクト2を渡しました。
 またこの家族は2006年11月にもSOS子ども村に保養滞在しており、ビタペクト2を飲んだ子どももいます。
 そのときの様子はHP「ベラルーシの部屋」内、2006年11月過去ログ、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第51回」(家族A )をご覧ください。
 当時はゴメリ市の近くのポコリュビッチ村(チェルノブイリ原発から約140キロ)に住んでいました。 

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 各人の2006年度と今回(2008年度)の体内放射能値は次のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親     13ベクレル   → 11ベクレル 
長女13歳  11ベクレル ○ → 29ベクレル ○
長男11歳  12ベクレル ○ → 24ベクレル ○
姪 19歳             23ベクレル ○
養子 6歳  10ベクレル   → 26ベクレル ○
女子14歳             22ベクレル ○

 残念ですが、2年前ビタペクト2を飲んだ子どもも、飲まなかった子どもも全員の体内放射能値が上がっていました。

 長男は甲状腺の肥大、そして足の骨が歪んでいる病気で歩行が困難なため、車椅子に乗っていましたが、現在は補助器具をつけて、自力で歩けるようになっていました。
 お母さんは腎臓結石と肝炎を患っています。
 この家族では姪を2人養女にしていますが、前回保養に連れてきていた姪(現在18歳)は今回は来ておらず、前回の保養で留守番をしていた姪が初めて保養に来ていました。
 6歳の養子の男の子ですが、とても背が低くて、3歳ぐらいにしか見えません。内分泌の異常が原因と医者に言われています。
 2歳のときに生みの親に親権を放棄され、この一家に引き取られたのですが、そのときすでに栄養失調のため発育が悪く、歯も1本も生えていなかったそうです。
 
 自分の家族も病気だったり、障害を抱えたりしているのに、姪二人や、さらに他人の病気の子どもを引き取る・・・お父さんはスラブ正教教会の神父さんだそうなので、こんなことができるのかもしれません。 


 
(家族B)

 ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来たお母さんが2人の実子、1人の養女、ゴメリ多子家庭協会の会員の子ども6人を引率してきていました。この家族には8個のビタペクト2を渡しました。
 またこの家族も2006年8月にもSOS子ども村で保養滞在しています。

 そのときの様子はHP「ベラルーシの部屋」内、2006年8月過去ログ、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第48回」(家族A)をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 この家族の2006年度と今回(2008年度)のそれぞれの放射能値測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親    12ベクレル   → 13ベクレル
長男13歳 36ベクレル ○ → 31ベクレル ○
次男11歳 12ベクレル   → 30ベクレル ○
養女 4歳             0ベクレル 
男子14歳 11ベクレル   → 21ベクレル ○
女子13歳            37ベクレル ○ 
女子12歳 36ベクレル ○ → 20ベクレル ○
女子11歳            35ベクレル ○
女子11歳            20ベクレル ○
女子10歳            42ベクレル ○

 このうち、11歳と10歳の女の子は3人姉妹です。13歳と12歳の女の子も姉妹でルドニャ・モレモノワ(チェルノブイリ原発から約100キロ)に住んでいます。14歳の男の子もルドニャ・モレモノワに住んでいます。

 このお母さんなのですが、7年前に手術をして甲状腺を切除しています。ホルモン剤を一生のみ続けないといけません。13歳の長男、11歳の次男には吃音障害があったのですが、今回話をしてみると、ずいぶんよくなっていました。
 今回は年齢制限のため、保養に来ませんでしたが、長女(19歳)は心臓に欠陥があります。

 引率してきた12歳の女の子は脳炎にかかったことがあります。
 14歳の男の子は前回来たときはおねしょに悩んでいましたが、中学生になってもう治った、ということでした。よかったですね。

 4歳の養女は早産(妊娠8ヶ月)で生まれて、この子もすぐに生みの親から親権放棄されて、孤児院に入れられたそうです。その後、この家族に引き取られました。
 しかもこの女の子は小児麻痺のため、右ひざの関節が悪く、歩行に問題があります。ミンスクの病院で手術するようゴメリの病院で勧められましたが、今度は心音に雑音が聞こえたため、手術を拒否されました。ロシアへ行けば、すぐに手術はできると言われましたが、手術代に1500$かかると言われたそうです。
 そんなお金がないので、心音が正常になるまで待って、ミンスクで手術を受けることを希望しています。
 視力も低下が進み、弱視になりつつあるそうです。目の大きさが左右で違っていました。

 それにしても、自分も投薬生活を続けていて、子どもも完全に健康体ではないのに、さらに障害児も引き取って育てるなんて、このお母さんはすごい、と思いました。普通の人には簡単にまねはできませんよね。 


 今日本で議論されている赤ちゃんポストはベラルーシにはありません。生まれてすぐに産院で、親権放棄できるからです。そのほうが、子どもの命を守ることができ、生年月日も親の名前も、あるいは親がつけた自分の名前も記録できます。
 赤ちゃんポストの設置にはいろいろ議論があると思います。また出産直後に親権放棄できるベラルーシの制度にも、長短あると思います。
 ここではこのことについて議論しませんが、いわゆる捨て子に、血のつながりはないけれど、暖かい手を差し伸べる家族もいることを書いておきたいです。
 
 今回も子ども達に折り紙や絵葉書、日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらった竹で作られた知恵の輪を子どもたちにプレゼントしました。
「これは難しいよ。」
と言ったのですが、折り紙より先に知恵の輪を外したい、とみんな順番にがんばっていました。(SOS子ども村の職員さんまで夢中になっていました。)(^^;)
 すると、30分ぐらいで外してしまいました。賢い! 

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、絵葉書や手作りの竹細工を寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。





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